史料の誤読から生まれた、白井亨を祖とする「白井流手裏剣術」/(手裏剣術)
- 2016/09/27(Tue) -
■文末に追記を加えました(2016.9.28)


A様

 お問い合わせいただいた、白井流手裏剣術と白井亨の関係につきまして、私はこれまであまり気にしていなかったのですが、少々調べてみました。

 結論から申しますと、

天真白井流の白井亨を祖とする「白井流手裏剣術」なるものは、根岸流の3代目であった成瀬関次氏の史料の誤読によって生まれた、事実上の創作流儀である可能性が高く、白井亨とは関係が無い

 と思われます。

 まず、一般的に白井流手裏剣術は、成瀬氏が根岸流とともに伝え、その後、白上一空軒氏がその道統を受け継いだと認識されています(昭和60年発行『日本古武道振興会創立50周年記念 日本古武道大会パンフレット』より)。

 そこで、成瀬氏の著作『手裏剣』(昭和18年)を見ると、次のように記されています。

・昭和2年に根岸流の手裏剣を始めてから、他流として白井流を研究した。
・白井流は、ただその打ち方が伝わっているというだけで、詳しい伝統は不明である。
・『会津藩教育考』によれば、黒河内伝五郎が白井流手棒(ぼう)術というものを伝えており、それは手裏剣術と同時に用いたものらしい。
・黒河内の用いた手裏剣は、7~8寸の火箸のようなものだった。
・その投げ方は、右手に持ち肩に構えて踏み込みながら打ったとある。
・小銭の穴をねらって貫いたということから、近距離は直打で、遠距離は回転打であったろうと思われる。
・当時、江戸で行われていた白井流手裏剣術は、9尺以内直打、以上回転打であったといわれている。

 ここで重要なのは、

 1.成瀬氏は白井流を伝承したのではなく、独自に研究したこと。
 2.打ち方以外、伝統などは不明であることを明記していること。
 3.成瀬氏の白井流に関する知見は、そのほとんどが『会津藩教育考』によること。

 以上の3点です。

 そこで、国立国会図書館のデジタルライブラリで公開されている、昭和6年発行の『会津藩教育考』(http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1276804/314)を確認しましたところ、意外なことが分かりました。

 同書によれば、確かに黒河内伝五郎は、白井流手棒(ぼう)術と、手裏剣術を教授しています。

 ところがその手裏剣術については、「流儀名は不明」と、しっかりと明記されているのです。

 つまり成瀬氏は、白井流手棒(ぼう)術の記述に引きずられて、それを教授している黒河内が指導している手裏剣術も白井流であろうと誤読しているのです。

 さらに同書には、

 「七八寸の鉄釘のごときものを右手に持ち肩に構え踏み込みながら擲つ術なり」

 とあるだけで、

 「近距離は直打で、遠距離は回転打であった」とか、「当時、江戸で行われていた白井流手裏剣術は、9尺以内直打、以上回転打であった」、あるいは「手棒(ぼう)術と手裏剣術を同時に行った」などという内容は、まったく記されていません。

 当然ながら、成瀬氏が『会津藩教育考』以外の文献や口承から、こうした具体的な打ち方などを知った可能性は完全には否定できませんが、少なくとも同氏執筆の『手裏剣』においては、白井流手裏剣術の来歴に関して『会津藩教育考』以外に、他の根拠となる具体的な出典は示されていません。

 さらにいえば、そもそも成瀬氏の誤解の元となった「白井流手棒(ぼう)術」なるものについても、『会津藩教育考』には流祖名や伝系などは一切記載されておらず、「白井」という表記・文字のみが天真白井流の白井亨と共通しているだけにすぎないのです。


 以上の点に加え、

・これまで確認されている白井亨や天真白井流等に関連する史料や伝書には、手裏剣術に関する記述が皆無である
・昭和18年発行の『手裏剣』以降、成瀬氏周辺から白井流手裏剣術の伝承や来歴、白井亨との関連などを明確にする史料が示されていない

 といった事実も加味すれば、繰り返しとなりますが、

白井亨を祖とする白井流手裏剣術なるものは、成瀬氏の資料の読み違いから生まれた、事実上の創作流儀であり、天真白井流や白井亨とはまったく関係がない

 という可能性が極めて高いと思われます。

 これについては、手裏剣術や天真白井流に造詣の深い甲野善紀氏も、以前から同じように指摘しているということを、今回、調べる中で初めて知りました。
  (http://www.shouseikan.com/zuikan1009.htm)

 以上、駆け足のレポートですので、完全に断定はできませんが、ご参考にしていただければと思います。


 それにしても今回のご質問について、仕事の合間にPCと手元の史料を2~3時間ほど調べただけで、このように定説を強く否定する情報が得られました。

 にも関わらず、一度広まってしまった間違い、しかも斯界の権威である先人や流派が発信する誤った情報というのは、容易には訂正されないのかと思うと、伝統を受け継ぐ者は自らがその伝統を一度は疑ってみるべしという教えの重要性を強く感じました。

 またこうした武道史・手裏剣術史における重要な誤りの可能性について、成瀬氏の伝系を受け継ぎ日本の伝統的手裏剣術を代表する名門である根岸流周辺の方々から、その後まったく検証や情報発信がされていないであろうということ。

 あるいは他流や現代会派も含めた手裏剣術修行者たちからも、前述の甲野氏の指摘以外、これまでなんら疑問が呈されてこなかったというのは、本来あるべき古武道の正しい継承と公正な研究という意味で、手裏剣術者たる私自身への自戒も込めて、いささか残念に思いました。


 今回の調査を通して改めて、 「過ちては則ち改めるに憚ること勿れ」という古語に、思いを致した次第です。
 
 
 手裏剣術伝習所 翠月庵
 瀬沼健司 謹識

■追記
 本日(2016.9.28)、取材で新宿に行ったおり、紀伊国屋に立ち寄って甲野善紀氏の『神技の系譜』という新刊を手にとった。

 この本には手裏剣術に関する記述があるというのは、以前、ツイッターで流れていた情報で知っていたのだが、実際に読んでみるのはこれが初めてで、想像以上にページを割いていたのは意外であった。

 そして、同書の手裏剣に関する章において、白井流手裏剣術に関する記述があり、甲野氏はそこでも改めて、「白井流手裏剣術と白井亨は無関係」との主張をされていたことは、ここに改めて記しておく。

 当然ながら本ブログの拙文は、本文内でも触れているように、甲野氏の一連の主張については事前に知らずに、予備知識なく調べた結果を書いたものであることは、改めて強調しておく。
 
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