新型インフルも手裏剣も、み~んな真偽は藪の中・・・/(身辺雑記)
- 2009/05/22(Fri) -
 月曜~火曜と、地方での日帰り取材にでかけたあと、感冒悪化。臥せってしまい、ようやくいまさら復調。結局、土曜に自覚した上気道の炎症から日曜に熱発、小康、悪化、回復と、1週間もかかってしまった。

 その間、都内では女子高校生がH1N1の初感染例として報道された。

 がしかし、考えてみれば、オレもこんな時期に1週間も臥せってしまうほどの感冒にかかってしまったものの、治療を受けずに自然治癒させてしまったので、はたしてこれが急性鼻咽頭炎(普通感冒=いわゆる風邪)なのか、新型インフルエンザなのか、真偽は藪の中である。ま、いまからでも遺伝子検査を受ければ分かるんだろうが。

 それにつけても、マスクパニックは都内にも蔓延しているようで、うちの近所の薬局やコンビニでも、軒並み品切れ。石油危機の際のトイレットペーパーや、平成の大凶作の際の米不足を彷彿とさせるものである。

 ちなみに、WHOもCDCもECDCも、新型インフルエンザの「予防」については、マスクはあまり重視していない。あくまでも、「感染した場合、患者が周囲にウイルスを飛散させないように、またその患者のケアをする医療者がウイルスに曝露しないように装着する」もので、「予防」の一環として感染していない人にマスク着用を推奨しているのは、日本くらいなのだろう。おかげで海外では、今回の新型インフルエンザを「ジャパン・フル(日本風邪)」と呼んでいるとかいないとか。

 これについて、エリカ様のダンナが国際人ヅラして批判して、逆にブログ炎上しているともいう。

 市村おもえらく、日本人はそもそも「ハレ」と「ケ」の境涯で生活史を送る民族であり、穢れを極端に忌む。まあ、だからこそ、殺生を専門とする武人集団=さぶらう人々(武士階級)が生まれた・・・というのは、いささか話題がずれるので今回はしないけれど、そういう視点で考えれば、日本人の過度な衛生志向というのは、これはもう固有の民族性であり、毛唐どもにとやかく言われる筋合いはないわけだ。

 インド人が牛肉を食わないとか、イスラム教徒が豚肉を食わないのとか、中国人がところかまわず痰を吐くのと同じことである。

 そういう民族的背景を知ってか知らずか、おちょぼ口で「日本人のマスク騒ぎは世界的に見たら異状」とか言うことが、国際的な人間の証などと誤解しているから、ブログとか炎上しちゃうわけで、そんなにガイジンに媚びたいのなら、一生日本に帰ってくるな。日本語をしゃべるな。国籍を捨てろ。肌漂白しろ、お前はマイケルか? と、声をだして小一時間ほど問い詰めたいところである。

 ま、ハイパーメディアクリエイターに対する、フリーライターのひがみですがネ(笑)。

 しかし、なんでロハスを声高に語る人とか、自称国際人とか、社民党支持者とか、ゴミ出しの分別になるととたんに張り切る人々というは、みんな「おちょぼ口」な顔のイメージなのだろうか・・・?


                        ※  ※  ※  ※  ※  ※


 無冥流の鈴木崩残氏が、手裏剣界では知る人ぞ知る、「利根川神話」について、実地で考察されています。(http://www.mumyouan.com/k/matunoma.html

 これは、非常に熟練した手裏剣の業前を持っていらっしゃる崩残氏だからこそ実地で検証・考察できるもので、これは謙遜でもなんでもなく事実として、私のようなヘタクソでは到底できません。

 ところで、この「利根川神話」なんですが、私は白上一空軒著『手裏剣の世界』で読んだのですが、それ以外の媒体で記述があるのだろうか? 成瀬関次著『手裏剣』などにも、同様の記述があるのだろうか? どなたかご存知の方がいらっしゃいましたら、市村宛にメールか掲示板への書き込みなどで教えていただけるとありがたいです。

