深夜、柳剛流突杖の稽古/(柳剛流)
- 2018/06/20(Wed) -
 早めの晩酌で飲み過ぎて、そのまま寝てしまい、目覚めれば深夜1時過ぎ・・・・・・。

 いかんいかん、今日は稽古していないではないかということで、おっとり刀で稽古着に着がえて稽古を始める。

 今晩は柳剛流突杖。

 鏡に写った我に対面しながら、「ハジキ」「ハズシ」「右留」「左留」「抜留」と、5本の形を丁寧に繰り返す。

 柳剛流の突杖(杖術)は、おそらく流祖・岡田惣右衛門が学んだ三和無敵流から来ているのだと思われるが、剣術~居合~長刀(なぎなた)と柳剛流の諸術に共通する術理である「跳び違い」を用いない、いささか異色の「術」だ。

 形はわずか5本。

 「突杖」という名称の通り、全て相手を突いて勝つ。

 このため、別名「突之刀法」(中山柳剛流)とも呼ばれ、あるいは「乳根木」(房州古川伝)とも称する。

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▲仙台藩角田伝 柳剛流突杖(杖術) 「ハジキ」(仕杖:吉松章、打太刀:瀬沼健司)


 いずれも非常にシンプルな形=業であり、杖を専科とする流儀を稽古している人からすると、業としてのあまりの簡素さに物足りないとすら感じるかもしれない。

 しかし私の様に、杖や棒を専門としてこなかった者からすると、非常に学びやすく、しかも簡素ゆえに実践的な「術」だなあと感じている。

 また、これは柳剛流の突杖に限ったことではないかもしれないが、杖の業は体術への展開が非常にしやすく、ほぼそのままの体動で、徒手の業となることも非常に興味深い。

 中でも「ハズシ」という形は、ほとんどそのまま柔(やわら)の業となるうるもので、個人的にたいへん気に入っているというのは、以前も何度か本ブログに書いた。



 自宅での突杖の稽古では的への刺突も折々に行い、「実際に相手を突く感覚」を錬るよう心がけている。

 幸い拙宅の稽古場には手裏剣の的が設えてあるので、これが杖の刺突鍛練にちょうど良いのだ。

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▲壁に設えた手裏剣の的(畳2枚重ね+ウレタンマット)で、杖の刺突を鍛錬する。ウレタンマットに記したバッテンは、手裏剣を打つ際の顔面部の目安。突杖では相手の咽喉部(柳剛流殺活術における「玉連の殺」)を突くので、バッテンの直下を形の動きに従って繰り返し刺突鍛練する



 剣術や居合、長刀などは、今の時代に実際にその術を直接用いるようなことはありえない。

 しかし杖や柔といった武芸は、現代でも護身術としての有効性を失っていない。

 つらつら思うに、これは実は近世の社会でも同様ではなかったかと思う。

 江戸の世とはいえ、武士や百姓が日常生活の中で、そうそう簡単に打刀や脇差を抜いて振り回すようなことはなかったわけで、しかし一方で日常的ないざこざや争いごと、暴力沙汰というのは、これまた今の世と同じように、江戸時代の生活でもたびたびあったであろう。

 そういう場合に、「神武不殺」の理に則った杖や柔の術が役立つのは言うまでもない。

 剣術や居合とは異なり、あくまでも相手を殺傷することなく制することのできるこれらの「術」は、捕方はもとより、旅にでも出ない限り脇差を泰さない百姓・町人にとっては非常に有効で有用、そして身近な「業」であったのだろう。

 こうした点で、武士はもとより百姓・町人にも広く稽古された、「農民剣法」たる柳剛流においては、突杖の術はたいへんに大きな意味を持つものだったのではなかろうか。

 ちなみに突杖に関する柳剛流の逸話としては、、幕末から大正にかけて日光御成道に教線を張った柳剛流深井派の3世・深井源次郎は、平素から常に3尺ほどの杖を常に手にして離さず、眠るときも寝具に忍ばせていたという。



