柳剛流の流儀名由来についての疑問(その1)/(柳剛流)
- 2016/02/12(Fri) -
 柳剛流の流儀名の由来について、 「根をしめて 風にまかする柳見よ なびく枝には 雪折れもなし」という古歌から付けられたという話が流布している。

 おそらくこれは、埼玉の武道史を研究されていた故山本邦夫埼玉大学教授の記述に基づいた説であろう。

 たとえば山本教授は、以下のような論考をしている。



 惣右衛門奇良が、弟子に出した印可の目録には
  「根をしめて 風にまかする柳見よ
    なびく枝には 雪折れもなし」
 の古歌が必ずといってよいほど記載されているが、ここからヒントを得て流名としたともいわれているが、(以下略)
  「浦和における柳剛流剣術」(昭和62〔1987〕年)より


 惣右衛門奇良が、門弟たちに与えた印可の巻物中に、
古歌
  「根をしめて 風にまかする柳見よ
    なびく枝には 雪折れもなし」
を記述しているが。この古歌をヒントを得て「柳剛流」と名づけたといわれているが、(以下略)
 「綱嶋家の剣術について」(昭和55〔1980〕年)より



 また、今手元にないのだが、確か『埼玉武芸帳』や『埼玉剣客列伝』といった山本教授の代表的な著作でも、同じことが書かれていたと記憶する。

 さて、ここで私は疑問なのだが、これまで私が確認した柳剛流の伝書では、切紙・目録・免許、いずれの伝書にも、この 「根をしめて 風にまかする柳見よ なびく枝には 雪折れもなし」という武道歌は、ひとつも記載されていないのである。

 たとえば、流祖直筆の目録および免許の伝書として知られる、石川家に伝えられた伝書には、この武道歌はどちらにも記載されていない。

 ところでここで1つ。

 以前、私は本ブログにて、「現在、流祖直筆の伝書は、石川家にある宮前華表太が伝えた目録と免許しか確認されていない」と書いたが、これは訂正しておきたい。

 本日、『幸手剣術古武道史』や『戸田剣術古武道史』の著者で、武州系柳剛流研究の第一人者である剣術史家の辻淳先生とお話をすることができたのだが、その際、先生にこの件を確認したところ、「石川家の資料以外にも、流祖直筆の伝書はあるだろう」とのことであった。

 ただし先生自身は、石川家の伝書以外、流祖直筆の伝書は「見たことがない」とのことであった。

 というわけで正しくは、

 「現在、流祖直筆の伝書は、石川家にある宮前華表太が伝えた目録と免許以外、ほとんど確認されていない」

 ということになろう。

 ついては流祖直筆の伝書について、上記の石川家文書以外に見たことがある方、あるいは何かご存知の方は、ご教授いただけるとうれしく存じます。


 さて、いずれにしても疑問なのは、「根をしめて~」の武道歌の記載についてである。

 山本教授の言を正しいとすると、石川家伝来の伝書以外に、複数の流祖直筆の伝書があり、そこには必ず「根をしめて~」の古歌が記載されているということになる。

 ところが、その山本教授の先行研究を受けて、武州一帯の柳剛流伝書を最も多く探し確認しているであろう辻先生が、石川家の資料以外、流祖直筆の伝書を見たことがない。

 そしてまた、石川家資料の伝書には「根をしめて~」の武道歌は、一切記載されていない・・・。

 はたして山本教授は、どこで「根をしめて~」の武道歌が記載されている、流祖直筆の伝書を見たのであろうか?

 しかも「必ずといってよいほど記載されている」ということは、その古歌が記載されている流祖直筆の伝書はひとつではなく、複数存在するということになるのだが・・・?


 なおちなみに、流祖以降、第二世代、第三世代の柳剛流師範家が書いた伝書類には、私が確認できた範囲内では、「根をしめて~」の武道歌を掲載しているものは、存在しないのである。

 当然ながら、私がこれまで確認している伝書の数はごく限られたものだ。ざっと数えると切紙が8つ、目録が10、免許が6つ程度なので、他に「根をしめて~」の武道歌が記載された柳剛流の伝書があることは否定できない。

 けれど正直、「あるのかなあ・・・?」と疑問を強くしている。

 そして、この「根をしめて~」の武道歌が記載された伝書がないのだとすれば、そもそも柳剛流の流儀名が、この武道歌をヒントに付けられたという説そのものが破綻することになる。

 それでは柳剛流という流儀名について、根拠のある由来はどこにあり、それはどのようなものなのだろうか?

 (つづく)
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