松代藩文武学校武道会 第22回 春の武術武芸会/(柳剛流)
- 2017/05/30(Tue) -
 先の土日は、国際水月塾武術協会の一員として、私は初めて「松代藩文武学校武道会 第22回 春の武術武芸会」に出場させていただいた。

 まずは27日(土曜)午後、現地で小佐野淳先生と関西支部の山根章師範と合流し、松代藩文武学校武道会平成29年度通常総会に出席。

 議事において、松代藩文武学校武道会の諸先生方を前に、新会員としてご紹介をしていただく。



 翌28日(日曜)、まず午前中は近隣にある象山神社に参拝し、午後から演武会が始まった。

 我が水月塾からは、まず小佐野先生と山根師範による、松代藩伝無双直伝流和の演武。次いで柔術渋川一流から柔術と三尺棒が披露された。

 その後、小佐野先生に打太刀をとっていただき、私が仕太刀を務め、いよいよ柳剛流の演武となる。

 剣術は切紙の「右剣」と「左剣」を、さらに免許秘伝の長刀からは「左首巻」、「右首巻」、「上段右足」、「刀勝」、「切上」の形を披露する。

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▲柳剛流剣術「左剣」


 江戸時代後期に建築され、実際に松代藩士たちが武芸の腕を磨いた、当時のままの本物の藩校の稽古場で、こうして柳剛流の業を披露させていただくというのは実に貴重な機会であり、これまでの演武とは違った心地よい緊張感がある。

 また、松代藩文武学校武道会では、毎年2回、春と秋に文武学校で演武会を開催しているのだが、春の演武については各流の師範のみが参加を許されるものであることから、他流の先生方が一堂に会する中での演武ということで、これもまたいつもの演武とは違った緊張感を感じさせるものであった。

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▲柳剛流長刀「右首巻」


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▲柳剛流長刀「上段右足」


 こうして柳剛流の演武は、まずは滞りなく終了。

 個人的には仕太刀として、いくつか課題を実感する点はあったものの、諸流の先生方の前で、なんとか見苦しい演武にはならなかったのではないかと、ほっと胸を撫でおろしている。

 今回感じた課題については、次回、秋の師範演武でしっかりクリアしなければという決意を新たに、五月の爽やかな風と歴史が薫る松代を後に、武州への帰路についた。

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▲松代藩文武学校武道会の先生方と共に、象山神社にて


 (了)
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柳剛流免許巻の教え/(柳剛流)
- 2017/05/24(Wed) -
 首と肩、背中の痛みは、引き続き加療中である。

 朝、鍼とマッサージをしてもらうと痛みはほぼ消失するのだが、それからず~っと机について原稿を書いていると、夕方にはまた、痛みがぶり返す。

 このため昨夜の稽古は、柳剛流剣術と長刀の形の確認、備之伝・備フセギ秘伝の考察に留め、軽く流した。

 その後、就寝前に、柳剛流の伝書をつらつらと読む。


 柳剛流の伝書は、各派によって様々な相違があるが、全体としては簡潔な記述のものが多い。

 印象として言うと、特に角田伝系の伝書は非常にシンプルな記述のものが多く、一方で武州の岡安伝系の伝書は比較的記述や内容が複雑になっているように思われる。

 角田伝の免許巻頭文と、流祖直筆と伝えられる石川家伝来の免許巻頭文を読み比べると、完全に一致していることが分かる。

 ソレ兵術拳法ハ業至ッテ利至ラザルトキハ足アリテ目無キガゴトシ。利至ッテ業心ニ至ラザルトキハ目アリテ足無キガゴトシ。理知圓カクノ者ヲ席トナシ術ノ至リトナス。コレニヨッテ武術者ハ身ヲ立テ家ヲ治メ仁孝忠ノ三第一。シカシテ教羽ノ肝要也。何ノ道ニアラズシテ弁舌博覧ニ勝ルヲ意ニ信トスルニアラズ。(柳剛流剣術免許巻)



 業に偏ってはならず、さりとて理に偏ってもならぬ。

 事と理と、そして心の一致をもって術の至りとなし、けして弁舌や博覧に優れることを目指すものではないというのが、流祖・岡田惣右衛門の素朴にして簡潔な教えだ。

 
 あるいはまた、殺活術を修めるに至った当流熟練の武芸者に対しては、粗暴のふるまいを厳しく戒めている。

 ソレ剣柔者ハ身ヲ修メ心を正スヲモッテ本ト為ス。心正シキハスナワチ物ヲ視ルコト明ラカナリ。コノ術ヲモッテタヤスク闘争ニ及ブハ我ガ党ノ深ク戒メル所ナリ。(柳剛流殺活免許巻)




 武技の錬磨を通して心身を涵養し人格完成を目指すというのは、近代武道の崇高な理念であるが、現実には多くの場合ほとんど実践できていない遠い理想でもある。

 しかし少なくとも、今日の稽古を通し、昨日の自分よりも僅かでも明日の己を高めたいと望むこと、「勁(つよ)い人でありたい」と願うことは、けして虚しいことはではないと信じたい。

