ツタヤ図書館的薄っぺらな世界/(時評)
- 2015/11/14(Sat) -
 先週は流祖墓参の折りに幸手の市立図書館へ、今週は都内での打ち合わせの帰りにさいたま市立中央図書館に立ち寄り、それぞれで以前から目をつけていた柳剛流関連の貴重な資料を入手することができた。

 ■幸手市立図書館で入手した資料
 『幸手市史 通史編Ⅱ』/「第二章 明治期の教育と文化・生活 二 柳剛流の発展」
 『幸手市史調査報告書 第10集 村と町-往時の幸手-』/「吉田村誌 第三節 武術家」
 『幸手市文化遺産調査報告書 第2集 幸手の石造物Ⅱ -吉田地区-』

 ■さいたま市立中央図書館で入手した資料
 『浦和市立郷土博物館研究調査報告書 第7集』/「綱島家の剣術について」(山本邦夫)
 『蕨市立歴史民俗資料館紀要 第6号』/「雑誌并見聞録」(小林雅助)

 なかでも、 『幸手市史調査報告書 第10集 村と町-往時の幸手-』に掲載されている「吉田村誌」は、大正7(1918)年にまとめられた筆書きの郷土史で、流祖・岡田惣右衛門奇良の生涯についての、たいへん貴重な一次資料である。流祖が18歳で葛飾郡惣新田から江戸へ出たこと、本家は流祖の弟が家督を継いだことなどは、この資料によって始めて明らかになったものだ。

 また 『蕨市立歴史民俗資料館紀要 第6号』に掲載されている「雑誌并見聞録」は、明治40(1907)年に記された蕨地区の郷土資料で、柳剛流を代表する剣客・岡田十内の来歴に関する重要な記述が示された一次資料である。

 剣術史家の辻淳先生は、従来別人とされてきた、十内の師である今井右膳と林右膳が、どうやら同一人物であるという点を指摘している。その根拠となってるのが、この「雑誌并見聞録」に記された証言なのである。

 これらはいずれも実技に関する資料ではないが、流儀の歴史に関するたいへん重要な資料であり、それらを味読できるのはなんともうれしい。

 さて、それぞれの資料についてのレビューなどはいずれ機会を改めてしようかと思うが、ここで話は武雄市や海老名市、小牧市などで話題になっている「ツタヤ図書館」問題へ飛ぶ。



 武雄市の図書館問題で一番腹立たしいのは、ツタヤの関連会社から仕入れたクズ同然の古本を収蔵するために、国会図書館にも収蔵されてない貴重な郷土史の資料を捨てててしまったということだ。この図書館の運営者であるツタヤの親会社は、公立図書館の管理者として常軌を逸しているとしか思えない。

 社会的使命を忘れ利益を最優先する民間企業、それに寄生して甘い汁を吸ういかがわしい政治家、何ごとにも事なかれ主義の地方公務員、こうした人々が集まった結果が、武雄市のツタヤ図書館問題なのである

 ちなみに、このツタヤ図書館を企画し建設を主導した前市長は、現在、ツタヤの関連会社に天下りしているそうな。時代劇風にいえば、引退した悪代官が越後屋の番頭になったということかね・・・。

 思うに、今後も全国各地で「民間委託」「規制緩和」という耳障りのよい言葉のもとで、図書館だけでなく地域のさまざまな公的サービスが、利益最優先の民間企業主導の施策で次々に劣化・破壊されていくことが予想される。

 そもそも図書館はおしゃれである必要はないし、カフェも要らない。お茶が飲みたきゃ、自販機置おいときゃあいいんだ。

 そういう「うわっつら」ではなく、本来あるべき図書館としての機能をより高めていけばよいだけの話だし、そういう理念を共有できる、三方よしの近江商人のような社会的使命を理解しているまともな民間企業に、地域の公共事業を委託すべきだろう。

 武雄市のツタヤ図書館運営者の行為は、人類の知や文化・芸術への冒涜としか思えない。

 全国の図書館がみなツタヤ図書館のようになってしまったら、 なんとなくおしゃれで明るい、けれど薄っぺらで深みのない館内そして蔵書の中で、「吉田村誌」や「雑誌并見聞録」のような資料は、他県のラーメン食べ歩きや年度落ちの資格の古本を仕入れるために、ごみとして捨てられてしまうのか・・・・・・。

 そんな「ツタヤ図書館的薄っぺらな世界」が、これから全国各地で出現するのかね・・・・?

