小澤正夫著『宮本武蔵 二刀一流の解説』を読む~その1 剣術編/(書評)
- 2009/04/21(Tue) -
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▲今から23年前、ネットも携帯も普及していない時代の著作


 『宮本武蔵 二刀一流の解説』(小澤正夫著/吉川弘文館/昭和61年)は、以前、ネットオークションに出品されていて、その目次に「武蔵流手裏剣の由来」とか「手裏剣の説明」、「円明流および知新流打剣の型」など、手裏剣に関する記述が多く見られたため、かねて購入したいと考えていたところ、このたびヤフオクで入手することができた。

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▲知新流と円明流の手裏剣術に関してふれた一節


 そもそも、このブログの小論でもたびたび指摘してきたとおり、日本の手裏剣術と宮本武蔵との関連はたいへん深く、また手裏剣術の精華ともいえる刀法併用手裏剣術は、一種の二刀遣いであるともいえる。こうした点からも、手裏剣術者という立場として、宮本武蔵とその流儀(業)は、たいへん興味深いテーマである。

 さて、そこで本書を一読した感想であるが、残念ながら、あまり期待したほどではなかった。内容の詳細、特に手裏剣術に関する部分については、「その2」として摘録としてまとめておくつもりだが、まずは総論的書評をまとめてみた。

 まず本書は、「武蔵ひいき」の牽強付会な記述が多く、また参考文献や原典資料も詳細に明記されていないため、全体の信頼性は、あまり高いとはいえない。

 著者の略歴を見ると、「約40年間剣道史および武蔵の研究に専念、剣道五段」との記載があるが、剣術や手裏剣術などに関しては、特に修行したともなにも書かれていない。想像するに、剣道以外にも古流を稽古したというより、伝書などを読み込んだというようなスタンスなのだろう。

 しかも、ここで問題なのは、先に指摘したように、『小倉碑文』や『二天記』などといった、武蔵関連の原典資料以外、あまり明確に記述の出典が示されていないことであり、さらに武蔵に関する業績などについては、本書の記述は、その信用性が極めて低い、『二天記』を中心としていることである。

 このため手裏剣術=飛刀術に関する記述では、「宍戸梅軒を倒した際の云々・・・」などという信憑性の低い逸話についての記述が再三あり、本書の資料としての信頼性を大きく損ねているのは残念である。

 さらにこの著者は、武蔵ひいきが高じるあまり、一刀流や新陰流がたいへん「お嫌い」なようで、徹底的に非難している。

 たとえば、

     「一刀流の特徴は、イ、敵の打込みを鎬で左右に払うか棟で上から下に叩き、
      その弾みを利用して斬り付けるか突きを入れるのを『切落し』と呼んで基本
      技とした」(同書P32)

  おいおい、そりゃあ違うだろう~。

 鎬の形状・厚みを活用し、厳密な正中線に沿った真っ向正面の太刀筋(勝太刀)をもって、早からずしかし遅からずという絶妙の拍子に乗って、相手の正面斬りの太刀筋をそらして勝つのが切落でしょうが。左右に「払う」のは張り受けだ。それよりなにより、「棟」で相手の刀を叩いたら、自分の刀が傷むし、最悪、折れちゃうだろう!

 この著者は、本当に剣道五段なのか? いや「剣道」五段だから、このような理解なのか?

 さらに著者の暴走は続く。

     「要点だけいうと、切落しは初心者でも使えるから高度の技ではない。」(同書P33)

 う~ん、そこまで言うか・・・。

 日本中の一刀流系の剣術家を敵に回してるな、この著者は。

 私は一刀流の関係者ではないけれど、切落という技は、日本剣術における普遍的な極意のひとつだと思うのだが・・・。

 そもそも、切落しなんていう高度な技は、初心者にはとうてい遣えんでしょう。

 初心者に最初に教えることと、実際にその技が遣えるかどうかは別問題なわけです。古流というのは、たいがい極意の太刀筋を最初に教えるということを、この著者は分かっていないのだろうなあ。おそらくこの人は、切落も現代剣道の正面打ちのような基本技くらいにしか、思っていないのだろう。


