抜付けの速さ/(柳剛流)
- 2017/03/01(Wed) -
 先日の本部稽古で師より、柳剛流居合の「後詰」における抜付けの遅さと、その原因となる体捌きについてご指導をいただいた。

 今晩の稽古では、それを念頭にじっくりと居合を抜く。

 加えて、「右行」や「左行」においても、「後詰」における体の転換の留意点をいかした抜付けを心掛けると、いままでよりも抜付けの速さが向上するように感じられる。

 当然ながらここで言う速さというのは、単なる鞘離れの速さではなく、形における一連の拍子としての「速さ」のことだ。


 もっとも、本部稽古では師より二尺七寸の刀をお借りして抜いているのにくらべ、今晩は拙宅の狭い室内に合わせて二尺一寸の我が無銘刀を用いての稽古ゆえ、速いと感じるのは、当たり前と言えば当たりである。

 六寸も長さが違えば、鞘離れにしても、形の拍子にしても、速く抜けるのは当然だろう(苦笑)。

 だからこそなおさら、即物的な鞘離れの速さではなく、形全体の拍子としての「速さ」を念頭に稽古をすることが重要だ。

1703_柳剛流居合

 (了)
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柳剛流祖・岡田惣右衛門の「諱」について/(柳剛流)
- 2017/02/28(Tue) -
 柳剛流に関するウィキペディアの記述について、以前は間違いだらけのひどいものであった。

 しかし最近は、「柳剛流」にしても、流祖である「岡田惣右衛門」の項目についても、真摯な記述者の方々による適切な訂正によって正確な記述になっており、柳剛流を学び継承する者として、たいへん喜ばしく思っている。

 (なにしろ私は、ウィキペディアの編集の仕方が良く分からないので)


 そんななか本日、ウィキペディアの「岡田惣右衛門」の記述に関する編集履歴を確認したところ、2017年2月9日 (木) 11:30 に「松茸」というハンドルネームの方が、流祖の諱について「奇良」となっていたものを、以前のウィキペディアの記述であった「奇良、寄良」という両論併記に、書き直し、戻していた。

 その理由というのが、「出典元にある記載のため戻す」ということなのだが、その出典元である『デジタル版 日本人名大辞典+Plus』の岡田惣右衛門の記述は、信頼性の低い質の悪いものである。



~以下、『デジタル版 日本人名大辞典+Plus』から引用~

岡田惣右衛門 おかだ-そうえもん
1765-1826 江戸時代後期の剣術家。
明和2年3月15日生まれ。心形刀流を大河原右膳にまなび,各地で武者修行。すねをうつことで知られる柳剛流を創始。一橋家の師範をつとめ,江戸神田お玉ケ池で道場をひらいた。文政9年9月24日死去。62歳。武蔵(むさし)葛飾郡惣新田(埼玉県)出身。名は寄良,奇良。通称は別に十内。

~以上、引用終わり~




 流祖の諱については、現存する最古の頌徳碑である宮城県石巻市の「柳剛流祖岡田先生之碑」(嘉永元[1848]年建立)、同じく江戸期に建立された埼玉県幸手市の「柳剛流祖岡田先生之碑」(慶應元[1865]年建立)、以上のいずれでも、「奇良」となっている。

 また、明治以降に執筆された柳剛流関連の事績に関して、そのほとんどにおける出典となっている、明治35(1902)年建立の宮城県角田市長泉寺の「柳剛流開祖岡田先生之碑」でも、流祖の諱は「奇良」と記されている。

 さらに、現在、唯一現存する流祖直筆の書と言われる、宮前華表太宛ての柳剛流伝書でも、流祖の諱は「奇良」だ。

 一方で二次資料である三重県田丸のM家に伝わる『奉献御宝前』という掲額の「写し」や、流祖の孫弟子に当たる武州・岡安師範家の一部の伝書では、流祖の諱を「寄良」と記しているものがあるという。