 いや、幸手市立図書館やさいたま市立中央図書館の運営者や職員の方々、また幸手市民やさいたま市民は、そんな愚か者ではないことを信じたいものだ。一方で、うちの地元の図書館は・・・・・・・、いろいろあって、はなはだ不安である。


 とりあえず私は、今後もひとりツタヤ&ブックオフ不買運動、ひとり地域の書店&古書肆応援運動を続けていく所存である。

 ま、どうせツタヤには、『図解 手裏剣術』とか『日本剣道史』とか、あるいは『オースティン・スペアの魔術』とか『易学通変』とかは置いてないからな。

 あと、ひとりTポイントカード拒否運動も続けていこうと思う。

 つうか、レジで支払いをするたんびに、「Tポイントカードはお持ちですかあ~」と聞かれると、ほんとイラッってくるんだよな。Tポイントカード持ってません・いりません・くそくらえカードとかないのかね・・・。

 あ、ちなみに今、私はシラフです。酔っ払ってませんよ、念のため・・・・、これから飲むケド(爆)。

 (完)
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なんかダサイ・・・/(時評)
- 2015/11/02(Mon) -
 昨日の朝日新聞の日曜版『朝日新聞グローブ』で、インスタグラムを紹介する記事に、こんなフレーズがあった。

 曰く、

「ツイッターやフェイスブックなど、SNSはそれまでも使ってきた。でも『長々と文章書くのは、なんかダサイ』。インスタグラムは写真が中心。サイトにはオシャレな投稿写真があふれている」

 のだそうな。

 なるほど、長々と文章を書くのは、「なんかダサイ」んですな。


 長々と文章を書くことで、20年ほど飯を食っている者として考えると、たしかに長いだけの悪文を読まされるのは、なんとも苦痛なものだ。

 ゆえに、長い文章を読む/書くには、そのための修練が必要になるわけで、たとえば大学生の稚拙な卒論レベルでも、幼・小・中・高・大と学んできたからこそ、ようやく一定の分量の長文が読めて書けているわけだ。

 その昔、売文稼業の先輩に、「長い文章が書ける記者は短文も書けるが、短文しか書けない記者は長文が書けない。だからブンヤの書く長文は悪文が多いのだ。ヤツラに6000文字くらいの原稿書かせてみろ、ヒドいもんだぜ・・・」などと、江古田の居酒屋あたりでよく言われたもんである。

 これは今考えると、出版業界カーストにおける最下層民としてのわれわれ雑文屋の、業界ではバラモン的存在であるブンヤさんたちに対するやっかみが多分に含まれていると思うけども。

 やっぱ同じ売文稼業でも、厚生年金がかかってる連中にはかないません・・・。


 文章を書くという行為においては、1つの事象について、より短い語句で核心を突きつつそれを表現するというのは、いわば達人の領域である。だからこそ、芭蕉や放哉は偉大なのだ。

 それにしても、一言半句でモノゴトの核心を突くというのは、容易なことではない。

 武芸で言えば、名人・達人の業なのである。ゆえに売文屋や作家の卵たちは駆け出し時代、とにかく大量に書いて「筆力」を養う必要があるし、そうやって鍛えられる。ある意味でこうした過程も、武術の稽古とよく似ている。

 1000枚でも2000枚でも書ける人間が書いた一言半句と、10枚しか書けない人間が書いた一言半句は、まったくレベルが違う文章なのだと開高センセイも北方センセイも言ってる・・・、オレは会ったことはないけどな(爆)。

