柳剛流の奉納額(その1)/(柳剛流)
- 2016/03/26(Sat) -
 武術の奉納額は、流儀の繁栄と武運長久を願って寺社仏閣に献じられたものである。

 柳剛流の奉納額は現在全国で3つが確認でき、1つは三重県、残りの2つはいずれも埼玉県にある。そこで、埼玉県内にある柳剛流の奉納額がどのような状態なのか現地を訪ねてみた。

 まず1つは、さいたま市緑区にある氷川女体神社である。

1603_氷川女体神社1
▲大宮氷川神社・中山神社と合わせて、武蔵国一宮となる氷川女体神社


 山本邦夫氏が昭和55(1980)年に執筆した『綱嶋家の剣術』という資料によれば、ここには幕末から昭和にかけて現在の埼玉県浦和地区で5代に渡って柳剛流を伝えてきた師範家・綱嶋家が、大正2(1913)年に献じた奉納額があるという。

 資料によると、その奉納額は綱嶋家3世の綱嶋喜助元教またはその長男で剣4世の俊平元光が献じたもので、中央に2本の木太刀が掛けられた額には、60名におよぶ綱嶋師範家の門人の名前が記されている。

1603_山本氏資料
▲山本邦夫氏執筆の『綱嶋家の剣術』に掲載されている奉納額の写真


 氷川女体神社は、JR武蔵野線東浦和駅からバスで10分、徒歩8分ほどの場所にある。周辺は静かな住宅地で、その中にこんもりと樹木が茂った一角が残され、ここに寛文7(1667)年に江戸幕府4代将軍徳川家綱によって再建された本殿がある。

 歴史を感じさせる建物をぐるりと回りながら観察するも、柳剛流の奉納額らしきものは見つからない・・・。

1603_氷川女体神社2
▲本殿の軒下には、文字が完全に消え去ったやや小さめの奉納額らしきものが1つあるだけだ


 神社の関係者だという男性に話を聞いてみると、「以前はそういう奉納額があったが、文字が消えて読めなくなってしまったので、はずして屋内にしまってある」という。

 それを見ることができますかと問うと、「公開はしていない」とのことであった。

 それにしても、奉納額を外して非公開にする理由が、「文字が読めなくなったから」というのは、いかがなものか。

 仮に文字が読めなくなってしまったとしても、もともと献じられている場所に、奉納された時のまま掲げておくのが、歴史的文化財の本来のあるべき姿ではなかろうか?

 かつて、大宮氷川神社の神職・岩井兵部は柳剛流深井派で剣を学び、その名は万延の『武術英名録』に記載されるほどであったというのに、今となっては流儀の貴重な遺産である奉納額を、「文字が消えたから、しまっている」と、木で鼻をくくったような対応というのは、草葉の陰で岩井も泣いていることだろう。

 氷川女体神社に奉納された額について、山本氏執筆の資料では、記載されている門人の名前が採録されているのみで、その他の記述の翻刻などはなく、今回の現地訪問で詳しい内容を知りたかったのだが、残念ながら無駄足に終わってしまった。

 これについては後日、当該自治体の教育委員会など文化財保護等を担当する部署に、現状の保管状況や記録の有無などを改めて問い合わせてみようと思う。



 氷川女体神社に奉納額を献じた柳剛流師範家・綱嶋家は、初代である綱嶋武衛門尉源元治が、流祖・岡田惣衛門奇良の高弟である松田源吾義教から柳剛流を学んで以来、剣5世となる綱嶋猪吉光降まで、およそ140年に渡って柳剛流を受け継ぎ浦和地区で教線を張ってきた。

 しかし現在、その道統を受け継ぐものは残念ながら一人もいない・・・・・・。

 なお現在、綱嶋家には、天保2(1838)年に松田源吾が綱嶋武衛門に出した「柳剛流剣術目録巻」や「神文帖」が、『綱嶋家文書』として残されているという。

 この「柳剛流剣術目録巻」は、流祖の直弟子である第二世代の柳剛流師範である松田源吾が記した貴重な資料である。

 そこには「当流柳剛刀也」として、飛龍剣、清眼右足刀、清眼左足刀、無心剣、中合刀、相合刀の6本、さらに口伝・秘伝として小刀伝、二刀伝、槍・長刀入身秘伝、備十五ヶ条フセキが記されている。

 柳剛流の目録での教授内容は、各世代や地域によって異同が少なくないのだが、この松田源吾の記した目録の教授内容は、武州系の柳剛流第三世代の師範家である岡安派や岡田十内派、あるいは仙台藩角田伝の各伝書と完全に一致しており、術技や口伝の異同や増減はまったく無い点は、注目すべきであろう。



 このように、氷川女体神社での柳剛流奉納額の確認は空振りに終わってしまったが、埼玉県内にはもう1つ柳剛流の奉納額がある。

 これを確認すべく、浦和から春日部に向かった。

 ■参考文献
 「綱嶋家の剣術について」山本邦夫(浦和市立郷土博物館研究調査報告書 第七集)

 (つづく)
スポンサーサイト
この記事のURL | 柳剛流 | ▲ top
| メイン |