300回/(身辺雑記)
- 2016/02/28(Sun) -
 先週末、翠月庵での稽古から帰ってきて、掲示板の稽古日誌を書こうと思ったら、今回で通算300回目の稽古であった。

 稽古場ではいつも通りに手裏剣術と、今回は私は神道無念流の立居合を集中して行っていたので、特別普段と変わることもなく粛々と稽古を終えたのだけれど、それはそれ、庵主としては「300」という数字はそれなりに感慨深いものがある。

 8年半で300回というのは、月平均で約3回ということで、まあ実感としてもそんなもんだったろうなという感じだ。

 自分自身の稽古は、基本毎日行うことを心がけているので(といっても実際は、多忙や外出および泥酔などでサボる日も少なくないので、年間で平均すると150日~200日弱というところだが・・・・・・)、稽古場での稽古が月平均3回というのは、ちょっと少ないかなとも思う。

 しかし、何しろ手裏剣術の稽古というのは、近所の体育館の個人使用枠や、地元の公園の隅などではできないので、いたしかたないともいえよう。


 ところで当庵は、個人のお宅の庭の一角をお借りしている野天道場なのであるが、私はこの環境が気に入っている。

 武術・武道の稽古というと、一般的には板の間の稽古場、あるいは最近では体育館の武道場やコートというイメージが普通だろう。時代劇などでも、いかにも「道場」といった屋内での稽古が描写されている。

 ところが江戸の昔は、試合剣術が興隆した幕末になってさえも、地方の流儀の多くは野天で行うことが多かったという。

 実際、たとえば柳剛流深井派の稽古場は、3間×3間半ほどのスペースであったというので、とても何人もが同時に稽古できるような広さではない。このため多くは、広い庭などで稽古をしていたと考えられる。

 野天道場のよいところは、運足や「場の次第」についての学びが多いことだ。

 それほどデコボコしていない地面でも、ちょっと小石があるだけで板の間のようなすり足はできないことが実感できる。あるいは、よく「太陽を背にして云々」といった心得があるが、夕暮れ時など、本当に西日に向かうと、まぶしくて何も見えない。

 風の日、雨の日、ぬかるみや露にぬれた草地の滑りやすさ、あるいは股立を取ることの実用性などは、管理された板の間の稽古場では、なかなか実感できないのではなかろうか。

 ・・・・・・、というのは多分にやせ我慢が混じった感想だけれども(笑)、ガルパンおじさん風に言えば、

 「野天稽古はいいぞ」

 ということで、また来週から400回目、500回目の稽古を目指して、粛々と励んでいこうと思う。

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(おしまい)
 
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