10周年/(武術・武道)
- 2017/08/27(Sun) -
 昨日の定例稽古で、翠月庵は開設から10周年となった。

 「面壁九年」というけれど、いまだ武の悟りははるか彼方である。

 しかし、12歳で初めて柔と剣の稽古を始め、三十路後半に自らの稽古の「場」である翠月庵を開設。

 以来10年間、この「場」を継続できたというのは、庵主としてそれなりに感慨深いものだ。

 それもこれも、師や武兄、武友や門人、そして家主様など、たくさんの人たちの支えによるものなのだと、しみじみ思う。


 次回の定例稽古からは11年目となる。

 武術伝習所 翠月庵は、これからも粛々と、仙台藩角田伝柳剛流をはじめとした古流武術と、手裏剣術の研鑽に努めていく所存である。

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 「習へ遠く心や雲となりにけり
              晴てそたたぬ有明の月」(柳剛流 武道歌)


  (了)
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8月の水月塾本部稽古~柳剛流、伝書講義/(武術・武道)
- 2017/08/21(Mon) -
 昨日は、水月塾本部での稽古。

 朝9時半から夕方4時半までみっちりと、師に柳剛流の稽古をつけていただく。

 剣術は、備之伝・フセギ秘伝をはじめ、右剣、左剣、無心剣について、長刀では特に切上について、師に丁寧に手直しをしていただいた。

 普段、翠月庵の稽古では、どうしても指導が中心となるため自分で仕太刀を執ることが少なく、毎日の一人稽古では主観に傾きがちになるため、こうして業や心法の偏りや歪みを師に直接正していただけるのは本当にありがたいことだ。
 


 昼食後、本部稽古恒例の伝書講義では、甲陽流武学の伝書を拝見、師にご解説をいただく。

 一般的に軍学・武学では、個別的な戦闘技術である武芸について語られることは少ないのだが、この伝書は鎧櫃に描かれる「前」の字についての故実や意義を説きつつ、剣術の心法などについても触れている、たいへん興味深いものである。

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 稽古後半は、来月23日に長野県松代町で行われる、松代藩文武学校武道会の秋の演武会で披露する柳剛流の形を、師に打太刀を執っていただきじっくりと稽古する。

 古流修行者にとって、演武は「真剣勝負の場」だ。

 諸流の先生方やその門下の皆さんに対して、恥ずかしくない柳剛流の業前を披露できるよう、さらに精進をしていかねばならない。



 稽古後は、いつものごとく、師に同道させていただき、しばし酒宴。

 たっぷり盃を傾けた後、ほろ酔い気分で武州への帰路についた。

 (了)
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粟田口の善法/(武術・武道)
- 2017/07/24(Mon) -
 室町末期の侘び茶人に、粟田口の善法という人がいた。

 『山上宗二記』によると侘び数寄というのは、

 「一物も持たざる者、胸の覚悟一つ、作分一つ、手柄一つ、この三ヶ条を調うる者」

 なのだという。

 山上宗二は、そんな侘び数寄の代表として、善法を紹介する。

「京粟田口、善法。かんなべ一つにして一世の間、食をも茶湯をもするなり。身上楽しむ胸のきれいなる者とて、珠光褒美候」
 (京、粟田口の善法。燗鍋ひとつにて、一生の間、食事も茶もまかなった。この善法の楽しみ、胸中きれいなる者として珠光は称賛した)



 その名声を聞いた太閤秀吉は、善法のたった一つの燗鍋を使って茶会を開くよう、自身の茶頭である千利休に命じた。

 しかし善法は、「このような釜があるから、そんなつまらないことを言われるのだ!」と、自らの釜を粉々に打ち砕いたという。

 これを聞いた秀吉は、「善法こそ真の侘び茶人である」と感嘆し、砕かれた釜と同じ物を2つ作り、1つを自らの物とし、もう1つを善法に与えたという。



 平成の御代に「一物も持たざる者」である私だが、かなうことなら善法のように気高く侘びた、覚悟一つの「胸のきれいなる」武術・武道人でありたいと思う。


 けがさしとおもふ御法のともすれば
   世わたるはしと成そかなしき (慈鎮和尚)

 住所もとめかねつつあつましさして
   行はこしきに猶もなりひら (山上宗二)


市原長光

 (了)
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7月の水月塾本部稽古~甲陽水月流柔術/(武術・武道)
- 2017/07/17(Mon) -
 昨日は水月塾本部での稽古。

