柳剛流に関する真偽不明の記事/(柳剛流)
- 2016/02/24(Wed) -
 柳剛流に関しては近年、実際に流儀を伝承し、かつ稽古と調査・研究を両立している立場からの情報発信がほとんどなかった。

 このため、書籍やwebなどで見られる柳剛流に関する情報の多くは、実技をまったく知らない人が資料だけに基づいて述べた的外れなものであったり、あるいは司馬遼太郎氏の小説に代表されるフィクションの記述に基づいた偏見に満ちたものがほとんだった。

 このため、さまざまな誤りや誤解、あるいは偏見が、あたかも事実のように流布されているのはとても残念なことである。


 もっとも、こうした誤りは近年に始まったものではない。

 たとえば、天保14(1843)年の『新撰武術流祖録』にある柳剛流の記述には、すでに誤りがある。

 また、江戸から明治にかけて柳剛流の剣士たち自身によって建てられた、幸手や角田、石巻にある流祖の顕彰碑にも、いくつもの誤った記述がみられる。

 あるいは明治40(1907)年発行の『雑誌并見聞録』や、同7(1918)年発行の『吉田村史』などの、柳剛流研究にとってたいへん貴重な郷土史の1次資料、昭和40年代に発行された『埼玉県郷土辞典』や『埼玉県教育史』などにも事実誤認が少なくない。

 こうした誤謬を少しずつでもよいから訂正し、正しい情報を記録として残していくことも、古流の武芸を学び次代に伝承する者の社会的な使命であろう。


 さて、私は今まで知らなかったのだけれど、無料ホームページサービスの草分け的存在だという「フリーティケットシアター」というのがあるそうなのだが、それが来月いっぱいで全サービス終了、サイト閉鎖になるそうな。

 で、この「フリーティケットシアター」のホームページに、なにやら辞典風の記述で、柳剛流についてまとめているページがあり、それがwebで「柳剛流」と検索すると、結構上位で出てくるのである。

 ところがその内容は、間違いや真偽不明の情報だらけで、まさに「びっくりポンだす!」。

 まあ、3月いっぱいで消滅してしまうということなのでよいのかもしれないが、せっかくなのでここに引用し、「負の記録」として残しておこうかと思う。

~以下、引用~

柳剛流
 江戸時代後期の剣客・岡田総右衛門奇良(よりよし)が開いた剣術流派。
 彼は武州葛飾郡惣新田に生まれ、心形刀流伊庭軍兵衛に剣を学んだ後、諸国を遍歴。川辺の柳が強い風に吹かれながらも倒れないのを見て翻然として悟り、江戸に帰って神田お玉ヶ池に柳剛流道場を開いた。その極意は「断脚」と言う相手の脛を払う剣技であり、当初防ぐ手段を持たなかった他流派は悉く敗北したと言われている。柳剛流は江戸・関東を中心に大いに流行し、門弟の数は一時四千人を数えた。
 しかし二代目月島左馬之介の代に至って北辰一刀流門下の千葉栄次郎が対策を編み出すと、その不格好さを嫌われて衰退してしまい、お玉ヶ池を立ち退いて神楽坂の筑土八幡前に道場を移す事となった。確かに、恥も外聞も無くひたすら相手の臑ばかり切りつけるというのは格好の良い事ではないが、実戦剣術を求めるやくざ等には根強い人気が残り、例えば清水次郎長等はこの流派である。有名な門弟には、上述の清水の他にも幕臣の松平上総介忠敏が居る。
 此の流派の奥義は相手の臑を払う「跳び斬り」。此の流派では稽古の際には跳び斬りの練習用に臑当てを付け、使用する刀も定寸より二寸長く、其の分に諸刃の刃を備えた特殊な剣を使い、刃を返さずに切り返す。
(「フリーティケットシアター」ページより。http://page.freett.com/sukechika/ishin/kaisetsu/ryuugou.html)

~以上、引用終わり~


 さて、いったいどこから訂正したらよいか・・・。

 それよりなにより、この一文を書いた奇特な人は、いったいどんな資料を参考にして書いたのか、なぞは深まるばかりである。

 では、この文章に関して、ぱっと見てあきらかな誤りや真偽不明の内容部分を列挙し、それぞれに疑問や訂正を加えてみよう。


1.「江戸時代後期の剣客・岡田総右衛門奇良」←正しくは、流祖の名は「惣」右衛門。
2.「心形刀流伊庭軍兵衛に剣を学んだ後」←正しくは、流祖の師は大河原右膳。
3.「その極意は「断脚」と言う相手の脛を払う剣技」←断脚之術は当流技法の根幹のひとつではあるが、いわゆる「極意」ではない。
4.「他流派は悉く敗北したと言われている」←出典は?
5.「二代目月島左馬之介」←この人、誰?
6.「その不格好さを嫌われて」←出典は?
7.「衰退してしまい」←、むしろ明治にかけて、ますます興隆してるんですが・・・。
8.「お玉ヶ池を立ち退いて神楽坂の筑土八幡前に道場を移す事となった」←出典は?
9.「恥も外聞も無くひたすら相手の臑ばかり切りつける」←出典を!
10.「実戦剣術を求めるやくざ等には根強い人気が残り←出典・・・・・・は?
11.「例えば清水次郎長等はこの流派である」←・・・・オネガイシマス、出典を?
12.「此の流派の奥義は相手の臑を払う「跳び斬り」」←脚斬りは当流の根幹技法だが、「奥義」ではない。
13.「使用する刀も定寸より二寸長く」←嗚呼、出典・・・・・・?
14.「其の分に諸刃の刃を備えた特殊な剣を使い」←使いません。
15.「刃を返さずに切り返す」←切り返しません。

 ・・・・・・、ふう。

 要するにこの記事は、そのほとんどが間違い、あるいは根拠不明の伝聞に基づいて書かれたもののように思われる。

 もちろん、私は柳剛流に関するあらゆる資料を確認しているわけではないので、上記記事の出典不明の部分は、どこかに根拠となる質の高い資料があるのかもしれない。

 そうれあれば、ぜひ確認してみたいと思う。

 たとえば、清水の次郎長が柳剛流をたしなんでいたという記述は、私も以前、あるところで目にしたことがあり、いずれ真偽の確認をしてみたいなと思っていたテーマではある。

 しかし、それ以外の出典不明の部分については、ほとんど根拠のない伝聞なのではないかというのが私の正直な感想だ。


 なにはともあれ、記録となる文章を書くときには、出典や引用・参考文献はしっかり明記しようぜ。ほんと、たのむよマジで。

 ■参考文献
 『日本剣道史 第十号 柳剛流研究(その1)』森田栄/日本剣道史編纂所
 『幸手剣術古武道史』辻淳/剣術流派調査研究会
 『戸田剣術古武道史』辻淳/剣術流派調査研究会

 (了)
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