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▲柳剛流長刀


 ■参考文献
 『増補・改訂 宮城県 角田地方と柳剛流剣術-日本剣道史に残る郷土の足跡-』(南部修哉/私家版)
 『幸手剣術古武道史』(辻淳/剣術流派調査研究会)

 (了)
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跳斬之術一考/(柳剛流)
- 2017/05/23(Tue) -
 一昨日の本ブログでは、「兵法のはやきといふ所、実の道にあらず」ということについてふれた。

 そんな折り、合気道家であり大森曹玄門下として直心影流を修めた剣客でもある、野中日文先生のブログの過去記事をつらつらと読んでいたところ、興味深い一文が目に留まった。


大陸で何人も人を斬ったという、村重さんという人がいた。ゆっくりと重くつかう人で、意外に思って「そんな速さですか?」「そう、こんなものだ。真剣を使う場では、さわぐな」これが秘訣のようだった。ベルギーで客死したが、ギャングに襲われたようだ。筆者はこの人に人の斬り方を教えてもらった。

「野中日文の垂直思考 武の世界からの直球・曲球」 阿部先輩のこと(2012/08/06)
http://nonakahihumi.blog.fc2.com/blog-entry-130.html




 今は剣で実際に人を斬る時代ではないが、こうした先達の箴言は十分に吟味する必要があろう。

 翻って我が柳剛流においては、その剣術は「跳斬之妙術」とも呼ばれ、斬撃に飛び違いを用いることを特長とする、いわば軽快・迅速な剣である。

 こうした点で、野中先生がご指摘されている、「ゆっくりと重くつかう」こととは、一見、対極にあるように思われる。

 しかし、柳剛流の剣における軽快さや迅速さは、たんなる形而下の軽さや早さであってはならないと、私は考える。

 流派を問わず、剣術の第一義が「殺人刀」である以上、我が跳斬之術も、軽快だが重く、迅速だがゆっくりとした、「さわがない太刀」であるべきであろう。

 これをどう、己の「形」=「術」に体現していくのかが、稽古における大きな課題だ。

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▲柳剛流剣術「左剣」


 (了)
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柳剛流殺活術 五ヶ所大當/(柳剛流)
- 2017/05/19(Fri) -
 総合武術である柳剛流には、流祖以来、免許秘伝として殺活術が伝えられてきた。

 しかし残念ながら、仙台藩角田伝柳剛流においては現在、活法のみが口伝として伝承され、殺法については失伝している。

 ただし幸いなことに、仙台藩角田伝柳剛流や幕末から明治にかけて武州で興隆した師範家である岡安家系統の柳剛流については、文久年間から昭和初期にいたるまでの、複数の殺活免許の伝書や添え書きが残されている。

 ご存じのように、日本武芸における殺法=当身口伝には、多くの先達による豊富な先行研究の成果があるため、柳剛流の殺活術についても、各派各時代の伝書を突き合せ、それをさらに柔術諸流の当身殺法の伝承と比較することで、比較的容易にその術技内容を類推することができる。



 まず、仙台藩角田伝柳剛流における殺活術をみると、文久2(1862)年に斎藤数衛が氏家丈吉に伝授した柳剛流殺活免許巻には、

1.松風 2.村雨 3.水月 4.明星 5.面山 6.二星 7.骨当 8.玉連 9.剛耳 10.天道 11.稲妻 12.右脇 13.心中 14.雁下 15.虎走 16.玉水 17.高風市 18.虎一点

 以上、18ヵ所の殺が図解入りで示されている。

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▲文久2年に記された、仙台藩角田伝柳剛流の殺活免許巻


 同じく仙台藩角田伝柳剛流において、昭和14(1939)年に斎藤龍三郎が斎藤龍五郎に伝授した柳剛流殺活免許巻にも18ヵ所の殺が示されており、その全てが文久年間の伝書と一致している。

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▲昭和14年に記された、仙台藩角田伝柳剛流の殺活免許巻


 この2つの伝書は、歳月としては77年、伝承者の世代としては4代もの隔たりがあるのだが、両者を比較すると、術としての殺法は変化することなく脈々と伝承されてきたのが分かる。


 一方で、武州で大きな勢力を誇った師範家である、岡安家系統の柳剛流では、免許において口伝として、以下、13の殺法が伝授されていた。 

1.天車 2.面山 3.人中 4.村雨 5.二星 6.掛金 7.音当 8.女根 9.水月 10.脇腹 11.心中 12.玉水 13.亀之尾

 さらに岡安伝では、こうした当身殺法のなかでも、特に重要な当てを「五ヶ所大當」とし、天見、人中、秘中、水月、気海の5ヶ所の殺を示している。

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▲柳剛流岡安派の「五ヶ所大當」


 さて、岡安伝の「五ヶ所大當」を、角田伝の殺法、さらに当身の妙で知られる柔術流派である天神真楊流の殺法と対照させると、以下のようになる。


 天見(岡安伝)=天道(角田伝)=天道(天神真楊流)

