続・タイル針・コンクリート針を打つ/(手裏剣術)
- 2017/02/13(Mon) -
 過日、宿題になっていたタイル針・コンクリート針での打剣について、稽古場にてじっくりと再検討した。

 結論としては、翠月庵HP掲示板の稽古報告にも書いた通り、コンクリート針やタイル針は、そのままで3間直打も可能であった。

 しかしタイル針もコンクリート針も、あまりに軽すぎるために、速度が乗らず、精度・威力も低いことから、翠月庵としては手裏剣の代用か研究用の教材に止まるというのが実感である。

 この10年間、手裏剣術を専科としてきた経験から言えば、武用として信頼感を担保できる手裏剣は、軽量クラスでも最低重さ60グラム(できれば80グラム以上)、長さも18センチは欲しいところだ。

 この重さとサイズであれば、1間から4間程度まで変化する間合にも十分に対応でき、適度な重さから速度も十分にのり、速度がのるということは威力も担保できることになる。

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▲上から「タイル針」、「コンクリート針」、「明府真影流手裏剣」、そして全
長180ミリ/重さ60グラムで重心調整のために特殊な加工を施してある
「翠月庵推奨軽量剣」。



 ゆえに、

 「生死一重の至近の間合いからの、渾身の一打」

 という、翠月庵の目指す手裏剣術に最も理想的な剣は、やはり翠月剣であると改めて確信した次第である。

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▲間合い4間半から4寸的に、板金を打つ心で5本を打ち、2本を外す。集剣のため的に置きにいくような打剣とは異なり、一打で相手の死命を制する気勢で打ち込む「板金を打つ心」での打剣では、この間合でも全剣的中は難しい



 これは現実的にありえない想定だが、もし仮に我が命を1本の手裏剣に託さねばならないとすれば、私は迷うことなく翠月剣を選ぶだろう。

円明流短刀型手裏剣と翠月剣
▲「25年式翠月剣(短)」(全長230ミリ/身幅13ミリ/重ね6ミリ/重量126グラム)と、円明流手裏剣の写し

 (了)
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タイル針・コンクリート針を打つ/(手裏剣術)
- 2017/01/28(Sat) -
 工具としてして販売されているコンクリート針やタイル針は、代用手裏剣としてよく使われている。

 流派・会派ごとの手裏剣は、いずれも誂え物であり、あるいは最近は流派別の手裏剣のレプリカなども市販されているが、これらの多くも安価なものではない。骨董的価値のある時代のものの手裏剣にいたっては、言わずもがなだ。

 このため、特定の流派や会派に所属せず、武人の嗜みとして独自に手裏剣の稽古をしている人の多くは、コンクリート針やタイル針、あるいはタガネなどを代用手裏剣として使うことが多いだろう。


 私は手裏剣術の稽古に専念した当初から、専用の誂え物を使ってきたので、コンクリート針やタイル針は、あまり打ったことがない。

 加えて、翠月庵で通常使用している手裏剣は、長剣も翠月剣も、いずれも重さが100グラム以上ある重量剣であり、コンクリート針やタイル針に比べるとあまりに長さと重さが異なる。

 長さと重さが異なるということは、手の内をはじめとした打ち方が異なるため、これまではコンクリート針やタイル針は、そもそも代用品としても、あまり考えてこなかった。


 ところが過日、アマゾンで買い物をしていると、ふとタイル針が目について、「たまにはちょっと、打ってみるかな」という気になった。

 そこで、「イシイ 特殊タイル針 ローレット 大」(全長150ミリ、重さ29グラム、径6ミリ、丸型)と、「千吉 コンクリート針 大 NO.16」(全長160ミリ、重さ33グラム、径7ミリ、丸型)を購入して打ってみた。

 拙宅では、座打ちで2間、立打ちでは1間半しか取れないのだが、どちらも2間直打の座打ちで普通に刺さるので、立打ちであれば3間は通せるであろう。

 それにしても、このクラスのサイズの剣は、あまりにも軽く短くて打ちにくい。

 普段、私が使っている25年式翠月剣は、短刀型で全長255ミリ、身幅13ミリ、重ね6ミリ、重量144グラムである。これに比べると、コンクリート針もタイル針も、あまりに軽く短いため、手の内や手離れが全く異なるのだ。

