手裏剣術の演武/(手裏剣術)
- 2016/03/30(Wed) -
 春の恒例である、苗木城武術演武会が、10日後に迫ってきた。

 苗木城での演武は今年で5回目となるが、手裏剣術の演武というのは何回やっても緊張するものだ。

 思えば、自分が初めて手裏剣術の演武を行ったのは、2007年に行われた香取神宮での奉納演武だった。このときは、約50人の居合術家たちの前で、2間打ちや刀法併用手裏剣術を行った。

1603_香取演武
▲9年前の香取神宮奉納演武。打剣の構えも使っている手裏剣も、今とはまったく異なっている


 以来、演武や講習会、出張指導や交流稽古などで、何度となく人前で打剣を披露しているが、何度やっても慣れるということはない。

 なにしろ手裏剣術の演武は、刺さるか刺さらないかが一目瞭然、ごまかしのまったくきかないものである。おまけに見る人は、必ず百発百中だと思っているので、一打でも失中すると術者の心は多いに乱れる。

 また、これは手裏剣術を稽古した者にしか分からないことだが、打剣というのはたいへんにメンタル面の影響が大きいもので、他者の視線の有無だけでも、離れや押さえなどの操作が大きな影響を受けるのだ。

 だからこそ手裏剣術者にとって、演武はある種の「真剣勝負」であり、絶対に欠かすことのできない修行の一環なのである。

 ところが、なかには失中で恥をかくことを怖れて、衆人環視の中での演武を避けようとする手裏剣術者もいる。

 思うに、不特定多数の、しかも武術の素人の前でさえ打剣を披露したことがないという手裏剣術者は、しょせんは嘴の黄色いヒヨコ、いわば道場剣法のレベルである。

 素人ではなく、一定の業前を持つ他流の武術家たちの前で術を披露するだけの「胆(ハラ)」が備わって、ようやく手裏剣術者として一人前というところだろう。

 私はこれまで、普段の稽古では4~5間を楽々と通す有名手裏剣流派の師範たちが、公衆の面前での演武では1間半や2間で失中するのを何度も見てきた。同様に自分自身も、普段は4~5間で稽古しているにもかかわらず、演武ではたかが1間半や2間で何度も失中した経験がある。

 ことほどさように、手裏剣術とはごまかしのきかない、難しい、厳しい武術なのである。

 だからこそプレッシャーの多い、人前での演武は、手裏剣術者の大切な修行なのだ。

 失中を怖れることなく、どのような場所でも我が天真をこの一剣に込めて、生死一重の間合から渾身の一打を打ち込むのである。

 これこそが、手裏剣術における「直通の位」への入り口となるだろう。

2012.4.14_苗木城武術演武会1
▲4年前の苗木城での演武。


               「打つ人も打たるる人も打太刀も
                     心なとめす無念無心そ」 (柳剛流 道歌)


 (了)
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