柳剛流を「継ぐ」者たち/(柳剛流)
- 2017/07/30(Sun) -
 本日は翠月庵での定例稽古。

 いまにも降り出しそうな曇り空の下、柳剛流の稽古に励む。

 今年4月に当庵に入門し、柳剛流の稽古に励んでいるS氏は、杖道5段、柔道3段、なぎなた2段、抜刀道2段、空道初段という猛者だけに、指導するこちらも気が入る。

 今日はそのS氏に、柳剛流の居合を特に集中して指導した。

 柳剛流の居合は、実践形というよりも、「跳斬之術」と呼ばれる飛び斬りを体得するために必要な強力な下半身を養成する、鍛錬形の意味合いが強い。

 だからといって、居合としての本来的な運刀や「術」を、おろそかにしてよいわけではない。

 雑なごぼう抜きではなく、気で相手を押さえながら「スラスラ」と抜くこと、序破急の拍子、三才と六合を意識した強く安定した体幹。

 これらの点をすべて押さえながら刀を抜き付け、低く飛び違いつつ相手を受太刀ごと両断し、地獄の底まで斬り割る気勢こそが、柳剛流居合の真面目である。



 現在、当庵で柳剛流を稽古している者は、私を除けばわずか4名。

 しかし、そのうち2名は他流の師範であり、全員が武術・武道歴10年以上、20年以上といった熟練者である。

 このように、何らかの古武道や現代武道に十分に精通した師範クラスの武術・武道人が、あえて当庵の門下に入り、柳剛流を一から学んでくれるというのは、流儀を愛する者として本当にうれしく思う。

 流祖・岡田総右衛門による創流以来、二百有余年。

 二代・岡田(一條)左馬輔より仙台藩角田・丸森地方で脈々と受け継がれてきた柳剛流が、我が師である国際水月塾武術協会最高師範・小佐野淳先生に受け継がれ、その薫陶をいただいている私・翠月庵主のもとで、4人の熟達した武術・武道人たちが、流祖生誕の地である武州にて柳剛流を学んでいる。

 彼ら全員が、最終的には流儀のすべての業と口伝を相伝し、各々がさらに門下を育成してくれることで、50年後、100年後も、仙台藩角田伝柳剛流が継承され、受け継がれているはずだ。

 そのための責務を、我々、柳剛流を「継ぐ」者たちは担っている。

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 (了)
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柳剛流における君子の教え/(柳剛流)
- 2017/07/27(Thu) -

一、 武者身を脩るの儀なけは聊も争心可有事なかれ、争心有者は必喧嘩口論に及へは亦刃傷に至らんも難計、武道を学人は心の和平なるを要とす、去は短気我儘なる人は却而武道を知らさるをよしとす、大抵人之行ひ正敷して其上に武有はよし、行い正しあらさる時武有は人をも害あるのみならず、己をも害する事出来者也
                          ~天保7年に記された、柳剛流の起証文より~




 柳剛流に限らず、古流でも現代武道においても、武術・武道を志す者には粗暴のふるまいや言動がきつく戒められてきた。

 「武人たるもの、君子たれ」というのは、万古不易の教えであり、志すべき「道」である。

 それではなぜ、武人は君子であるべきなのか?

 理由はごくシンプルなものだ。

 一つは、無用に敵対者を作らないため。

 もう一つは、武力を持った者に課せられる規範意識、ノブレス・オブリージュゆえである。



 己に酔って粗暴で攻撃的な言動を繰り返す者は、無用に敵対者を増やし、いつか必ず寝首を掻かれるであろう。

 また、規範意識の欠如した武人は、世の中の大多数の人々にとっては、今も昔も「はた迷惑で粗暴な、反社会的人物」以外のなにものでもない。

 武術・武道における古今の名人・高手たちは、こうした人の世の道理を知り、実感していたからこそ、皆が異口同音に「武人は君子たれ」と教え諭してきたのであろう。

 つまり「武人は君子たれ」という教えは、単なる表面的な道徳的キャチフレーズではなく、武術・武道に携わる者が、己の身の破滅を避けるために必須の、行動指針としての「道」なのだ。