 以上の点から、森田栄先生や辻淳先生といった近年の柳剛流研究者、また小佐野淳先生以下我々実技として柳剛流を継承している伝承者の間では、

 柳剛流祖・岡田惣右衛門の諱は「寄良」ではなく、「奇良」である

 というのが、最も一般的な共通認識となっている。

 加えて、今回の書き直しの出典となった『デジタル版 日本人名大辞典+Plus』の岡田惣右衛門の記述は、諱以外にも、流祖と孫弟子の岡田十内を同一人物とするなど、私たち柳剛流伝承者や研究者からすれば、あまりにもお粗末なものであり、そのような質の悪い史料に基づいた訂正は、たいへん遺憾であると言わざるをえない。


 部外者にとっては些細な事なのかもしれないが、流儀を伝承する者としては、流祖の諱というのは非常に大切なものだけに、あえて加筆や訂正をするのであれば、信頼性の高い出典による適切な記述をしていただきたいと、強く望むところだ。

1610_石碑
▲流祖生誕の地である埼玉県幸手市にある、慶應元年に建立された「柳剛流祖岡田先生之碑」には、「諱は奇良、惣右衛門と称す」と刻まれている


 ■参考文献
 『日本剣道史 第十号 柳剛流研究(その1)』(森田栄/日本剣道史編纂所)
 『幸手剣術古武道史』(辻淳/剣術流派調査研究会)


 ■補遺(2017.2.28 20:43)

 本ブログをアップしたあと、再びウィキペディアの「岡田惣右衛門」のページを見たところ、流祖の諱について正しく、「奇良」と修正されておりました。
 本ブログを読んでくださった方が直してくれたのか、あるいはたまたまなのかは分かりませんが、柳剛流のいち修行人としてうれしく存じます。
 今後も、正しい記述が維持されることを望みます。


 (了)
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寒風一閃/(柳剛流)
- 2017/02/18(Sat) -
170218_柳剛流居合


 昨日、武州でも春一番が吹いたかと思えば、本日はまた真冬の寒さ。

 寒冷酷暑は野天道場である翠月庵ならではの味わいだが、それにしてもこの寒暖差は身に沁みる。

 まずは柳剛流居合、「向一文字」を一閃。

 気・剣・体を一致させて、早春の寒風に向かうとしよう。


 寒き冬に雷遠聞へき心地こそ
              敵に逢ての勝を取べし(柳剛流道歌)


 (了)
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柳剛流修行者必読の書/(柳剛流)
- 2017/02/17(Fri) -
 柳剛流を稽古する上で、私自身はあくまでも武術の実践者であることから、第一義は術技の研鑽、第二義が伝承、そして第三義が流儀の事跡に関する調査・研究と心得ている。

 まずは何よりも日々の稽古によって武芸としての「術」を高めることが重要であり、その上で流儀の正しい業=形と事跡を次世代に伝えていく責任があり、調査・研究は業と伝承の「正しさ」を担保するために必要なものだ


 そこで柳剛流を修行する者であれば、

 1.『日本剣道史 第十号 柳剛流研究(その1)』(森田栄/日本剣道史編纂所)
 2.『幸手剣術古武道史』(辻淳/剣術流派調査研究会)
 3.『戸田剣術古武道史』(辻淳/剣術流派調査研究会)
 4.『柳剛流剣術古武道史 千葉・東金編』(辻淳/剣術流派調査研究会)


 以上、4冊の史料は、必ず手元に置いて精読・未読すべきものである。


 1.の森田栄先生著『日本剣道史 第十号 柳剛流研究(その1)』は、言わずと知れた本邦における柳剛流研究の嚆矢であり、基礎的文献だ。

 今から44年前の昭和48(1973)年に刊行されたものだけに、最新の調査研究からするといくつかの誤謬があり、あるいは実技に関する記述では肯定できない点もみられるが、パソコンもインターネットもない時代にゼロから柳剛流について広汎な調査をされ、これだけの事跡をまとめられたのということには、本当に頭の下がる思いである。

 2.~4.の辻先生の著作は、昭和から平成にかけて行われた長年のフィールドワークの成果と最新の知見も盛り込まれた、関東における柳剛流の事跡を一覧することができる、たいへん貴重なものだ。