 とはいえ時候の挨拶どころか、メールに宛名も書かない人が多い昨今、それこそこんな長文をだらだら書いているのは「ダサイ」のだろう。

 ま、いいんだ。オレたちは滅び行く、あらほましき一党なのだから・・・・・・。


 ところで「ダサイ」という言葉は、死語にならなかったのだねえ。

 なにはともあれ、ナウなヤングは頭がピーマンにならないよう、インスタを楽しんでくれたまえ。

 ぢゃあ、バイビー。

 (おしまい)
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DVという「病い」/(時評)
- 2015/09/11(Fri) -
 過日、DV(ドメスティック・バイオレンス)防止法施行から15年ということで、仕事で専門家に話しを聞いた。

 DVの相談件数は年々増加傾向にあるというが、そもそものところで家庭内等での日常的な暴力がDVと認知されたのはここ10数年のことであり、潜在的な実態が、防止法の施行と社会の認知によって顕在化した結果が、こうした増加傾向にあるのではないかという。

 妻から夫へのDVというものも稀にはあるが、基本的にDVの大多数が、夫から妻への身体的・精神的暴力である。

 その際、多くのDV夫が口をそろえて言うのが、

 「殴ったのは良くないかもしれないが、自分を怒らせる妻も悪い」

 という弁明だという・・・。

 客観的に考えれば、これはまったく言い訳になっていないことは一目瞭然だ。


 「殴ったのは良くないかも知れないが、自分を怒らせる妻も悪い」

 「蹴りを入れたのは良くないかもしれないが、自分を怒らせる妻も悪い」

 「半殺しにしたのは良くないかもしれないが、自分を怒らせる妻も悪い」

 「包丁を突きつけたのは良くないかもしれないが、自分を怒らせる妻も悪い」

 「殺したのは良くないかもしれないが、自分を怒らせる妻も悪い」


 とまあ、こんな理屈以前の理屈が認められたら、世の中なんでもありになってしまうであろうことは、錦糸町のキャバクラのお姐さんたちでも分かる、社会の道理というものだ。

 「人を殴ってはいけません」というのは、社会の倫理として最も基本的な了解事項であり、幼稚園児くらいのときにはすでに理解しているべきことなのだが、DV男(ま、女でもいいけど)は、「自分だけは、それが許される」と勘違いしているところに、病根の深さがある。

 また、多くのDV夫は、「夫の方が妻より偉い」「妻は夫を最優先にすべきだ」という価値観が強く、自分と同じ価値観を妻も持つべきだと、強く信じている傾向にあるという。

 「他者も、自分と同じ価値観を持つべき」という同質性の強要は、人種差別主義者や排外主義者にもよく見られるものだ。

 さらに、多くのDV夫は、「家庭の問題であるから、口を出すな」との言い逃れをよくするという。

 しかし、DV防止法の施行によって、

「(DV防止法では)配偶者等からの暴力を「暴力」と認め、かつ、それが「犯罪となる行為をも含む重大な人権侵害」だと規定し、暴力や人権侵害の根絶を図るために、保護命令制度の規定、婦人相談所(千葉県では女性サポートセンターになります。)や婦人相談員の位置付け、関係機関相互の連携協力の義務付けなど、被害者支援のための仕組みを規定」(千葉県ホームページより)

 することにより、DVは単なる家庭内の問題ではなく、社会の問題として扱われるようになっているのである。


 一方で、武術・武道という人間の暴力を扱う専門の立場から考えると、DV傾向のある人間というのは、何かに対する恐れが過剰なのであるまいか。

 一見、最も身近な人間ながら、本質的には他人である妻に、無条件で自分のすべてを受け入れてほしいという、ある種の幼児性が成人後も解消されないというのは、本人のアイデンティティに何か大きな不全があるのかもしれない。

