心地よい4間打ち/(手裏剣術)
- 2016/11/26(Sat) -
 本日の稽古では、久々に手裏剣に専念した。

 ここのところ、自分の稽古でも門下への指導でも、柳剛流をはじめとした古流の稽古が中心になっており、どうしても手裏剣の稽古が二義的になっていたことから、今日はたっぷりと手裏剣を打つ。

 思うに当庵では、もう10年近く前から、「武術としての手裏剣術の間合は2間半以内」と指摘し、その理合に基づいて稽古をしてきているわけだが、一方でフィジカルな楽しみというか、手裏剣を直打で打っていて「楽しい」と感じるのは、4間前後の間合である。

 この距離は遠からず、近からず、板金を打つ心で思い切り打ち、それが的中すると実に心地よい。

 若い頃、海外で拳銃射撃に専念した時期があったけれど、この間合での手裏剣の打剣の心地よさは、ある種、拳銃射撃の心持ちにも通じるように思う。

 これが3間以内になると、どうしても「日本武芸としての手裏剣術」という感覚が非常に強くなるし、逆に5間になるとそれ以上の間合から打つ長距離打剣に必要な、ある種特殊な打ち方のコツが必要になりはじめる。

 こうした点で4間という距離は、純粋な戦技の間合でなく、さりとて距離ありきの曲芸的な打ち物の間合でもない、心身の活動として非常に絶妙な間合と思えるのだ。

 この間合で手離れ良く、しっかりと直打で4寸的にズドン! と刺さる感触は、手裏剣術者のみが知ることのできる、至福の快感だといえるだろう。

 個人的には、5間でもこうした感覚で稽古ができるようになりたいのだが、今の私のレベルではどうしても、4間を超えると「的に刺すためのテクニック」を使わねばならず、自然な剣術的体動での打剣は、いまのところ4間止まりというのが現実だ。

 それにしても、やはり手裏剣の稽古は楽しい。

 一刻の間たっぷりと打剣に専念し、剣術や柔術の稽古とはひと味違う筋肉痛を感じつつ、つるべ落としの夕暮れの中、帰路についた。

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 (了) 
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史料の誤読から生まれた、白井亨を祖とする「白井流手裏剣術」/(手裏剣術)
- 2016/09/27(Tue) -
■文末に追記を加えました(2016.9.28)


A様

 お問い合わせいただいた、白井流手裏剣術と白井亨の関係につきまして、私はこれまであまり気にしていなかったのですが、少々調べてみました。

 結論から申しますと、

天真白井流の白井亨を祖とする「白井流手裏剣術」なるものは、根岸流の3代目であった成瀬関次氏の史料の誤読によって生まれた、事実上の創作流儀である可能性が高く、白井亨とは関係が無い

 と思われます。

 まず、一般的に白井流手裏剣術は、成瀬氏が根岸流とともに伝え、その後、白上一空軒氏がその道統を受け継いだと認識されています(昭和60年発行『日本古武道振興会創立50周年記念 日本古武道大会パンフレット』より)。

 そこで、成瀬氏の著作『手裏剣』(昭和18年)を見ると、次のように記されています。

・昭和2年に根岸流の手裏剣を始めてから、他流として白井流を研究した。
・白井流は、ただその打ち方が伝わっているというだけで、詳しい伝統は不明である。
・『会津藩教育考』によれば、黒河内伝五郎が白井流手棒(ぼう)術というものを伝えており、それは手裏剣術と同時に用いたものらしい。
・黒河内の用いた手裏剣は、7~8寸の火箸のようなものだった。
・その投げ方は、右手に持ち肩に構えて踏み込みながら打ったとある。
・小銭の穴をねらって貫いたということから、近距離は直打で、遠距離は回転打であったろうと思われる。
・当時、江戸で行われていた白井流手裏剣術は、9尺以内直打、以上回転打であったといわれている。

 ここで重要なのは、

 1.成瀬氏は白井流を伝承したのではなく、独自に研究したこと。
 2.打ち方以外、伝統などは不明であることを明記していること。
 3.成瀬氏の白井流に関する知見は、そのほとんどが『会津藩教育考』によること。

 以上の3点です。

 そこで、国立国会図書館のデジタルライブラリで公開されている、昭和6年発行の『会津藩教育考』(http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1276804/314)を確認しましたところ、意外なことが分かりました。

 同書によれば、確かに黒河内伝五郎は、白井流手棒(ぼう)術と、手裏剣術を教授しています。

 ところがその手裏剣術については、「流儀名は不明」と、しっかりと明記されているのです。

 つまり成瀬氏は、白井流手棒(ぼう)術の記述に引きずられて、それを教授している黒河内が指導している手裏剣術も白井流であろうと誤読しているのです。

 さらに同書には、

 「七八寸の鉄釘のごときものを右手に持ち肩に構え踏み込みながら擲つ術なり」

 とあるだけで、

 「近距離は直打で、遠距離は回転打であった」とか、「当時、江戸で行われていた白井流手裏剣術は、9尺以内直打、以上回転打であった」、あるいは「手棒(ぼう)術と手裏剣術を同時に行った」などという内容は、まったく記されていません。