 おまけに、普段の稽古では2~5間で打っているからか、2間座打ちはまったく違和感はないのだが、1間半の立打ちというのは間合いが近すぎてかえって難しい。

 超至近距離で、しかも剣があまりに軽いことから、普段の打ち方で打つとまったく首落ちがせず、剣が立ったままになってしまうのである。

 そこで、通常は禁忌としている手首のスナップを利かせ、滑走を大きくかけることで、ほどなく「板金を打つ心」で刺さるようになった。

 とはいえ、1間半というのは間合いが近すぎて、手裏剣術者としてはかえってストレスのたまる距離だ(苦笑)。

 やはり最低でも、立打ちで2間の間合いがとれるとよいのだが、我が家は間取りや欄間の関係で、立った姿勢ではこれ以上の距離はとれない。まあ、座打ちなら2間がとれるので、良しとするしかあるまいね。

 結局自宅での手裏剣の稽古は久々だったこともあり、気が付けば一刻ほども打剣に集中していた。

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▲「イシイ 特殊タイル針 ローレット 大」を、1間半から立打ち直打、足幅を広げない古伝の一足立ちの姿勢のまま、踏み込みをせず、順体・逆体を織り交ぜて打つ。剣が軽量でしかも短いため、普段とは手の内と指置きを変えないと刺さらない。軽量の剣は本当に難しいものだ



 思うに、これらコンクリート針やタイル針のメリットは、誰でも簡単に購入できること、そしてコストが安いこと、この2点に尽きよう。ホームセンターでも、ネット通販でも簡単に買うことができ、しかも1本の値段はわずか数百円である。

 伝統流派や現代流派の手裏剣の写しは、市販品でも1本数千円はするので、コンクリート針やタイル針のコストの安さは大きな魅力だ。

 また、手裏剣の稽古では、屋内でも屋外でも、外れたり跳ねたりした手裏剣を見失ってしまう事が少なくないのだが、この値段の剣であれば、最悪の場合紛失してしまっても、それほど負担にならない。

 耐久性についても、2時間打って、的に刺さっている剣の剣尾や側面などに、次に打った剣が度々当たったりしたが、剣先が激しくつぶれるなどのダメージは無かった。

 一方でコンクリート針もタイル針も、軽く、短いことから、打剣が難しくなることが最大のデメリットである。本ブログで以前から度々指摘しているように、手裏剣の打剣というものは、剣が軽く短いほど難しいのだ。

 できれば全長200ミリ、重さ40~50グラムほどのものがあれば、もう少し打ちやすくなるだろう。こうした点で、「イシイ 特殊タイル針 ローレット 大」よりも、「千吉 コンクリート針 大 NO.16」の方が、若干だが打ちやすかった。

 もっとも、中級以上の業前の手裏剣術者であれば、このような軽量で短い手裏剣でも、慣れれば立打ちで3間までは十分に通せるだろうし、稽古で間合い3間が通るのであれば、武術としての実践に耐えうると考えられる。

 ただしこの重量で、しかも刃の無い針型の手裏剣ゆえ、武芸としては二星を中心とした顔面部のみを打剣部位としなければならないだろう。

 ちなみに地稽古の経験上、顔面、ことに両目や眉間に投擲物が当たった場合、超軽量の物体(毛筆の筆など)でも十分に、相手の動きを一瞬止めることができる。

 そして相手の動きが一瞬居着けば、あとは斬るなり突くなり、蹴るなり殴るなり、投げるなり極めるなり、あるいは走って逃げるなりすればよいのは言うまでもない。

 逆に言えば、ただ手裏剣を打っただけで、こちらがその場で居着いているようでは、護身にも制敵にもならないということを、武術としての手裏剣術を志す者は忘れてはならない。

 いずれにしても、手裏剣術を看板のひとつにしている以上、たまにはこうした軽量の代用手裏剣も、打っておかねばならないなと改めて思った次第である。

 (了)
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心地よい4間打ち/(手裏剣術)
- 2016/11/26(Sat) -
 本日の稽古では、久々に手裏剣に専念した。

 ここのところ、自分の稽古でも門下への指導でも、柳剛流をはじめとした古流の稽古が中心になっており、どうしても手裏剣の稽古が二義的になっていたことから、今日はたっぷりと手裏剣を打つ。

 思うに当庵では、もう10年近く前から、「武術としての手裏剣術の間合は2間半以内」と指摘し、その理合に基づいて稽古をしてきているわけだが、一方でフィジカルな楽しみというか、手裏剣を直打で打っていて「楽しい」と感じるのは、4間前後の間合である。

