鉄路~初夏のみちのくと越後を往く/(旅)
- 2012/05/25(Fri) -
鉄路

 5月17日から21日まで、大宮~仙台~新庄~余目~酒田~新潟~会津~新潟~水上~大宮を、すべて各駅停車で旅をした。

 旅雑誌の取材旅行である。

 撮影も取材も自分で行う、きままな、しかし、いささかハードな一人旅。

 途中、リゾートみのり、きらきらうえつ、SLばんえつ物語号と、3つのリゾート列車にはしご乗りをする。

 それに加えて、松島では遊覧船、酒田ではレンタサイクル、阿賀野川では川船に乗る。

 列車の旅で何が楽しいかといえば、思う存分酒が飲めることだ。おまけに車と違って排気ガスもださないので、地球にやさしいことこのうえないではないか。

 仕事の旅であり、酒についても書かなければならないので、こころおきなく存分に、正々堂々と列車の中で酒を飲む。

リゾートみのり

 みちのくも、越後も、いずれ劣らぬ酒どころだ。

きらきらうえつ

 みちのくの田園を眺めながら、あるいは日本海の夕暮れを肴に、ほろ酔いの旅が続く。

欄間の陰

 ときどきは列車を降り、歴史の面影を探してみる。旧家の欄間は、陰を鑑賞するのだとか。

 そしてまた、列車に飛び乗り、酒を飲む。

駅弁

 もちろん旅の間は、武芸などといった野暮なことは考えない・・・(笑)。

 SL車内のアンバーな灯りも、旅情をそそる。

SL.jpg

 そしてまた、鉄路をたどって家路につく。

鉄路2

 かくして円環は、閉じられた。

 (了)
 
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恐山紀行
- 2010/05/18(Tue) -
これはこの世のことならず

死出の山路の裾野なる

さいの河原の物語

三途の川

聞くにつけても哀れなり

二つや三つや四つ五つ

十にも足らぬおさなごが

総門

父恋し母恋し

恋し恋しと泣く声は

扁額

この世の声とは事変わり

悲しさ骨身を通すなり

暁

かのみどりごの所作として

河原の石をとり集め

これにて回向の塔を組む

地獄から極楽へ

一重組んでは父のため

二重組んでは母のため

三重組んではふるさとの

足跡

兄弟我身と回向して

昼は独りで遊べども

日も入り相いのその頃は

卒塔婆

地獄の鬼が現れて

やれ汝らは何をする

娑婆に残りし父母は

追善供養の勤めなく

(ただ明け暮れの嘆きには)

(酷や可哀や不憫やと)

親の嘆きは汝らの

苦患を受くる種となる

我を恨むる事なかれと

くろがねの棒をのべ

積みたる塔を押し崩す

地蔵菩薩

その時能化の地蔵尊

ゆるぎ出てさせたまいつつ

汝ら命短かくて

冥土の旅に来るなり

極楽浜

娑婆と冥土はほど遠し

我を冥土の父母と

思うて明け暮れ頼めよと

浄土

幼き者を御衣の

もすその内にかき入れて

哀れみたまうぞ有難き

極楽の砂

いまだ歩まぬみどりごを

錫杖の柄に取り付かせ

忍辱慈悲の御肌へに

水際

いだきかかえなでさすり

哀れみたまうぞ有難き

南無延命地蔵大菩薩

(了)

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’10 春の武者修行in美濃/(旅)
- 2010/05/05(Wed) -
5月2日(日)

 朝5時、家を出る。

 これから3日間、美濃での武者修行の旅だ(笑)。

 昨年に引き続き岐阜県中津川市に、戸山流居合抜刀術美濃羽会中津川稽古会代表の棚田さんをお訪ねするのである。

 鈍行列車(死語か?)を乗り継ぎ、中央本線を北に向かえば、次第に車窓の風景は山国のそれとなる。放哉の句集などをつらつらと読みながら、甲斐、信濃、木曽と進んで、およそ8時間かけて、午後1時に中津川市に到着。

 棚田さんとは9ヶ月ぶりの再会である。

 まずは体育館に向かい、明日、日本大正村で行う演武のための最終調整に余念のない、中津川稽古会の皆さんの稽古を拝見。他流の見取り稽古は、いつ見ても興味深いものである。ことに、組太刀での「受け流し」と「かい潜り」の足捌きは、個人的に非常に興味深かった。また、擦上げて浅く押し斬りという技も、私好みの技である。