 当然ながら、成瀬氏が『会津藩教育考』以外の文献や口承から、こうした具体的な打ち方などを知った可能性は完全には否定できませんが、少なくとも同氏執筆の『手裏剣』においては、白井流手裏剣術の来歴に関して『会津藩教育考』以外に、他の根拠となる具体的な出典は示されていません。

 さらにいえば、そもそも成瀬氏の誤解の元となった「白井流手棒(ぼう)術」なるものについても、『会津藩教育考』には流祖名や伝系などは一切記載されておらず、「白井」という表記・文字のみが天真白井流の白井亨と共通しているだけにすぎないのです。


 以上の点に加え、

・これまで確認されている白井亨や天真白井流等に関連する史料や伝書には、手裏剣術に関する記述が皆無である
・昭和18年発行の『手裏剣』以降、成瀬氏周辺から白井流手裏剣術の伝承や来歴、白井亨との関連などを明確にする史料が示されていない

 といった事実も加味すれば、繰り返しとなりますが、

白井亨を祖とする白井流手裏剣術なるものは、成瀬氏の資料の読み違いから生まれた、事実上の創作流儀であり、天真白井流や白井亨とはまったく関係がない

 という可能性が極めて高いと思われます。

 これについては、手裏剣術や天真白井流に造詣の深い甲野善紀氏も、以前から同じように指摘しているということを、今回、調べる中で初めて知りました。
  (http://www.shouseikan.com/zuikan1009.htm)

 以上、駆け足のレポートですので、完全に断定はできませんが、ご参考にしていただければと思います。


 それにしても今回のご質問について、仕事の合間にPCと手元の史料を2~3時間ほど調べただけで、このように定説を強く否定する情報が得られました。

 にも関わらず、一度広まってしまった間違い、しかも斯界の権威である先人や流派が発信する誤った情報というのは、容易には訂正されないのかと思うと、伝統を受け継ぐ者は自らがその伝統を一度は疑ってみるべしという教えの重要性を強く感じました。

 またこうした武道史・手裏剣術史における重要な誤りの可能性について、成瀬氏の伝系を受け継ぎ日本の伝統的手裏剣術を代表する名門である根岸流周辺の方々から、その後まったく検証や情報発信がされていないであろうということ。

 あるいは他流や現代会派も含めた手裏剣術修行者たちからも、前述の甲野氏の指摘以外、これまでなんら疑問が呈されてこなかったというのは、本来あるべき古武道の正しい継承と公正な研究という意味で、手裏剣術者たる私自身への自戒も込めて、いささか残念に思いました。


 今回の調査を通して改めて、 「過ちては則ち改めるに憚ること勿れ」という古語に、思いを致した次第です。
 
 
 手裏剣術伝習所 翠月庵
 瀬沼健司 謹識

■追記
 本日(2016.9.28)、取材で新宿に行ったおり、紀伊国屋に立ち寄って甲野善紀氏の『神技の系譜』という新刊を手にとった。

 この本には手裏剣術に関する記述があるというのは、以前、ツイッターで流れていた情報で知っていたのだが、実際に読んでみるのはこれが初めてで、想像以上にページを割いていたのは意外であった。

 そして、同書の手裏剣に関する章において、白井流手裏剣術に関する記述があり、甲野氏はそこでも改めて、「白井流手裏剣術と白井亨は無関係」との主張をされていたことは、ここに改めて記しておく。

 当然ながら本ブログの拙文は、本文内でも触れているように、甲野氏の一連の主張については事前に知らずに、予備知識なく調べた結果を書いたものであることは、改めて強調しておく。
 
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10年目/(手裏剣術)
- 2016/09/06(Tue) -
1609_10年目


 どうも例年、必ず過ぎ去ってから気づくのであるが(苦笑)、先日、9月3日の稽古で、我が翠月庵は開庵から丸9年となった。

 そしてこれからは、いよいよ10年目に突入するわけだ。

 ま、だからといって、何が変わるというわけではなく、いままで通り粛々と、稽古を続けていくばかりである。

 これまたいつも思っていることだが、翠月庵の手裏剣術は、

 単なる的打ちではなく、

 伝統を詐称した珍奇な日本文化もどきでもなく、

 武芸の技を金儲けの道具にすることもなく、

 名誉欲や承認欲求を刺激して段位や資格を切り売りするでもなく、

 日本の伝統的な武術における「事」と「理」に則った、

 「生死一重の至近の間合からの渾身の一打」

 という、

 “武術としての手裏剣術”の錬成を目指し、淡々と稽古を続けていく所存である。


 ということで、10年目の翠月庵を宜しくお願い致します。

 庵主 謹識

 (了)
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他流の手裏剣を打つ/(手裏剣術)
- 2016/09/04(Sun) -
 当庵で柳剛流を稽古しているU氏は、夢想神伝流組太刀・居合の師範であり、下総周辺で伝承されてきた古流武術である不二心流についても深く研究をされている(http://www.geocities.jp/spirit_vision_lesson/index.html)。