 この距離は遠からず、近からず、板金を打つ心で思い切り打ち、それが的中すると実に心地よい。

 若い頃、海外で拳銃射撃に専念した時期があったけれど、この間合での手裏剣の打剣の心地よさは、ある種、拳銃射撃の心持ちにも通じるように思う。

 これが3間以内になると、どうしても「日本武芸としての手裏剣術」という感覚が非常に強くなるし、逆に5間になるとそれ以上の間合から打つ長距離打剣に必要な、ある種特殊な打ち方のコツが必要になりはじめる。

 こうした点で4間という距離は、純粋な戦技の間合でなく、さりとて距離ありきの曲芸的な打ち物の間合でもない、心身の活動として非常に絶妙な間合と思えるのだ。

 この間合で手離れ良く、しっかりと直打で4寸的にズドン! と刺さる感触は、手裏剣術者のみが知ることのできる、至福の快感だといえるだろう。

 個人的には、5間でもこうした感覚で稽古ができるようになりたいのだが、今の私のレベルではどうしても、4間を超えると「的に刺すためのテクニック」を使わねばならず、自然な剣術的体動での打剣は、いまのところ4間止まりというのが現実だ。

 それにしても、やはり手裏剣の稽古は楽しい。

 一刻の間たっぷりと打剣に専念し、剣術や柔術の稽古とはひと味違う筋肉痛を感じつつ、つるべ落としの夕暮れの中、帰路についた。

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 (了) 
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史料の誤読から生まれた、白井亨を祖とする「白井流手裏剣術」/(手裏剣術)
- 2016/09/27(Tue) -
■文末に追記を加えました(2016.9.28)


A様

 お問い合わせいただいた、白井流手裏剣術と白井亨の関係につきまして、私はこれまであまり気にしていなかったのですが、少々調べてみました。

 結論から申しますと、

天真白井流の白井亨を祖とする「白井流手裏剣術」なるものは、根岸流の3代目であった成瀬関次氏の史料の誤読によって生まれた、事実上の創作流儀である可能性が高く、白井亨とは関係が無い

 と思われます。

 まず、一般的に白井流手裏剣術は、成瀬氏が根岸流とともに伝え、その後、白上一空軒氏がその道統を受け継いだと認識されています(昭和60年発行『日本古武道振興会創立50周年記念 日本古武道大会パンフレット』より)。

 そこで、成瀬氏の著作『手裏剣』(昭和18年)を見ると、次のように記されています。

・昭和2年に根岸流の手裏剣を始めてから、他流として白井流を研究した。
・白井流は、ただその打ち方が伝わっているというだけで、詳しい伝統は不明である。
・『会津藩教育考』によれば、黒河内伝五郎が白井流手棒(ぼう)術というものを伝えており、それは手裏剣術と同時に用いたものらしい。
・黒河内の用いた手裏剣は、7~8寸の火箸のようなものだった。
・その投げ方は、右手に持ち肩に構えて踏み込みながら打ったとある。
・小銭の穴をねらって貫いたということから、近距離は直打で、遠距離は回転打であったろうと思われる。
・当時、江戸で行われていた白井流手裏剣術は、9尺以内直打、以上回転打であったといわれている。

 ここで重要なのは、

 1.成瀬氏は白井流を伝承したのではなく、独自に研究したこと。
 2.打ち方以外、伝統などは不明であることを明記していること。
 3.成瀬氏の白井流に関する知見は、そのほとんどが『会津藩教育考』によること。

 以上の3点です。

 そこで、国立国会図書館のデジタルライブラリで公開されている、昭和6年発行の『会津藩教育考』(http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1276804/314)を確認しましたところ、意外なことが分かりました。

 同書によれば、確かに黒河内伝五郎は、白井流手棒(ぼう)術と、手裏剣術を教授しています。

 ところがその手裏剣術については、「流儀名は不明」と、しっかりと明記されているのです。

 つまり成瀬氏は、白井流手棒(ぼう)術の記述に引きずられて、それを教授している黒河内が指導している手裏剣術も白井流であろうと誤読しているのです。

 さらに同書には、

 「七八寸の鉄釘のごときものを右手に持ち肩に構え踏み込みながら擲つ術なり」

 とあるだけで、

 「近距離は直打で、遠距離は回転打であった」とか、「当時、江戸で行われていた白井流手裏剣術は、9尺以内直打、以上回転打であった」、あるいは「手棒(ぼう)術と手裏剣術を同時に行った」などという内容は、まったく記されていません。