 さらに「武徳」や「修身」という観点から考えると、DV男というのは、己よりも圧倒的に立場や力の弱い相手である女性に対して暴力をふるうことで、己の承認欲求を満たそうとし、あまつさえそれを身勝手な理屈で正当化するという、いわば、

 人間のクズ

 なのだから、そのふるった暴力に見合った刑罰を受けるなり、心療内科や精神科の治療を受けるなりして、本人の家族はもちろん、地域社会全体にも迷惑をかけないようにしていただきたいものである。


 「子どもは成長に伴って抑制力を身につけ、一つの行動を持続できるようになります。強い心とはよけいな刺激に惑わされないこと、優しい心とは自分の行動を抑えて他人を受け入れることです。心を育むとは抑制力をつけることと言えますが、一方で、抑制を上手に解くことにより、創造的な行動が生まれます」信州大学繊維学部助教・森山徹

 (了)
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まさかこんな時代が来るとはねえ・・・/(時評)
- 2015/06/28(Sun) -

日本国憲法第21条第1項
集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。



 まったく、自分が生きている間に、こんな時代が来るとは思わなかったのは、場末のロートルとは言え取材記者としての自分の先見性の無さを恥じる。

 議会制民主主義に基づいて、国民の負託を得た政府や政権与党が、これほどあからさまに言論弾圧をする時代が到来するとは、いやまったく驚きである。


 1990年代後半から2000年代の初めにかけて、私は中東の民族紛争を自分の取材テーマとして、彼の地で何度か金にならない自腹での取材活動をしたり、38度線を越えて北朝鮮で取材したりもした。

 たとえば当時のシリアは、先代のアサド大統領が健在の時代だったが、言論の自由などまったくなく、とにかく行く先行く先で秘密警察の監視が厳しく、取材どころか世間話をするにも緊張感が必要だった。

 あるいは北朝鮮では、基本的に外国人記者が滞在する宿泊施設には、すべてに盗聴器が仕掛けられているので、自室内で外国人記者同士といえども、自由に会話をすることもはばかられたし、当然ながら一般市民の自由な言葉など、聞くことさえできなかった。それどころか、国境を越える前に通訳から「絶対に金正日と呼び捨てで呼ばないでください。自分の部屋の中ででも、独り言ででも絶対にだめです。必ず、金正日将軍と呼んでください!」と、本気で忠告された。

 イラク北部のクルドゲリラの解放区への潜入を試みた際には、トルコの秘密警察に国境でたいへん紳士的に軟禁され、丁寧にトルコ領内に連れ戻されたことがあった。その際、ジュントルネスな警官氏に、「なんでオレのこと知ってんの?」と聞いたところ、「ずっと監視してたんだよ。あんた、イスタンブールで反政府系の新聞社にいただろう」と、私の取材活動はすべて監視されていたのだった。

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▲中東をうろうろしていたころのパスポート。いまはどうか知らないが、当時は独裁国家ほど、ビザのスタンプがでかかった・・・



 とまあ言論の自由がない国というのは、ことほどさように陰鬱で暗い社会であり、それは必ず権力による監視社会につながるんだが・・・。


●大西英男衆院議員(東京16区、当選2回)

 「マスコミを懲らしめるには、広告料収入がなくなるのが一番。政治家には言えないことで、安倍晋三首相も言えないことだが、不買運動じゃないが、日本を過つ企業に広告料を支払うなんてとんでもないと、経団連などに働きかけしてほしい」

●井上貴博衆院議員(福岡1区、当選2回)

 「福岡の青年会議所理事長の時、マスコミをたたいたことがある。日本全体でやらなきゃいけないことだが、スポンサーにならないことが一番(マスコミは)こたえることが分かった」

●長尾敬衆院議員(比例近畿ブロック、当選2回)

 「沖縄の特殊なメディア構造をつくったのは戦後保守の堕落だ。先生なら沖縄のゆがんだ世論を正しい方向に持っていくために、どのようなアクションを起こすか。左翼勢力に完全に乗っ取られている」