 ところが残念なことに、「武人は君子たれ」という先人の知恵を、嘲笑うかのような言動を繰り返す武術・武道関係者もいる。

 彼らが、諸人の恨みを集めたあげくに思わぬところで寝首を掻かれたり、多くの人から軽蔑されるのは、それは止むをえまい、自業自得だ。

 一方で、こうした一部の武術・武道関係者の浅はかな、あるいは反社会的な行為が、武術・武道そのものの在り様までをも辱めているのは、斯界の末席を汚す者として、たいへん遺憾に思う。

 しかし振り返ってみれば私自身も、若気の至りから無益な諍いを起こしてしまったり、言わぬで良いことを口にして友との関係を失ってしまったこともある。

 五十路を前にして、これらの愚行を思い返せば慚愧に堪えないし、自分の無知蒙昧さに恥じ入るばかりだ。

 だからこそ己自身や門下に対して、改めて「武人は君子たれ」と諭していかねばと思う。



 柳剛流においては、江戸の昔から、冒頭に記した起請文以外にも様々な伝書において以下のように記し、粗暴のふるまいや軽率な言動を戒め、身を慎むよう諭している。

 「この術をもって無益な殺害をなす者においては、直に天地の神、摩利支天の罰をこうむるべきなり」(柳剛流起請文)

 「平日に話しするとも真剣も 思いて言葉大事とぞ知れ」(柳剛流剣術切紙巻)

 「それ兵法は、心の妙徳なり」(柳剛流剣術目録巻)

 「それ剣柔者は、身を修め心を正すをもって本となす」(柳剛流殺活免許巻)

 「この術をもってたやすく闘争に及ぶは我が党の深く戒めることなり」(柳剛流殺活免許巻)

 「当流を修めんと欲する者は先ず心を正すをもって要と為す」(柳剛流殺活免許巻)

 「何の道にあらずして弁舌博覧に勝るを意に信とするにあらず」(柳剛流剣術免許巻)



 流祖以来の流儀の「掟」からも、柳剛流を修行する者は、粗暴のふるまいや言動を慎まねばならない。

  (了)
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雷光石火、明鏡ニ現ル/(柳剛流)
- 2017/07/21(Fri) -
 木曜の夜は県立武道館にて稽古。

 先週、平日は連日空手道の暑中稽古、翠月庵では刀法併用手裏剣術と柳剛流の指導、水月塾本部では甲陽水月流の柔術と、柳剛流の稽古があまりできなかったので、本日はみっちりと柳剛流に汗を流す。

 まずはウォーミングアップとして、神道無念流立居合12本と荒木流抜剣7本を抜く。

 次いで柳剛流。

 まずは飛び違いでの素振りをじっくりと繰り返す。床を蹴らず、足で踏み切らず、ただただ太刀の導く道に従って、沈むように、滑るように飛び違いながら木太刀をふる。

 と、言葉にすれば簡単であるが、4尺を超える長く重い木太刀を自在に振りながらの飛び違いは、それほど容易なものではない。

 しばらく素振りを繰り返すと、汗が滝のように流れ、息が切れ、下肢が重くなる。しかし、この基本的な飛び違いの素振りこそが、柳剛流ならではの「跳斬之妙術」の基盤となるだけに、あだやおろそかにはできない。

 素振りで十分に心身を錬った後は、備之伝と備十五ヶ条フセギ秘伝を稽古。

 今回、素振りで疲労困憊していたことから、「中道」と「丸橋」の構えについて、「なるほど、こういう意味もあるか!」、大きな気づきを得ることができた。

 そして剣術の形稽古。

 最初に切紙の「右剣」と「左剣」を丁寧に、何度も繰り返す。特に、先日門下のS氏から質問を受けて指導をした、脚斬りの際の太刀筋や拍子に留意しながら形を打つ。

 次に、伝書において「当流極意」と記されている、「柳剛刀」と総称される目録の6本の形を錬る。

 「飛龍剣」、「晴眼右足頭(刀)」、「晴眼左足頭(刀)」、「無心剣」、「中合剣」、「相合剣」と、いずれも極めてシンプルな実践刀法であり、これらは目録伝書において、

立ツトキハ影アルガゴトク、撃ツトキハ響キアリ、雷光石火、明鏡ニ現ル(流祖伝来、石川家文書より)