 特に辻先生の一連の著作には、武州から下総にかけての柳剛流の事跡が克明に記されているのはもちろん、切紙から免許まで、さらには殺活の伝書やその添え書きに至るまで、実にたくさんの各派柳剛流の伝書が、写真、翻刻、読み下し文付きで、豊富に掲載されているのが魅力だ。

 このため私のような柳剛流修行者にとっては、業の研鑽においてもあるいは流儀の事跡研究に関しても、実に学ぶことが多く、読むたびに新しい発見のある書物である。

 以上の4冊に加えて、

 5.南部修哉氏の労作である 『増補・改訂 宮城県 角田地方と柳剛流剣術-日本剣道史
   に残る郷土の足跡-』
 6.山本邦夫先生の『埼玉武芸帳―江戸から明治へ』


 以上の2冊をおさえておけば、柳剛流修行者に最低限必要な流儀の事跡に関する知識は得られるであろう。

 学術論文関係では、村林正美先生の『柳剛流剣術について』と『柳剛流剣術の特色』、大保木輝雄先生の『 埼玉県の柳剛流(1)・(2)』の4つは、最低でも目を通しておきたいものだ。



 稽古場で実技の研鑽にいそしみ、草庵ではこれらの書物を味読・精読しながら過ごす。

 柳剛流修行者として、これほど充実した時はない。

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 (了)
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柳剛流剣術~流祖の志した剣の境地にふれる/(柳剛流)
- 2017/02/12(Sun) -
 昨日は翠月庵にて、柳剛流剣術をみっちりと稽古した。

 寒風が吹きすさぶなかでの野天稽古は厳しいものだが、互いに剣を交えれば、そんな寒さもいつの間にか忘れてしまう。

 まずは柳剛流剣術の基本的な構えを学ぶ「備之伝」、それに対して合気を外し不敗の構えをとる「備十五ヶ条フセギ秘伝」を稽古する。

 稽古においては、構えを融通無碍にとれるようになることはもちろんだが、同時に我と彼との間の間積もりと拍子、さらに位による気押しも意識し、学ばねばならない。

 また、備之伝に対応するフセギ秘伝を稽古をしていると、これはある種、打合いのない地稽古なのだということが強く感じられる。

 こうした意識と感覚がなければ、これらの稽古は単なるカタチだけの相対的舞踊に堕してしまうだろう点に、十分留意しなければならない。

1702_柳剛流稽古
▲柳剛流、備之伝と備十五ヶ条フセギ秘伝の稽古


 続いて、柳剛流の根本となる業=形である「右剣」と「左剣」、2つの形を稽古する。

 修行人はこの2つの形で、柳剛流ならではの体動と体捌き、そして流儀の真面目である「断脚之術」、いわゆる脚切りを学ぶ。

 ここで学ぶ「断脚之術」は、ただ闇雲に反射神経のみを頼りに飛び込んで相手の脚を斬るような単純なものではなく、拍子の位と当流独特の体動を活かし、斬るべくして相手の脚を斬る、流祖が見出した剣の理合を学ぶのだ。

 次いで当流極意とも称される、「飛龍剣」、「青眼右足頭」、「青眼左足頭」、「無心剣」、「中合剣」、「相合剣」の6本で構成される「柳剛刀」の稽古。

 これらの形は、基礎である「右剣」と「左剣」で十分に培った柳剛流特有の体動・体捌きを存分に活かした、極めてシンプルな実践刀法だ。

 いずれの形=業も、剣術の本旨である真剣と真剣との攻防はもとより、その方便である撃剣稽古においてもそのまま活用できる、簡素かつ合理的なものだ。

 それぞれの形の理合に深く心を向けながら、寒気を突き破るような裂帛の掛け声とともに長大な木太刀を振るえば、流祖・岡田惣右衛門の志した剣の境地に、わずかなりともふれられたように感じられる。


 平成の世で柳剛流を学び、それを伝承できる喜びをしみじみと感じられる、充実した稽古であった。

 (了)
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