 皆さんの稽古がひと段落ついたところで、翠月庵主催の手裏剣術講座を開催する。

 今回で4回目にあたる今日は、手裏剣(長剣)を使った掌剣術を体験・稽古していただいた。

 はじめに、基本の手解(てほどき)7種。これで手首捕りの基本を理解していただいた後は、その応用として警視流の柄捌きである「柄止」と「柄搦」の形を稽古。さらに、鉄扇や独鈷杵を使った運用なども体験していただいた。

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▲掌剣術の稽古で使ってもらった鉄扇(上)、長剣(中)、独鈷杵(下)。ち
なみに独鈷杵に浮いている緑青は、手入れ不足なのではなく、平安時代
遺物の複製品として、もともとそういう仕上げなのである、念のため


 お手本として、本日参加者で一番若いYさんが私に逆を極められるたびに、一同総出で蹴りが入るという実に和やかな雰囲気のなか(笑)、1時間ほどの体験講習は終了。

 普段、皆さんが稽古をされている抜刀術に連なる柄捌き、柔術、その一分野として手裏剣術に含まれる掌剣術の一端に触れていただくことができたのではないかと思う。

 
 講習終了後は、木曽川の景勝地・恵那峡を一望する紅岩山荘で、日本でも有数のラジウム温泉を堪能。汗をかいた後の温泉は、まさに極楽である。

 入浴後は、地元の隠れ家的味処、「和のしのはら」で、季節の創作和食を満喫! 琵琶マスの造り、ノドグロの塩焼きなどなど、心づくしの料理の数々とビール&日本酒で、まさに極楽気分のまま美濃の夜が更けてゆく。


5月3日(月)

 本日は、明智町の日本大正村で毎年ゴールデンウィークに開催されるイベント「ちょっとおんさい祭り」の中の、光秀祭りで、中津川稽古会の皆さんが演武をされる。

 その前に、武者行列が行われるので、稽古会の皆さんに混じって、私も稽古着・帯刀姿で行列に参加。去年同様、天海僧正の後ろについて、大正村を練り歩くのである。

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▲地元のちびっ子たちが扮する、お姫様たち


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▲バテレンの宣教師もいマス


 武者行列の後は、いよいよ戸山流居合抜刀術美濃羽会中津川稽古会の皆さんによる演武である。

 基礎居合、刃引きの真剣による竹の試斬、組太刀の見事な演武に会場の雰囲気も引き締まる。

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▲戸山流というと、とかく試斬ばかり注目されるが、その組太刀もたいへん
優れて見事なものである


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▲たんに試物を斬るのではなく、形の動きの中で試物を斬ることが重要だ


 中津川稽古会の演武の後は、これまた昨年同様、鉄砲隊による演武。

市村「鉄砲隊の演武を見るたんびに、『わ~!!!』と叫びながら、抜刀して鉄砲隊に突撃したい気分
    に駆られるんですよねえ…」
棚田「・・・市村さんが、いちばん戸山流っぽいですね(笑)」

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▲そりゃあ鉄砲には、やっとうでは敵いません


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▲鉄砲隊員のかたのご子息。こ
の子を人質にとれば、私のよう
な浪人も鉄砲隊に勝てるかも!


 お祭りの後は、棚田さんの家に戻り、稽古会の皆さんとともにバーベキュー。飲んで、食う! そしてまた、美濃の夜がさらに更けてゆく。


5月4日(火)

 昨晩は、この大酒のみの私が、実は夜9時くらいから酒を控えていた!

 なぜか?

 今日は、棚田さんのご協力で、斬りの稽古(試斬)をさせていただくためである。二日酔いで、手元が狂って自分の膝斬ったらみっともないしネ。

 手首ほどの太さの青竹を試物に、刃引きの真剣を使って斬る。

 昨年は、竹を立てて基本の袈裟で斬るだけであったが、今年は棚田さんのすすめで形の流れの中で斬ってみる。

 まずは、K流抜刀術の形で斬る。

 この流儀は、自分の肩に抱えるような独特の八相の構えからの袈裟斬りを多用する。私はこの流儀の形で試物を斬るのは初めてだったが・・・、斬れる!