 さて、このように、一刀流をこき下ろした著者は、返す刀で新陰流もぶった斬る。

      「柳生は(中略)織田に尾を振っていた。(中略)。(柳生宗矩は)将軍の歓心
       を買うことにひたすら努めた。大名との交際がうまく求めに応じて金で免許
       を与え、挨拶の良い大名だけを将軍に推薦した。出世欲のためには手段
       を選ばないというゆがんだ人間となったから、息子たちは親の言うことを聞
       かなかった」(同書P52)

 これはもう、たんなる人格攻撃としか思えないのは、私だけだろうか? もっとも著者は柳生宗矩だけでなく、一刀流の小野忠明についても、「達人ではなかった」(同書P29)と斬り捨てている。

 いずれにしても、武蔵を40年間に渡って研究してきた著者は、どうも一刀流や新陰流が大きらいでしょうがないらしいことは、本書を読み込むほどに猛烈に感じられるのである。

 さらに著者は、自身が剣道五段でありながら、現代剣道もお好みではないらしい。

       「竹刀で叩くことをいくら習っても実戦では役立たない。(中略)。兵器がどの
        ように進歩しても、最後は白兵戦で勝負が決まる。そのためにも実戦に役
        立つ古武道を学ぶべきであろう」(同書P106)

 結局、最後は、白兵戦ですか・・・。

 つうか、だから戦争に負けちゃうんだってば!

 ちなみに著者の略歴を見ると、大正3年生まれ。大学卒業後、中島飛行機(隼とか疾風のメーカーですな)社員。昭和19年、百里の海軍航空基地に召集、翌年9月復員。戦後は昭和23~49年まで、東京地検捜査主任(!)。昭和49年退職、とある。

 なんかこういう人が検事というのは、自分に都合の良い状況証拠と自白だけで、被疑者を有罪に持ちこむような、戦後刑事警察・検察の強引さをイメージしてしまうのは、私の考えすぎだろうか・・・。

 ひとつ言えることは、あくまで「実戦」を強調する著者だが、上記の軍務歴では、著者自身に白兵戦の経験がないのは間違いないであろう。

 
 さて、このように、一刀流と新陰流という、日本剣術の二大流儀を斬り捨てた著者は、おもむろに二刀一流の技術解説にうつる。

 これについては、私自身が剣術の二刀遣いにあまり明るくないので、技術面でとやかく言うことはない。ただ1つ言えるのは、同書内の手裏剣術に関する記述もそうだが、著者の解説文は、たいへん理解しづらいのである。

 説明が非常に大雑把であり、しかも解説のための図が、ほとんどイメージイラストなので、具体的な攻防の流れや技の展開が、いまいち把握できないのだ。

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▲ほとんど図版の意味をなさない、イメージ・イラスト(笑)


 まあ、本書は純粋な技術解説書ではないので、それはそれでやむをえないのだろうが、著者40年の研究に基づいた、二刀遣いの技術解説を期待する者としては、いささか記述が不親切であると言わざるをえない。

 なによりも問題なのが、筆者が解説する武蔵伝来の二刀流とは、どのよな伝系のものであるのかが、まったく明らかにされいないのである。これは私の直感にすぎないが、おそらく著者は、いずれかの伝系の二天一流、あるいは円明流や鉄人流などといった、武蔵由来の二刀遣いの古流剣術を実地で学んだのではなく、伝書等の記述を中心にして、術技を再現しているのではないかと思われる。

 私自身、刀法併用手裏剣術などは、伝書の記述から復元し、日々の稽古体系に組み込んでいるので、一部の原理主義的古武術家のように、「復元=インチキ」とは思わない。真摯な姿勢で臨めば、術技の復元も重要な鍛錬や研究になる。

 ただし、そのための絶対条件として、「これは復元である!」と、必ず明言しておかねばならない。

 こうした点においても、本書は多いに問題をはらんでいるのだが、出版されたのが昭和61年と、現在に比べて武術・武道に関する考証や研究態度が、ある種、鷹揚であった時代ゆえ、しかたのないことなのかも知れない・・・。

 (書評その2 手裏剣術編につづく)
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