晴耕雨読/(身辺雑記)
- 2016/08/20(Sat) -
 今日は朝から雨。

 「翠雨」を雅号にしているくらい、個人的に雨は大好きなのであるが、こと稽古と取材に関しては、雨というのは好ましくない。

 なにしろ当庵は野天道場のため、雨が降ると稽古ができないのである・・・・・・。

 その上で、当庵の門下は全員県外在住者(!)であり、皆さん片道2~3時間もかけて稽古に来るため、天候がよくない場合は、稽古を実施するか、中止にするのかの判断は、当日の午前中に判断して連絡しなければならない。

 一応、10~11時までには判断をし、出席予定者に連絡するようにしているのだが、中途半端な天気の場合、ぎりぎりまで判断に迷う。

 なにしろ、高い交通費を払って来てもらって、稽古場には着いたが稽古はできないというのは、たいへん申し訳ない。

 一方で、多忙な日々の中、せっかく時間を作ってくれたのに、当日になって急遽中止というのもたいへん申し訳ない。

 ということで、天気の悪い日はぎりぎりまで、「やるか」「やらないか」の判断に難渋するわけだ。


 野天道場というのは、こうしたデメリットがある反面、屋内の道場稽古では実感することのできない、武芸のリアルを実感しながら稽古ができるのが大きなメリットだ。

 その最大のポイントは、運足である。

 よく言われることだが、屋外では、床張りの道場でよく行われるような、滑るような摺り足はできない。これはてきめんに感じることで、凹凸のある地面はもちろん、かなりよく整地された平らな地面でも、踏むまで気づかないような小さな石ころが1つあるだけで、屋内道場風の滑らかな摺り足の場合、運足が滞ったり拍子が乱れたりする。

 それどころか、結構つまづく人も少なくない。

 こうした運足の乱れや滞りは、武芸の立合いでは致命的なものだが、野天で稽古をしたことの無い人には、なかなか実感できないのではあるまいか。

 「足のはこびやうの事、つまさきを少しうけて、きびすを強く踏むべし。足づかいは、ことによりて大小・遅速はありとも、常にあゆむがごとし」

 と、『五輪書』にあるが、まったくその通りだと実感できる。


 また、武術の教えに、「屋外では太陽を背にせよ」とか、「風上に立て」などといものがある。

 これらもまた、野天稽古ではしみじみ実感できることだ。

 朝や夕暮れ間近など、日差しが斜光の場合、太陽が視線に入る位置に立ってしまうと、本当に相手や的が見にくくなる。あるいは風の強い日などは、風上に立つのが圧倒的に有利だ。

 そのほかにも、朝露にぬれた草地はたいへん滑るとか、ぬかるんだ地面ではリズミカルなフットワークは使えないとか、股立ちは必ずとった方がいいとか、着装で大事なのは足ごしらえだ、などというのは、野天稽古でないとなかなか感得できないことであろう。


 というわけで、本日はこれから酒でも飲むか、シン・ゴジラでも見に行くか、いやいや、家で稽古か・・・・・・。

 泣く子と雨には、かないません。

無邪気な雨


 (おしまい)
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