 つうか一応、手裏剣が表看板なんだから、基礎的テキストである『手裏剣』くらい買っとけと、自分でも思うのだが、なかなか縁がないようでねえ・・・。

 とまあ、そういうわけで、以下は、この「利根川神話」の初出が白上さんの『手裏剣の世界』であると仮定した上での推論である。

 無冥流の崩残氏が動画でも指摘しているとおり、打った手裏剣が的に刺さっている手裏剣の剣尾に刺さるという現象は、実はそれほど珍しいことではない。私自身、少なくともこの3年間で2度見た(1度は自分の打剣、もう1回は他人の打剣)。これらのケースは、剣尾に穴があいている無冥流の重量剣(前重心)を使っていた際に起きたもので、的に刺さっている剣の剣尾の穴に、打った次の手裏剣がすっぽり入った。

 このように、普段から日常的に手裏剣を300打とか500打とか打っているものなら、数年に1回くらいは、「偶然」に起こる現象であろう。

 しかし、これまた崩残氏が指摘していることだが、これを「意図的」に、「狙って」やろうと思ったら、これは超級に難しくなるであろうことは論を待たない。しかも「利根川神話」では、それを暗闇の中で、2打ぽっきりでやったとういうのだから、まさに武術オタの皆さんが大好きな達人伝説のいっちょうあがりであろう(笑)。

 ただし実際のところ、現場を見た人も、それを行ったという人も鬼籍に入り、詳しい状況設定などの情報もない今となっては、真偽は藪のなかであることもまた厳然とした事実である。

 さてここで、この「利根川神話」の達人伝説としてのツボは2つ。

 まず第一。

 「それが、絶対に不可能ではなさそうである」ということ。

 つまり、偶然であれば、われわれ一般の手裏剣術者でも、数年に1回くらいは直面する出来事であるが、それを意図してやろうとすれば、神業的に難しい。この「できそうで、できない」感が、なんとも適度な求心力を持つ。

 これが仮に「空を飛んでいる隼を手裏剣で落とした」とか、「数十間先の完全武装の鎧武者(もちろん、面頬もつけてますぜ!)を手裏剣で殺害した」とかいうことなら、「まあ、科学的に考えれば1200パーセント妄想でしょ(笑)」と、わりあい簡単に断言できるわけだ。

 しかし、この「利根川神話」は、剣尾に次の剣が刺さるという、できそうでできない感が、なんともむず痒く、達人幻想を誘うのであろう・・・。

 第二。

 「そもそも誰が言い出したのか?」ということ。

 先にも記したが、仮にこの話の初出が『手裏剣の世界』だとしよう。この本の初版は1976(昭和51)年である。

 その上でこの、「暗闇で打った2本の手裏剣。先に打った手裏剣の剣尾に次の剣が刺さっていた!」というストーリー・・・。 これって、どこかで聞いたことがあるような・・・、それも手裏剣じゃなくて弓道で・・・。

 そう、これってオイゲン・ヘリゲルの『日本の弓術』の中に記されている、ヘリゲルの師であり「一射絶命」の言葉で知られる弓聖・阿波研造師の有名なエピソードと、シチュエーションも内容も、まったく同じなんだよねえ。

 そしてちなみに、『日本の弓術』の初版は、1936(昭和11)年。

 う~ん、これって単に、白上さんが弓道のエピソードを手裏剣に置き換えた? 

 いや、もっとはっきり言えば、ぱくったんじゃねえの、単純に。

 まあ、白上さんも彼岸に渡って久しいし、これまた真偽は藪の中なんですがね。

 現役の根岸流の人とかには、この達人伝説がどのように伝わっているのか気になるところだが、知り合いがいないので、なんともいえませんなあ。


 まったく、インフルエンザも手裏剣も、とかくこの世の真偽は藪の中と・・・。

 (了)
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