 と称されている。

 ことに、「晴眼右足頭(刀)」と「晴眼左足頭(刀)」は、柳剛流剣術の至極といえるような形であり、切紙で学ぶ「右剣」「左剣」の本質以外をすべてそぎ落とした、柳剛流剣術究極の一手といっても過言ではない。

 柳剛流の二大特色である「断脚之法」と「跳斬之術」の極限の姿が、この2つの形に顕されているのである。

 そしてこの2つの形に顕現する当流の極意は、そのまま免許秘伝の長刀の「術」に直結している。

 そこで、ひとしきり剣術を稽古した後は、長刀を執って存分に振るう。

 飛び違いながら長刀を自在に振るう柳剛流長刀の形は、フィジカル的にもかなりハードであるが、やはりここでも、床を蹴らず、足で踏み切らず、長刀が導くままに、体を動かしていかねばならない。

 続いて突杖、そして居合を抜く。

 思う存分柳剛流の稽古をした後は、クーリングダウンとして、柳生心眼流の素振りを。片衣の表、中極、落、切を振って、本日の稽古は終了。

 はじめは小一時間の稽古でと考えていたが、終わってみれば一刻近くの時が過ぎていた(苦笑)。

 自ら望む稽古というのは、本当にあっという間に時が過ぎてしまうものだ。

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▲柳剛流剣術「左剣」

 (了)
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柳剛流を通じての、善意の皆さんとのつながり/(柳剛流)
- 2017/07/19(Wed) -
 柳剛流に関する貴重な書籍のひとつである、『増補・改訂 宮城県 角田地方と柳剛流剣術-日本剣道史に残る郷土の足跡-』の著者である南部修哉さんが、新しい史料を送ってくださった。

 それは、仙台藩角田伝の「柳剛流剣術免許巻」と、「柳剛流殺活免許巻」の新たな読み下し文である。

 漢文の、しかも白文の読み下しというのは、私もいつも難渋している。なにしろ、1つ間違えると、文意がまったく変わってしまうからだ。

 このため、改めてご自分の著書に掲載されているものを見直し、より正確を期した「改訂文」を、送ってくださったというわけだ。

 早速、拝読させていただく。

 たしかに以前のものより、実践者の視点から読んでも、より文意がスムーズになっているようで、ご苦労の跡がしのばれる。



 それにしても柳剛流に関して、南部さんをはじめ多くの方が、貴重な史料の数々を快く見せてくださったりお送りくださる、あるいは情報や知見をお知らせくださるのは、本当にありがたいことだ。

 それもこれも、柳剛流を大切に思ってくださる皆さんとの、webを通じた大切でありがたいご縁である。

 webのダークサイドを象徴するようなげんなりする出来事がある一方で、このような形でweb社会における善意の恩恵に浴しているのもまた事実だ。

 このような皆さんからのご期待を裏切らないためにも、私たちは仙台藩角田伝柳剛流という宝を大切に守り、流祖伝来の「術」を練磨し、流祖が諭すように鍛錬を通して人格の陶冶に励み、このかけがえのない業と思想を次世代へつないでいかなければならないとしみじみ思う。


 人と人との縁というのは、汚辱にまみれたものもあれば、すがすがしく清廉なものもあり、「やはり人間、捨てたもんじゃあないな」と、改めて心洗われた次第である。

 さて気を取り直して、本日も柳剛流の稽古に精進しよう。

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  ~打つ人も打たるる人も打太刀も
                心なとめず無念無心そ(柳剛流道歌)~


 (了)
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柳剛流突杖の体術への展開(その2)/(柳剛流)
- 2017/07/08(Sat) -
 土曜は翠月庵の定例稽古であるが、本日は私の所用にて休みである。