●百田尚樹氏

 「本当に沖縄の二つの新聞社は絶対つぶさなあかん。沖縄県人がどう目を覚ますか。あってはいけないことだが、沖縄のどっかの島でも中国にとられてしまえば目を覚ますはずだ」
 



 とりあえず、この議員たちに投票した人や、この作家の本を買った人たちというのは、言論の自由や表現の自由をどう考えとるんだろうね。

 これら若手議員の発言だけでなく、政府自民党は先の選挙前に報道各社に「通達」という形式で圧力をかけるなど、とにかく言論統制や弾圧があまりにもあからさまだ。

 また、これは地方のニュースなので関東圏でない人はあまり知らないと思うけれど、埼玉県さいたま市の公民館・教育委員会が、護憲派のデモをテーマにした俳句の公民館だよりへの掲載を拒否して裁判となっている。

 往々にして行政の人間というのは、時の政府与党や地元の権力者の動きに敏感なので、頼まれてもいないのに政治家の意向を「忖度(そんたく)」したがるものなのである。

 ゆえに、このさいたま市の公民館・教育委員会のように、簡単に言論統制を始めてしまうのだ。

 埼玉といえば、明治政府の圧制に叛旗を翻し自由自治元年を謳った「秩父事件」で、その名を歴史にとどめている場所にもかかわらず、この体たらくである。

 草葉の陰で井上伝蔵が泣いていると思うのは、私だけではあるまい。


 護憲にせよ改憲にせよ、集団的自衛権に賛成にせよ反対にせよ、それらの議論とそれに基づいた政策決定、民主主義の根幹を担保しているのが、言論の自由であることを忘れてはならない。

 あんまりこういう政治向きの話題は、ここでは書きたくないのだが、あまりにも最近、言論統制や言論弾圧があからさまなので、場末の記者として思わず書き連ねた次第。

 (了)
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「ヘイト」という女中根性/(時評)
- 2015/02/13(Fri) -
 最近ネットなどで目に付く不快な風潮に、たとえば何かの事件やトラブルがあったりすると、その相手を何の根拠もなく特定の在日外国人扱いするというものがある。

 こんな情けないヨタ話を真に受ける人間が、そんなにいるとは思わないが、そもそも自分にとって都合の悪いことや気に食わないことは、すべて外国人や自国に暮らすマイノリティのせいにするというのは、なんともさもしい「女中根性」である。


「女中根性というのは、自分の実力を全力発揮するチャンスのなかなか得られない、お屋敷奉公(これは嫁入り修業の行儀見習を兼ねていた)の町人の娘が、互いに隠れて朋輩のけなし合いにうつつをぬかすような態度をいい、表面は「お堅い」のですが、精神が非独立的で非生産的なのです。移動の自由が少ない社会では、男にもこういうのがいるでしょう」
(兵頭二十八/日本勇気倍増計画HP(http://www.gotoyoshinori.com/028hyodo/post_67.html)『9)勇気と度胸/為永春水/勇気は景気次第(前編)』より)



 人種差別というのは安直なものだ。

 たとえば「自分は日本人である」という事実は、日本人に生まれれば誰でも日本人であることができる。

 そこには、努力も精進も必要がない。

 そういう安直なところに、己の優越感・存在意義を置くというのは、実に情けないことだ。

 一方でだからこそ、今の世の中に不満のある、しかし自分で自分の運命を切り開くガッツのないヘタレたちが、こぞってヘイトに走るのであろう。
 
 自分の人生に真剣に取り組んでいれば、ヘイトで憂さ晴らしをするような下らない時間はないはずだ。

 ネットで「在日認定」とか書いて下卑た笑いをしている暇があったら、素振り1000回でもしとけってなもんだ。いやほんと、本気(マジ)で。


~世の中に不満があるなら自分を変えろ。 それが嫌なら耳と目を閉じ、口をつぐんで孤独に暮らせ~(『攻殻機動隊』より)

 (了)
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