柳剛流の名称の由来についての疑問(その5)/(柳剛流)
- 2016/02/23(Tue) -
 さて、柳剛流の名称と「根をしめて~」の古歌との関係の話がようやくひと段落したところで、実際に根拠のある流名の由来について、いくつか述べておきたい。

 現在、流祖・岡田惣右衛門奇良の顕彰碑は、石巻、幸手、角田と全国で3ヶ所確認されている。このうち石巻と角田の石碑には、それぞれ流名の由来が記されている。

 曰く、

 「一家之法名曰柳剛流善以剛柔不可偏廃也(「柳剛流祖岡田先生之碑」。嘉永元(1848)年建立。宮城県石巻市)

 「一家法名曰柳剛流易所謂柔能制剛是猶柳枝之向風欲撓不撓欲断不断也」(「柳剛流開祖岡田先生之碑」。明治35(1902)年建立。宮城県角田市)


  流祖の没後22年目に建立された嘉永元年の石巻の碑文を意訳すれば、「剛柔の偏りを廃して柳剛流と称した」という、シンプルなものであろう。

 これに対して、それからさらに半世紀後に建立された角田の碑文を意訳すれば、「易経のいうところの柔よく剛を制すのごとく、柳の枝の風に向かい、よくしなり折れぬことをもって柳剛流と称した」ということになろう。

 なお蛇足ながら、『易経(周易)』を人生哲学の最高峰として長年学んでいる者として一言訂正しておくと、「柔能制剛」という故事の正しい出典は、易ではなく『三略』である。さらにその元は『老子』にある。『易経』そのものには、「柔能く剛を制する」といった具体的な文言はない。

 また、武州系の柳剛流師範家であった岡安家には、製作年月日不明の「柳剛流岡田先生画像記」が伝来しており、ここにも角田の碑文とほぼ同じ由来が記されている。


 それでは当流の伝書類には、流儀名の由来はどのように書かれているのだろうか?

 まず、流祖直筆の貴重な伝書である『石川家文書』の目録や免許には、「当流者元来心刀形流也」とした上で、次のように記されている。

 「有志深此術数年修行諸国試廣諸流以得其妙所故始而號柳剛流」(柳剛流剣術目録)

 「予此術有志年久諸国修行而始得其妙處也故今改号柳剛流」(柳剛流剣術免許巻)


 このように流祖直筆の伝書には、特段、流儀名の由来は記されておらず、単に「諸国を修行して得るところがあったので、柳剛流と名を改めた」と記すのみである。

 また柳剛流正統二代目である、角田伝の一條左馬輔が書いた切紙や目録、免許など複数の伝書類にも、私が確認したことのあるものには、流儀名の由来に関する具体的な記述は特になかった。

 一方で武州系第三世代の有力師範家である岡安派の伝書には、流儀名の由来がかなり具体的に書かれている。

 「一日泛舟於江水乍見柳枝舞風頓然有所悟躍然曰我術亦与柳枝同一理耳蓋進而未嘗進也退而未嘗退也、一動一静来去都隋風而無所自礙嗚呼陰陽剛柔之理於是乎尽矣是即我流名所由而起也」(明治33[1900]年、岡安派免許)

 「有感柳枝弱而能強也」(大正11[1922]年、岡安派切紙)

 このように流儀名の由来について、もっともイマジネーション豊かに記しているのが岡安派の免許の特徴であり、上記の免許のほか、明治17年、明治35年発行の他の免許でも、ほとんど同じ記述がある。

 それにしても、「ある日、舟を浮かべて柳の枝が風に舞うのを見て、云々」と情景描写をし、「嗚呼!」と感嘆まで記してしまうというのは、いささか情緒過多なのではなかろうか(苦笑)。

 一方で、同じく武州系第三世代の有力な師範家であった岡田十内系の免許や目録類には、こうした流儀名の由来に関する具体的・情緒的な記述は見当たらないようである。


 以上、顕彰碑や伝書などの資料を総合的に勘案すると、最も妥当な当流の流儀名の由来は、

 「柳の枝の風に折れぬ柔能く剛を制するの心を以って柳剛流と号し」
               (森田栄先生著『日本剣道史 第十号 柳剛流研究(その1)』より)


 ということになろう。

 その上で、「根をしめて~」云々の古歌や、「ある日、舟をうかべて~」などといったというディティールに関する話は、後年に付け加えられたものではないかと思われる。


 なお参考までに、埼玉大学の山本邦夫教授や、その後を受け継がれ埼玉県の武術史を調査・研究された同大の大保木輝雄教授は、当流の流儀名に関して、母体となった心形刀流にある二刀の一手「柳雪刀」の教えが関連しているのでないかという指摘をしている。

 「柳雪刀」は仕太刀が正二刀に構え、打太刀が我の左の小刀を打ち落とした刹那、踏み込んで右手の大刀にて斬るという業であり、松浦静山はその著書『剣攷』で、「これ必勝の機にして其刀の隕る柳上の雪狂風の之を払ふに似たり。知る可し。先哲の名を以って形容するを」と記している。

       *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  

 柳剛流の流儀名の由来について、5回にわたって考察してきた。

 このテーマについては、より正確を期するために角田伝や武州伝はもちろん、西国に伝播した紀州藩田丸伝、あるいはその他の地域にもあるであろう伝書や碑文、奉納額その他の記述を、さらに調査する必要があるだろう。

 が、とりあえずは今回をもって、本ブログでの私の考察はひと区切りとしたい。


 ■引用・参考文献
 『日本剣道史 第十号 柳剛流研究(その1)』森田栄/日本剣道史編纂所
 『幸手剣術古武道史』辻淳/剣術流派調査研究会
 『綱嶋家の剣術について』山本邦夫/浦和市郷土博物館研究調査報告書第七集
 『浦和における柳剛流剣術』山本邦夫/浦和市史研究第二号
 『埼玉県の柳剛流-その1-』大保木輝雄/埼玉大学紀要 体育学篇第14巻
 『一條家系譜探訪 柳剛流剣術』一條昭雄/私家版
 『角田地方と柳剛流剣術-郷土が誇る武とその心-』南部修哉/私家版
 『深井家文書』

 (了)
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