 人中(岡安伝)=虎一点(角田伝)=人中(天神真楊流)

 秘中(岡安伝)=玉連(角田伝)=秘中(天神真楊流)

 水月(岡安伝)=水月(角田伝)=水月(天神真楊流)

 気海(岡安伝)=明星(角田伝)=明星(天神真楊流)



 このように、岡安伝も角田伝も「五ヶ所大當」にあたる殺点は、いずれの部位・名称も非常に天神真楊流に類似していることが分かる。

 従来、柳剛流の殺活術は、流祖・岡田惣右衛門が学んだ三和無敵流からきていると解説されることが多かった。

 しかし、上記のような柳剛流の殺法と天神真楊流の殺法との類似点を見ると、柳剛流の殺活については天神真楊流の影響もあったのではないかと考えたくなる。

 もっとも日本武芸全般において、殺活術については楊心流系の影響がたいへん大きいことを考えれば、これはいささか穿ちすぎなのかもしれない。



 いずれにしても、「五ヶ所大當」という柳剛流殺活術の当身秘伝は、古流武術はもとより、柔道や空手道、拳法や合気道などの現代武道を学ぶ者も含め、武術・武道をたしなむ者であれば誰もが最低限覚えておくべき、普遍的かつ基本的な急所だといえるだろう。


 ■参考文献
 『日本柔術当身拳法』(小佐野淳師著/愛隆堂)
 『増補・改訂 宮城県 角田地方と柳剛流剣術-日本剣道史に残る郷土の足跡-』(南部修哉/私家版)
 『一條家系譜探訪 柳剛流剣術』一條昭雄/(私家版)
 『幸手剣術古武道史』(辻淳/剣術流派調査研究会)

 (了)
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かくて円環はひらき、そしてとじる/(柳剛流)
- 2017/05/17(Wed) -
 取材やら、その後のよしなし事やらで、今晩の稽古は深夜から。

 このため、柳剛流の「備之伝」と「備十五ヶ条フセギ秘伝」に集中する。



 すでに何度も紹介しているように、備之伝は柳剛流において初学者が学ぶ15種類の構えの教えであり、備十五ヶ条フセギ秘伝は目録者が学ぶ、備之伝の15種の構えそれぞれに対応する必勝の構えの教えだ。

 一人稽古では、まず鏡に映る我の構えに対し、それに対応するフセギ秘伝の構えをとる。

 次の瞬間、鏡に映った我の構え(最初の構えに対応するフセギ秘伝の構え)に対応する、フセギ秘伝の構えをとる。

 その次の瞬間には、さらに鏡に映った我の構えに対する、フセギ秘伝の構えをとる。

 そしてまた次の瞬間、鏡に映った我の構えに対する、フセギ秘伝の構えをとる。

 つまり、彼(鏡に映った自分)のAという構えに対し我はBという必勝の構えをとり、次に彼のBという構えに対して我は必勝のCという構えをとる。さらに我は、彼のCという構えに対して必勝のDという構えをとり、次いで彼のDという構えに対して必勝となるEという構えをとる・・・・・・。

 これを延々と、頭で考えて構えるのではなく、条件反射で相手の構えに対応できるようになるまで繰り返すのだ。



 ただし、備之伝とフセギ秘伝における彼我の構えの関係は、正確にはAにはB、BにはC、CにはDというように、整列的に順序だったものではなく、AにはB、BにはL、CにはB、EにはGというふうに不規則な関係となっている。

 これは、備十五ヶ条フセギ秘伝が相手の特定の構え、つまり相手の構えから発せられるであろう固有の太刀筋やその防御的特性に対し、最も有効な我の対応が可能となる構えを示すという教えである以上、AにはB、BにはC、CにはDというような、機械的な整列順序にならないのは当然のことだ。

 ゆえに備十五ヶ条フセギ秘伝の構えには、頻出する特定の構え(対応する相手の構えの種類が、最も多い我の構え)があり、その構えが出てくると、そこから以降の彼我の構えの関係は、必ず同じパターンの連環が始まるのである。

 つまり、備之伝に示される15の構えのうち、彼が最初にどのような構えをとろうとも、最終的には必ず互いの構えの対応は、同じパターンの連環に帰結するのだ。

 ここに示されるのは、我を殺そうとする彼の太刀と、それを防ごうとする我の太刀との不思議な関係性、反発と誘引とが入り混じった、彼我の「位」の円環的世界を顕しているようで、実に興味深い。

 深夜の一人稽古はこのように、「術」に秘められた、ある種の思想のようなものを想起させてくれることが少なくない。


 ~月は我れ我は月かと思うまで
               隅なき月にすがる我かな(柳剛流 免許武道歌)~



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 (了)
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