紀州藩田丸伝柳剛流の資料を読む/(柳剛流)
- 2016/01/25(Mon) -
 本日、多気町郷土資料館から、平成16年10月5日~12月19日まで開催されていた、多気町郷土資料館特別企画展『郷土の剣術柳剛流と日本の武道』の図録が到着した。

1601_多気図録1


 問い合わせにあたり親切にご対応いただき、快く資料を送付してくださった郷土資料館のご担当者様には、本当にありがたく存じます。昨年公開された紀州藩田丸伝の演武について玉城町に問い合わせた際も、役場の方がたいへん親切に対応してくださったのは印象的だった。

 私は仕事柄、全国各地いろいろなところへ取材に出かけるのだが、これまで三重は数度訪れたことがあるだけで、あまりなじみがなかった。しかし、こうした親切な対応をたびたびいただいたおかげで、「三重は良いところ、三重の人はとても親切・・・」という刷り込みが、すっかり出来上がっている(笑)。



 さて、早速資料に目を通すと、いろいろと新たな知見があった。

 まず最初に表紙を見て、ネット上で流布している古い柳剛流の写真の出典をようやく知ることができた。

1601_田丸伝形演武


 この写真は、明治23(1890)年に、柳剛流を紀州田丸に伝えた橘内蔵介正以の高弟である、森島楠平義敬とその門人によって、柳剛流の保存・発展のために田丸にて設立された、日本竹苞館の教授人による演武だとのこと。

 本資料によれば、この写真は明治24~25年に撮影されたもので、向かって左の仕太刀は村林長十郎、右の打太刀が森田音三郎だという。

 なお、本資料ではこの写真の形を「柳剛流『右剣』の形演技」と説明しているが、これは「左剣」の間違いではなかろうか?

 仙台藩角田伝の形、また現在の幸手伝の形でも、仕太刀が左前で折敷いて左鎬で受け流し斬るのは、「右剣」ではなく「左剣」である。

 なおちなみに、幸手伝では右剣は「右頸」、左剣は「左頸」と呼称している。

 いずれにしても、「右剣」と「左剣」は諸派を問わず柳剛流の最も基本となる形だけに、田丸伝のみが「右剣」と「左剣」の捌き方が逆になっているというのは、いささか考えにくい。また稽古着の袷せや鞘の位置を見ても、写真が裏焼き(反転)しているわけではないことは明らかである。

 以上の点から、これは本資料あるいはその出典となった資料の、説明文の間違いである可能性が高いのではなかろうか?



 次に、本資料では田丸伝の切紙・目録・免許の各伝書の写真と解説が掲載されており、これらもまた非常に興味深いものである。

 まず切紙をみると、驚いたことに剣術形が8本記されている。

 武州系諸派や角田伝の柳剛流では、切紙で教授される剣術形は「右剣」と「左剣」の2本、あるいはこれに「風心刀」を加えて3本となるのが一般的で、この田丸伝の切紙伝書に記されている「無心剣」や「相合刀」、「中合刀」などは、いずれも目録で伝授されることが多い。

 一方で、武州系や角田伝では切紙で伝授される突杖が、田丸伝では目録での伝授となっているのも特徴的だ。

 居合については、武州系諸派、角田伝、田丸伝ともに切紙時に5本が伝授されることは同じであった。

 目録に記載されている剣術形は合計で7本。ただし残念なことに、本資料では目録の全文の掲載はなく、写真も文章も一部のみの解説のため、これら7本の形の名称は一部分しか確認できない。

 そのうち「青眼右足刀」と「青眼左足刀」の2本は、武州系諸派や角田伝と同様である。しかし、掲載されている写真にはその他に「破先刀」「相知刀」「中道別剣」の3つの剣術形の名称が見える。これらの形は、流祖直伝の目録伝書には見られるが、武州系諸派や角田伝ではあまり見られないものである。

 また目録記載の二刀伝と小太刀は、いずれも口伝とのみの記載であり、個々の形の名称は記載されていないとのことである。

1601_多気図毒2


 免許伝書については、眼の大事(武州系での五眼口伝のことと思われる)、極秘伝(武州系の一心という口伝と同様と思われる)、長刀秘伝、甲冑当、活法となっているという。

 ここで本資料では、

 「甲冑当と活法は他系には見られず、田丸系独自のようである」

 との一文があるが、これは明らかな間違いであることを指摘しておきたい。

 武州系諸派の免許にも甲冑当や活法は複数の伝書に記載されており、また仙台藩角田伝では活法が実伝として伝承され、現在も国際水月塾武術協会にて伝えられている。

 

 本資料では、森島楠平から田丸伝を受け継いだ村林長十郎の用いた武具についての記載も眼を引く。

 村林長十郎が使っていた柳剛流の木刀は、全長106㎝(3尺4寸9分)、反り1.5cm(5分)とのこと。掲載されている写真が柄部分のアップのみで、鍔の有無は判別できない。しかし、全長と反りを考えると、おおむね現在の剣道などで用いる一般的な大刀と変わらない形・サイズであるようだ。

 この点、武州系の深井柳剛流師範家に伝わる、直刀型で長さは全長129~134cm(4尺2寸5分~4尺4寸2分)の独特な木刀は、異彩を放っているといえよう。

 さらに村林長十郎が使っていた長刀は、全長185cm(6尺1寸)、刃長は35.4cm(1尺1寸6分)、反りは2.5cm(8分)であるという。全長6尺と、長刀としてはやや短めのものを使っていたというのも、またたいへん興味深い。

 本資料には当流の稽古には欠かせなかったであろう脛当てについても写真と解説があり、素材こそ当時のものだが、形状やサイズは現在のなぎなたで用いられるものとほとんど変わらないものであったことが分かる。

1601_多気図録3


 以上、多気町郷土資料館特別企画展『郷土の剣術柳剛流と日本の武道』の図録から、私にとって新しい知見となった部分をざっと取りまとめた。

 なお紀州藩田丸伝柳剛流は、現在も三重県松坂市にて、三村幸夫先生・三村幸也先生によって伝承されているとのことである。

 (了)
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