柳剛流突杖の体術への展開/(柳剛流)
- 2016/06/01(Wed) -
 この春、水月塾本部にて小佐野淳先生より、柳生心眼流の素振りの手ほどきをしていただくことができた。

 以来、日々の自分の稽古では、まずこの素振りからはじめ、その後、柳剛流や神道無念流、手裏剣術などの稽古に入るようにしている。

 柳生心眼流の素振りといえば、その体動がそのまま体術の動きとなり、また各種の武器術の動きにもなるというのは良く知られている。

 思うに、剣術にしても槍・長刀などその他の武具を扱う武術にしても、一定の心得のある者が工夫・応用すれば、それらの動きはいずれもある程度体術に展開できるだろう。



 過日、そんなことをつらつらと考えながら、柳生心眼流の素振りを一通り行った後、柳剛流の突杖の稽古に移ったのだが、ふと「突杖の動きは、そのまま体術に展開できるな」と直感的に感じ、自分なりに工夫や検討を加えるようになった。

 突杖の形における打方は剣であるが、その動きを徒手による打ち込みや突き、あるいは胸取りの想定に置き換え、仕方も素手で対応すると考える。あるいは、打方は剣で仕方は素手という、無刀取りの想定でもよい。

 すると、いずれの形も体捌きや運足をまったく変えることなく、手と腕の捌き方も杖の扱い様とほぼそのまま、わずかに間積もりに工夫を加えるだけで、徒手対徒手や剣対徒手の体術に展開できるのである。

 思うに柳剛流の突杖(杖術)の業は、別名「突之刀法」とも呼ばれるように、いずれも「捌く」→「入身して突く」という、たいへんシンプルな構造となっている。こうした業の構造の素朴さゆえに、柳剛流突杖は、「捌く」→「入身して当て」という体術に容易に展開可能なのではなかろうか?

 たとえば突杖2本目の「ハズシ」などは、相手の打込みや突きに対して、こちらは差し手で入り身し当て身で極めるといった具合に、そのまま展開することができる。



 このような、形の創作的な応用や展開は、場合によっては流儀本来の教えから逸脱することもあるので、それを稽古の本義とするものではないが、ある種の「頭の体操」として工夫してみるのは、己の芸の幅を広げることにつながるのではないかと思う。

 (了)
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