 先日の稽古の際、U氏が不二心流の調査の際、F宗家よりいただいたという手裏剣を数種類、持ってきてくれ、試打をさせてもらった。

 剣のタイプは3種類で、1つは鍛造で香取神道流と同じ形の手裏剣、1つはステンレスの丸棒の片方の先端を削ったもの、1つはステンレスの丸棒の両端を削ったものであった。

 全長はいずれも5~6寸(16~18センチほど)、重さは80グラム前後というところであろうか(その場にメジャーやはかりがなかったので、おおよその見当である)。

 香取神道流タイプの剣は、本歌の香取の剣よりも、全長・重さともに一回り大きく、かなり打ちやすくなっている。実際に打って見ると、私も、また当庵筆頭であるY氏に打ってもらっても、4間直打までは簡単に通すことができた。

 これは、長さと重さが香取神道流の本歌の剣よりも大きく、重くなっているからであり、通常の香取の剣では直打で4間は、いささかやっかいである。

 そもそも、手裏剣というのは、軽ければ軽いほど、短ければ短いほど直打で打つのが難しくなるものなので、伝統的な形状はそのままに、長さや重さをサイズアップするというのは、1つの工夫である。

 もっとも、香取神道流の手裏剣術は、間合3間での使用が前提というので、4間、5間などといった中間間合は、そもそも考慮されていないのだから、それはそれで特に問題ないということだろう。

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▲今回、U氏からお借りして打った手裏剣については、不覚にも写真を撮りそこね
てしまいましたので・・・・。私が所持している、他流の手裏剣各種。下から明府真
影流、香取神道流、知新流、最上段は円明流。上から2番目は、当庵制定の25
年式翠月剣


 同様に、ステンレスの丸棒を削ったタイプの手裏剣2種も、4間まではとくに問題なく、私もY氏も直打で通すことができた。

 ただし、剣の両端を削って剣先にしているタイプのものは、剣尾と手之内の接触を重視する翠月庵の打ち方では、少々打ちにくいものであった。

 津川流の手裏剣や、あるいは白上一空軒氏考案の手裏剣も、このように剣体の両端に剣先があるタイプで、これらのものは、直打でも反転打でも、どちらの打法でも使えるようにとの工夫のために、このような形状になっている。

 しかし、そもそも直打で6~7間を通すことのできる手裏剣術者であれば、別段、反転打で打つ必要はないので、このような細工は不要であろう。


 今回、久々に他流の手裏剣を打ってみて思ったのは、やはり「手之内」と「離れ、そして「重心」の重要性である。

 この3つを融通無碍に使いこなすことができれば、重さや長さ、形状の異なる他流の剣でも、ある程度、咄嗟に打てるものだ。

 逆に言えば、少なくとも「武術としての手裏剣術者」を標榜するのであれば、たとえ他流の剣でも3間以内の近距離ならば、ある程度は咄嗟に的中させられなくてはなるまい。

 一方で、間合が4間を超えると、剣そのものの形状や重量、重心といった構造が、てきめんに刺中に影響するようになるという点も、改めて確認することができた。


 いずれにしても、「軽い剣、短い剣は、使いにくいなあ・・・・・」というのが、25年式翠月剣(全長255ミリ/身幅13ミリ/重ね6ミリ/重量144グラム)を正式としている、私個人の感想である。

160904_132159.jpg
▲1本だけ手裏剣をもって立合いの場へと言われたら、やっぱ
りこれしかあるまい。円明流(竹村流)の短刀型手裏剣(長さ8
寸(約240ミリ)、元幅8分5厘(約25.5ミリ)、重ね5分(15ミ
リ)、重さ70匁(約262グラム))。ただしこの写しは、材料の鋼
材の関係で、重ねは約2分(6ミリ)、重さは約59匁(約224グ
ラム)となっている

 (了)
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平成28年度 手裏剣術講習会・夏季納涼会・合同稽古/(手裏剣術)
- 2016/08/15(Mon) -
 先の週末の2日間は、毎年恒例となっている、戸山流居合抜刀術美濃羽会 中津川稽古会の皆さんとの手裏剣術講習会・納涼会・合同稽古を行った。

 朝7時、武州の拙宅を出て、青春18きっぷで中央本線から中央西線を経ておよそ8時間かけて中津川へ。

 到着後、まずは中津川稽古会の皆さんを対象に手裏剣術講習を実施。

 今回は長剣を使って2間前後で、「板金を打つ心」での打剣をしてもらう。

 夕方からは納涼会として、バーベキューを満喫。

 いつものごとく、私は泥酔、そして就寝・・・・・・。

 2日目は中津川稽古会の皆さんとともに、相対稽古で汗を流す。

 稽古後昼食を済ませ、中津川を後に帰路に着く。


 O先生をはじめ、中津川稽古会の皆さん、今年も楽しい時間を過ごさせていただき、ありがとうございました。

 次回は年末の忘年会&合同稽古でお会いしましょう!

 (了)
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