伊豆の神道無念流/(武術・武道)
- 2016/05/20(Fri) -
 4月下旬から5月中旬まで、長らく伊豆に滞在していた間も流れ武芸者としての本性が抑えきれず、母の介助や看取りの合間に病院の屋上などで柳剛流や柳生心眼流の稽古をしていた。

 さすがに手裏剣は打たなかったが、われながら業の深いもんである・・・・・・(苦笑)。

 そんな中、修善寺にある書店の郷土史コーナーで、『伊豆の郷土研究 第22集』(田方地区文化財保護審議委員連絡協議会/平成9年)という論文集を見つけた。

 その中に、旧韮山町(現在の静岡県伊豆の国市)在住の大原美芳氏による「幻の精武館(韮山における神道無念流)」という記事が記載されていたので、以下に紹介したい。

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▲19年前にまとめられた論文なので、追加調査をしてみるのも面白いかもしれない


 伊豆韮山の代官であり、幕末における西洋砲術の第一人者であった江川太郎左衛門英龍(担庵)といえば、庶民から「世直し江川大明神」と呼ばれるほどの名代官として、伊豆地方ではその名を知らぬ者のない大偉人である。

 その担庵だが、文政元(1818)年、江戸にて神道無念流・岡田十松の門下となり後に免許を許されていることは、武術関係者のほかには意外と知られていない。

 そして、この岡田十松門下で担庵の兄弟子であったのが、幕末を代表する大剣客である斉藤弥九郎(篤信斎)である。

 篤信斎は、担庵の命により大塩の乱に揺れる大阪の探索に出向いたり、担庵とともに刀剣商に扮して甲州の民情視察に赴くなど、手代(政治顧問)としても多いに活躍をしたことでも知られている。

 この篤信斎には、妻・岩との間に六男一女の子息があった。

 長男の新太郎は廻国武者修行で名を馳せ、後に「弥九郎」の名を襲名した。また三男の歓之助は、「突きの鬼歓」の異名をとった幕末の有名剣客である。

 篤信斎の息子と言えば、この長男と三男が良く知られているが、残りの4人の息子たちのことはほとんど語られることがない・・・・・・。

 さて、幕末から明治にかけて、江川担庵の本領である伊豆韮山に「精武館」という道場を構え、神道無念流の指南を行ったのが篤信斎の四男・斉藤四郎之助善孝である。

 四郎之助が、いつ誰の招きによって伊豆韮山に来訪し、道場を構えて神道無念流を指南するようになったのかについて、はっきりしたことは分かっていない。しかし担庵と篤信斎の関係を考えれば、双方の命を受けての伊豆での剣術指南であったことは容易に想像できる。

 また四郎之助の「精武館」は韮山のどこにあり、どれくらいの門弟が稽古をしていたのかについても、詳細は時代の波間に隠れてしまい明らかにはなっていない。

 しかし現在、担庵の旧家臣の家に神道無念流の目録が2つ、当地の名主であったS家に目録、順免許、免許の3つの伝書が伝えられている。このうちS家の順免許と免許には、伝授者として四郎之助の名が記されており、また免許の伝書には「精武館」の名を見ることができる。

 これらの伝書の記載と当地に残る戸籍関係の書類から、少なくとも元治(1864)元年から明治22(1889)年までの25年間、四郎之助は韮山に在住し、神道無念流の指南をしていたことが分かる。

 その後、伊豆韮山から大阪へ転居した四郎之助とその家族の行く末は、なにも知ることができないという。

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 私は現在、小佐野淳先生より仙台藩角田伝柳剛流と合わせて、八戸藩伝神道無念流立居合も学んでいる。

 思えば今から120年以上前、我が故郷である伊豆地方で神道無念流が指南されていたこと、そしてその業を今、伊豆で生まれ育った自分が稽古していることを思うと、いささか感慨深いものがある。


 なお大原氏の記述によれば、四郎之助の父である篤信斎は、「斉藤弥九郎」と改名する以前は岩島伝九郎と名乗っていたという。そして伊豆韮山の本立寺には、酒の徳利の形をした「伝九郎墓」という墓碑が残されている。

 この墓碑には、「秋詣道場」「天保七年九月二十四日」という文字とともに、次のような狂歌が記されているという。

 「花の世に酒にくらしてついにまた実のなるはても徳利になる」


 その上で大原氏は、この墓碑について次のように記している。

 「この墓は一般の人の死後の墓ではない。刻されている文字から判断すると、天保七年九月二十四日、秋に道場に来た。酒好きの伝九郎は酒をたち、これからは伝九郎ではなく斉藤弥九郎として生きていく。伝九郎から弥九郎にかわる記念碑のように思われる」


 ■参考文献
 『伊豆の郷土研究 第22集』(田方地区文化財保護審議委員連絡協議会/平成9年)
 『戊辰物語』(東京日日新聞社会部編/岩波文庫/昭和58年)

 (了)
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