 師のご指導の元、カナダから武者修行に来日したC氏と、甲陽水月流の稽古に汗を流す。

 「汗を流す」というのが比喩ではなく、実際に滝のように流れる汗で、稽古中、捕った手がたびたび外れてしまうほどである。

 巨漢のC氏との柔術の稽古は、相手の手首の太さに、掌の小さな私は掴み手の力の入れ加減が思うように効かないほどであるが、だからこそ稽古が面白い。

 先月はハンガリー支部の人々と、やはり柔術の稽古にいそしんだが、その際、6尺を優に超える長身の相手に私が七里引きなどをかけると、まるで子どもがぶら下がっているようだ。

 とはいえ、肉弾戦の稽古はこちらとしても多いに望むところであり(いや、そんなに荒っぽいものではないけれどネ・・・)、稽古の際に忖度のない外国人との体術の稽古は、実にやりがいのあるもので、私は大好物だ(笑)。

 もっとも、たとえば空手の組手で切ってしまった左右のアキレス腱や、手裏剣の打ちすぎで痛めている右ひじ、脱臼癖のある右ひざなどなど、老兵ゆえのウイークポイントが少なくないので、調子にのっていると新たなケガにつながるだけに、重々注意をせねばと自戒する。

 いずれにしても、柔術の稽古は楽しい。

 今回は夕方から所用が入ってしまったため、稽古は午前中のみの参加であったが、充実した時間を過ごすことができた。

 それにしても、「地獄詰」と「後詰」は効いた。これは得意技にしようと思う・・・・・・。

 (了)
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自覚的に望むこと/(武術・武道)
- 2017/07/14(Fri) -
 現代おける武術・武道が志向すべき目的のひとつが、日本古来の武技の鍛錬を通じての「人格の涵養」にあることは論を待たない。

 一方で、少なくない武術・武道関係者が内心、「本当に武術・武道で人格が涵養されるのか、はなはだ疑問だ・・・」と思っていることもまた事実であろう。

 実際のところ、武術・武道の世界には、妬みや嫉みによる誹謗中傷、自己愛や承認欲求が肥大化してしまった者同士の争いなどが絶えず、体罰や金銭面のトラブルなどもたびたび耳にする。



 考えてみるに、武術・武道というある意味で特殊な芸事の世界も、結局は現代における日本社会の縮図である以上、私たちの身の回りにある「世間」という社会に、立派な人、普通の人、迷惑な人、反社会的な人などがそれぞれ存在しているのと同じように、武術・武道の世界にも立派な人、普通の人、迷惑な人、反社会的な人などが同じような比率で存在しているのだろう。

 だからこそ往古、殺人術としてあった武技が、ある種の嗜みや楽しみ、娯楽としての一面を持つ技芸に転化していった江戸時代頃から、「どうせ武芸を習うのであれば、それによって未熟で愚かな己の人柄を磨いていこう! いや、磨けるといいんじゃないの?」というような、倫理的な志向が発生してきたのではなかろうか。

 こうした流れの延長線上に、現在の武術・武道が志向すべき「武技の鍛錬による人格の涵養」があるのだろう。

 そう考えると、「武術・武道では人格を涵養できない」のではなく、まずは「武術・武道をもって、人格を涵養したい」と自覚的に望むことが大切なのではなかろうか?

 そもそも、自ら「武技の鍛錬を通して人格を涵養したい」と望んでいない人が、武芸を学んだとて人格が涵養されるわけがない。

 だからこそ、他者に武技を指南する立場にある指導者は、自らの身を慎むことは言うまでもないが、門下・門弟に対しても「武技の鍛錬を通して人格を涵養せよ」と、折に触れて教導しなければならない。

 このような指導者による門下への明確な動機付けが無いゆえに、人格の涵養されていない武術・武道人が、飽きることなく次々と生み出されてしまうのであろう。



 古流武術の起請文の多くには、「他流を誹るなかれ」「他流と争うなかれ」といった条文が必ず含まれている。

 あるいは現代武道の道場訓でも、多くの流儀・会派に「血気の勇を戒めること」「恥を知ること」といった一文がある。

 こうした教えは、処世術としては護身のための端的な行動指針であり、倫理的には武技による人格完成への第一歩なのだ。

 ひるがえって己自身を鑑みれば、愚かで未熟で弱い自分だからこそ、「武技の鍛錬を通じ、昨日よりも今日の自分が、少しでもより良い武人でありたい」と自覚的に望み、己を戒めねばならないと思っている。

 「武徳」への道のりとは、そのようなものではないだろうか。


 「よく、ありのままを受け入れて欲しいというけれど、怠けている状態をありのままとは言わないの。畑の大根だって食べてもらうには泥を洗って、皮をむいて切り分けて、ちゃんと手間をかけないと人前に出せないのと同じ。ありのままの自分を受け入れろということは、土の付いたままの大根を食べなさいといういうようなことですよ」(美輪明宏)

 (了)
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