 突杖の稽古後、深夜3時。

 そんなことに想いを馳せつつ、キーボードを叩いている次第。

 さて、夜が明けたら本日は、盆栽の体験取材だ(笑)。

 (了) 
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柳剛流剣術切紙之巻の伝授/(柳剛流)
- 2018/06/11(Mon) -
 昨日、国際水月塾武術協会本部にて、埼玉支部門人の吉松章氏と宇田川浩二氏へ、柳剛流剣術切紙之巻が伝授された。

 伝授式では仙台藩角田伝柳剛流兵法8代師範の小佐野淳先生より、古式に則って宇田川氏に巻物が伝授され(吉松氏は所用にて欠席)、不肖私も9代師範として伝書に花押署名・押印の上、式に立合わさせていただいた。

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 こうしてまた新たに、柳剛流を後世に伝えるための伝承がなされたと思うと、流儀を愛する者のひとりとしてまことに感慨深いものがある。

 流祖・岡田惣右衛門以下、角田伝の祖である二代・岡田(一條)左馬輔から歴代先師の方々も、きっと泉下で喜んでくれているのではないだろうか。

 吉松・宇田川両氏の、さらなる柳剛流の研鑽に期待すると共に、私もまた柳剛流師範の名に恥じぬよう己の業を磨き、さらにひとりでも多くの有為の人士に、今後も柳剛流を広く伝えていきたいと気持ちを新たにした次第である。

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 習へ遠く心や雲となりにけり
            晴てそたたぬ有明の月(柳剛流 武道歌)


 (了)
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下陰からの太刀筋と運刀-上川原神道香取流からの示唆/(柳剛流)
- 2018/06/02(Sat) -
 翠月庵の稽古場の最寄り駅は、JR高崎線の行田駅である。

 このため便宜上「行田稽古場」と呼称しているからか、稽古場が行田市にあると誤解されることが多い。

 実のところ行田市の中心は秩父鉄道の行田市駅周辺であり、JR行田駅は行田市の端っこに位置しており、うちの稽古場の所在地は行田市ではなくその隣の市なのだ。

 さらに蛇足ながら、私の住まいは稽古場から徒歩と電車で約1時間ほど離れたところにあり、週末ごとに稽古場まで、武具をかかえて通っている。

 もっとも7年前までは、練馬の自宅から行田稽古場まで2時間かけて通っていたので、随分と楽になったものだ。

 ・・・・・・とまあ、そんな話は世間の皆さまにはどうでもよいことであろうし、なにより県外の方はもとより埼玉県民でも、高崎線沿線に住んでいる人でないとピンとこない話題であろう。



 ところでJR行田駅の隣にあるのが、日本有数の酷暑地・熊谷市の玄関口であるJR熊谷駅だ。

 こちら熊谷市の上川原地区には、室町時代から続き、今もその地域の相続人(長男)にしか伝授されない秘剣である「神道香取流」が伝えられている。

 現在は「上川原神道香取流棒術」として市の指定文化財になっているが、実際には剣術であり、形は表12本・裏12本の合計24本。

 一般に公開されているのは表の形だけで、裏の形は修行者以外には非公開なのだという。

 いわゆる古武道に比べると、こうした村落共同体で伝承されている「芸能武術」は、武術・武道関係者からは、やや低く見られがちかもしれない。

 しかし、こうした芸能武術には、ときとして一般的な古武道以上に、昔ながらの身体や武具の使い方が色濃く伝承されていることがあるので、予断を持たずに拝見するよう心掛けている。



 過日、youtubeにて神道香取流の動画を見ていて、ふと柳剛流備之伝における下陰の構えからの動きに関連する強い示唆を感じた。

 そこで先日来、自宅での稽古ではその動きを確認することに専念していたのだが、たいへん大きな新しい気づきを得る事ができた。

 なお、こうした工夫はあくまでも私個人としての剣技・剣理の探求であり、それを伝来の形の動きや理合に混同させるようなことは、厳に慎まなければならないのは言うまでもない。