 当然ながら、成瀬氏が『会津藩教育考』以外の文献や口承から、こうした具体的な打ち方などを知った可能性は完全には否定できませんが、少なくとも同氏執筆の『手裏剣』においては、白井流手裏剣術の来歴に関して『会津藩教育考』以外に、他の根拠となる具体的な出典は示されていません。

 さらにいえば、そもそも成瀬氏の誤解の元となった「白井流手棒(ぼう)術」なるものについても、『会津藩教育考』には流祖名や伝系などは一切記載されておらず、「白井」という表記・文字のみが天真白井流の白井亨と共通しているだけにすぎないのです。


 以上の点に加え、

・これまで確認されている白井亨や天真白井流等に関連する史料や伝書には、手裏剣術に関する記述が皆無である
・昭和18年発行の『手裏剣』以降、成瀬氏周辺から白井流手裏剣術の伝承や来歴、白井亨との関連などを明確にする史料が示されていない

 といった事実も加味すれば、繰り返しとなりますが、

白井亨を祖とする白井流手裏剣術なるものは、成瀬氏の資料の読み違いから生まれた、事実上の創作流儀であり、天真白井流や白井亨とはまったく関係がない

 という可能性が極めて高いと思われます。

 これについては、手裏剣術や天真白井流に造詣の深い甲野善紀氏も、以前から同じように指摘しているということを、今回、調べる中で初めて知りました。
  (http://www.shouseikan.com/zuikan1009.htm)

 以上、駆け足のレポートですので、完全に断定はできませんが、ご参考にしていただければと思います。


 それにしても今回のご質問について、仕事の合間にPCと手元の史料を2~3時間ほど調べただけで、このように定説を強く否定する情報が得られました。

 にも関わらず、一度広まってしまった間違い、しかも斯界の権威である先人や流派が発信する誤った情報というのは、容易には訂正されないのかと思うと、伝統を受け継ぐ者は自らがその伝統を一度は疑ってみるべしという教えの重要性を強く感じました。

 またこうした武道史・手裏剣術史における重要な誤りの可能性について、成瀬氏の伝系を受け継ぎ日本の伝統的手裏剣術を代表する名門である根岸流周辺の方々から、その後まったく検証や情報発信がされていないであろうということ。

 あるいは他流や現代会派も含めた手裏剣術修行者たちからも、前述の甲野氏の指摘以外、これまでなんら疑問が呈されてこなかったというのは、本来あるべき古武道の正しい継承と公正な研究という意味で、手裏剣術者たる私自身への自戒も込めて、いささか残念に思いました。


 今回の調査を通して改めて、 「過ちては則ち改めるに憚ること勿れ」という古語に、思いを致した次第です。
 
 
 手裏剣術伝習所 翠月庵
 瀬沼健司 謹識

■追記
 本日(2016.9.28)、取材で新宿に行ったおり、紀伊国屋に立ち寄って甲野善紀氏の『神技の系譜』という新刊を手にとった。

 この本には手裏剣術に関する記述があるというのは、以前、ツイッターで流れていた情報で知っていたのだが、実際に読んでみるのはこれが初めてで、想像以上にページを割いていたのは意外であった。

 そして、同書の手裏剣に関する章において、白井流手裏剣術に関する記述があり、甲野氏はそこでも改めて、「白井流手裏剣術と白井亨は無関係」との主張をされていたことは、ここに改めて記しておく。

 当然ながら本ブログの拙文は、本文内でも触れているように、甲野氏の一連の主張については事前に知らずに、予備知識なく調べた結果を書いたものであることは、改めて強調しておく。
 
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10年目/(手裏剣術)
- 2016/09/06(Tue) -
1609_10年目


 どうも例年、必ず過ぎ去ってから気づくのであるが(苦笑)、先日、9月3日の稽古で、我が翠月庵は開庵から丸9年となった。

 そしてこれからは、いよいよ10年目に突入するわけだ。

 ま、だからといって、何が変わるというわけではなく、いままで通り粛々と、稽古を続けていくばかりである。

 これまたいつも思っていることだが、翠月庵の手裏剣術は、

 単なる的打ちではなく、

 伝統を詐称した珍奇な日本文化もどきでもなく、

 武芸の技を金儲けの道具にすることもなく、

 名誉欲や承認欲求を刺激して段位や資格を切り売りするでもなく、

 日本の伝統的な武術における「事」と「理」に則った、

 「生死一重の至近の間合からの渾身の一打」

 という、

 “武術としての手裏剣術”の錬成を目指し、淡々と稽古を続けていく所存である。


 ということで、10年目の翠月庵を宜しくお願い致します。

 庵主 謹識

 (了)
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