 「所用」というとなんとなく曖昧模糊としているが、要するに仕事で稽古ができないということだ。

 私は毎月注文のある定期ものの仕事として、医療法人や社会福祉法人の経営者向け月刊誌の巻頭インタビューを担当している。このため毎月1人、医療や福祉関係のオピニオンリーダーにインタビューを行い、6000文字ほどの記事を書いている。

 月刊誌というのは、新聞や週刊誌などに比べると仕事のスパンがそれなりにあるので、それほど慌ただしいことはないのだけれど、たとえば取材のアポイントメントの調整がつかず、どうしても翌月号の校了日直前に取材しなければならず、普段は1週間ほどかけて入稿する原稿を、中1日で仕上げろ! などということはしばしばある。

 今回も、昨日表参道の日本看護協会で行った会長のインタビューを、明日までに入稿しなければならず、やむなく本日の稽古は休みとした次第。

 先週の稽古も雨で中止だったため、気持ちとしては今日は存分に稽古したい所だが、ま、止むをえまい。働かないと、飯が食えず、酒も飲めず、家賃がはらえず、そして稽古もできないし稽古場の維持もできない。

 稼がねばならぬ。

 そんなこんなで本日は定例稽古ができないので、その分、日々の自分の稽古は一段と気を入れて行わねばならない。



 昨晩は、柳剛流突杖の形をじっくりと錬る。

 すでに本ブログでは何度も書いているように、柳剛流において剣術・居合・長刀の3つの術は、すべて一貫した体の使い方(跳斬之術)によって業が展開されていくのであるが、この突杖だけは、そのような体動を伴わない。

 柳剛流の親流儀として明確になっているものには、心形刀流のほかに三和無敵流があるが、ことに突杖については三和無敵流からの影響が強いのではないか? という話は、以前、本ブログに書いた。

 「三和無敵流和力の伝書を読む(その1)-柳剛流突杖に関する考察- 2016/09/29(Thu) -」
 http://saitamagyoda.blog87.fc2.com/blog-entry-982.html

 また、柳剛流突杖のなかでも、2本目の「ハズシ」という形=業は、そのまま無手の体術に展開できるもので、同様の指摘は、龍野藩伝の柳剛流突杖を「柳剛流杖術」として伝承されている会派の方のブログにも、同様の記述があった云々(「でんでん」ではない、念のため・・・)ということも、やはり以前、本ブログで書いた。

 「柳剛流突杖の体術への展開- 2016/06/01(Wed) -」
 http://saitamagyoda.blog87.fc2.com/blog-entry-917.html

 「柳剛流突杖「ハズシ」- 2016/07/08(Fri) -」
 http://saitamagyoda.blog87.fc2.com/blog-entry-934.html

 その後、さらに柳剛流突杖を稽古していくにつれ、体術への展開という意味では、先に記した「ハズシ」以外の4つの形についても、杖使いの動きほぼそのままで、無手の体術に応用できるということを強く感じている。

 もちろん武具を扱うタイプの術は、(本質的に)すべからく体術に応用・展開できるというのは、いまさら言うまでもないことだが、柳剛流のなかでも特に突杖は、その傾向が強いのである。

 たとえば「ハズシ」は、差し手から入り身しての当身あるいは投げ。

 たとえば「右留」は、一足の見切りからの腕抑え、そして当身あるいは肩外し。

 たとえば「抜留」は、手首押さえから入り身しての当身あるいは投げまたは腕抑え、といった具合である。



 こうした応用としての稽古・研究は、それが本来伝承されてきた業=形を変形させてしまうようなことは、あってはならないし、厳に慎まなければならない。

 一方で、ある種の工夫伝ということでこうした応用を検討・研究するのは、流祖伝来の「術」が伝える本質的な理合を、より深く知る学びのひとつだと私は考えている。

 それにしても繰り返しになるが、突杖という一連の形=業は、柳剛流全体からみると実に奇妙というか独自色の強い技法群であるなあと、しみじみ思う。

■2017.7.11 一部本文を修正。
 
(了)
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