 しかし、自分なりの工夫伝として鍛錬し、技として磨くことは、ひとりの武術修行人として、たいへんに重要なことであるとも思う。

 今回、このように神道香取流の太刀筋から、柳剛流の下陰の構えからの太刀筋や運刀について新たな知見を得る事が出来たわけだが、一方で4尺4寸2分の柳剛流の長木刀でその動きを過度に繰り返すと、左手首に非常に大きな負担がかかるようである。

 おかげで昨日、左手首を痛めてしまった・・・・・・(爆)。






 上川原神道香取流は、毎年春と夏の2回、表の太刀のみが公開されるという。

 機会があればぜひ、現地でその妙術を拝見したいと思う。


■参考URL
上川原神道香取流棒術
http://www.city.kumagaya.lg.jp/kanko/rekisi/bunkazai/mukeiminzoku/boujutu.html

村落における武術伝承組織の検討:神道香取流を事例として
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjpehss/62/2/62_16102/_article/-char/ja

 (了)
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柳剛流と柳生心眼流/(柳剛流)
- 2018/05/30(Wed) -
 松代での春の演武も終わり、今年上半期の主な武術関連の行事はひと通り終了した。

 下半期についても、演武に出場するのは秋に行われる松代の演武会のみであり、気分的には翠月庵/国際水月塾武術協会埼玉支部としての、今年の公式な対外活動は9割方済んだという感じである。

 というわけで、あとは日々、粛々と稽古をするのみだ。

 ・・・・・・と、そんな気持ちもあり、今晩の稽古では柳剛流ではなく、柳生心眼流の体術に集中した。



 私の体術修行は12歳から学んだ八光流が始まりだけれど、その後29歳から41歳まで12年間に渡って稽古に集中し、今も細々とだが稽古を継続している伝統派空手道が、身体の使い方の大きな素養のひとつとなっている。

 こうしたこともあり、素振二十八ヶ条による一人稽古が鍛錬の柱となる柳生心眼流は、たいへんにとっつきやすく、稽古のしやすさを感じている。

 もっとも当初は、空手道や他の柔術とはあまりに異なる柳生心眼流の身体の使い方に大いに戸惑ったのだけれど、ようやく最近になって、素振や相対稽古、打ち込み稽古などをしていても、違和感を感じなくなった。

 稽古が進み、師より実践応用技法(空手道でいうところの分解ですな)の口伝も少しづつ伝授していただけるようになり、この古流武術の独特な体術技法の数々に興味は増すばかりである。



 ところで仙台藩角田伝の柳剛流剣術には、相手を地面に倒してから斬る「相合剣」という業がある。

 この業で用いる体術的接触技法は、柳生心眼流の動きや技に一脈通じるものがあり、私は両者を稽古することでより深く「術」の理合を知ることができると感じている。

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▲体術的な接触技法で相手を地面に倒してから斬撃を加える、柳剛流剣術「相合剣」


 (了)
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松代藩文武学校武道会 第24回 春の武術演武会/(柳剛流)
- 2018/05/27(Sun) -
 本日、長野県長野市松代町にある松代藩文武学校にて、「松代藩文武学校武道会 第24回 春の武術演武会」が開催され、私も国際水月塾武術協会の一員として参加をさせていただいた。

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▲松代藩文武学校武道会の先生方と、象山神社に参拝後の記念撮影


 午前中は、象山神社に参拝し、武運長久を祈願。

 そして午後から演武となる。

 私は師に打太刀を執っていただき、仙台藩角田伝 柳剛流剣術の「右剣」「左剣」「青眼右足刀」「青眼左足刀」「相合剣」と、5本の形を披露させていただいた。

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▲柳剛流剣術「青眼右足刀」(打太刀:小佐野淳師、仕太刀:瀬沼健司)


 松代藩文武学校にて、柳剛流の演武をさせていただくのは今回で3回目だが、本物の藩校の武道場での演武は、何度行っても凛としたこの場所ならではの緊張感が心地よい。

 5月の薫風の中で、自分なりに存分に木太刀を振るうことができた。
 
 次回、この場所での演武は9月。

 さらに己の業を磨いて、再びの演武に臨みたいと思う。

 (了)
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