 旧師にこの流儀を学んだのは、もう20年以上も前で、それ以降は自己鍛錬だけだったのだが、なにはともあれ実際に、形の動きの中で試物を斬ることができ、自分の稽古もそれほど間違っていなかったのだなとひと安心。

 続いて、翠月庵の刀法併用手裏剣術の形で斬ってみる。

 なるほど、これは難しい。

 打剣と抜刀、斬り、それぞれの動きの間の、意識の途絶感をいかに埋めてゆくのかが課題であると、しみじみ感じる。また、普段は畳に手裏剣を打ち、その後の斬りつけは仮想で行っているため、実際に試物を斬ろうとすると間合が1尺ほど遠いのである。

 1尺というと、もう1歩踏み込まないと、対象に切っ先3寸~物打ちで斬りこめない。

 実際に斬る形で稽古をすることで、改めて刀法併用手裏剣術の課題を実感することができた。

 そのほかにも手首の返しや刀勢、軸の問題、斬りつける位置などなど、貴重な知見を得ることができたので、この斬りの稽古の成果を、今後の翠月庵の稽古でも活かしていきたい。

 斬りの稽古が終われば、いよいよ帰宅の時。

 3日間にわたりお世話になった、棚田さんにお礼を告げ、JR中津川駅から江戸を目指す。


 今回の武者修行の旅も、とても充実したものであった。

 戸山流居合抜刀術美濃羽会中津川稽古会、代表の棚田様、稽古会の皆さん、お世話になったご家族の皆様、本当にありがとうございました。

 次は、納涼会でお会いしましょう!!

 (おしまい)
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我が青春のクルディスタン(2)~子供たちと家族/(旅)
- 2010/03/20(Sat) -
      「努めなければならないのは、自分を完成することだ。

       試みなければならないのは、山野のあいだに、

       ぽつりぽつりと光っているあのともしびたちと、

       心を通じあうことだ」

          (『人間の土地』サン=テグジュペリ/堀口大學訳)



 異郷を旅していると、最初にトモダチになるのは必ず子供たちだ。

 彼ら彼女らは、無意味な偏見や、富や権力をおもんばかってのくだらない人見知りなどはしない。

 妙な外国人がいれば、最初ははにかみながら、しかし内心は好奇心いっぱいで、心もとない異邦人と相対してくれる。



「どこから来たの?」
「日本だよ」
「日本ってどこ?」
「ずっと遠く、東洋の島」
「なんでここにいるの」
「・・・戦争があるからね、ここには」
「日本には戦争はないの?」
「ないよ」
「天国みたいだね」
「そうかな?」
「そうだよ・・・」



ヴァン1 修正2

▲クルディスタンの古都・ヴァンの子供たち。貧しいが、笑顔はどこまでも素直だ



ディヤルバクルの家族2

▲ディヤルバクルで出会った音楽家の一座。ネブロズのお祝いに、民族音楽を奏でていた



ジズレ

▲トルコとイラクの国境の町・ジズレ。チグリス川の岸辺で、たきぎをひろっていた少女。足が不自由な子だったが、「写真を撮らせてくれる?」と声をかけると、スカーフをきちんと直し、ニコンのレンズを正面から見つめてくれた。凛とした微笑だった


(さらにつづく、かな)
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我が青春のクルディスタン(1)~ネブロズ・クルド民族の大祭/(旅)
- 2010/03/15(Mon) -
      「昔のことをよく思い起こしてみるなら、俺の生活は宴だったな。

       心という心が開かれ、酒という酒が供される宴だったな」

          (『地獄の季節』アルチュール・ランボー/鈴木和成訳)




 春になると思い出すのは、クルディスタンで過ごした日々だ。

 今から14年前の1996年3月、駆け出しのフリー・ジャーナリストだったオレは、”国家なき民”と呼ばれるクルド民族を取材するため、トルコ・イラン・イラク・シリアなどの国境地帯に広がるクルディスタン(クルド民族の地)で、新年の大祭(ネブロズ)を撮影していた。


ネブロズ1 修正

▲機銃を向けて上空から威嚇するジャンダルマ(治安軍)の武装ヘリに対し、人々は民族の勝利を表すVサインを突き出す



ネブロズ2 修正

▲「おい! 日本人がクルマンジー(クルド語の主要方言の1つ)をしゃべっ
たぞ!」と、老人は笑った



ネブロズ3 修正
▲少年の頭に巻かれたスカーフの、黄、緑、赤の三色はクルド民族の旗の色だという


(つづく・・・かな)
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