旅の仲間/(身辺雑記)
- 2017/03/03(Fri) -
 18歳で家を出て以来、かれこれ30年もやもめ暮らしをしている。

 おかげで鶏のから揚げやふろ吹き大根も作れるし、洗濯をしてキーピングで襦袢や浴衣をパリッと仕上げることもできる。掃除もそこそこはしているし、もっとも苦手だった繕い物も、人間として最低限のレベル(笑)はできるようになった。

 ま、運針などという概念を逸脱した、まるでジョン・ランボーが自分の腕の傷を木綿糸で縫うようなひどいもんだが、それでも稽古着の破れを繕ったり、ドアノブにひっかけて裂けた着物の袂の応急処置くらいはなんとかなる。


 先日、稽古帰りに、バックパックが破けてしまった。

 帆布製の丈夫なフレンチガイドパックなのだが、なにしろ今年でちょうど買ってから20年が過ぎた老兵なので、開口部下の帆布が10㎝ほど裂けてしまったのだ。

 思えばこれを買ったのは1997年。池袋の秀山荘であった。

 取材で2週間ほどボルネオに行くために購入したもので、以来、酷暑のシリア砂漠から極寒の北朝鮮金剛山まで、いつも私の背中にあり、ただ黙々と愛用のニコンF90とFM2/T、コクヨの野帳にトンボ消しゴム付き鉛筆2558-HBといった取材七つ道具を運んでくれたものだ。

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▲2010年1月、青春18きっぷの取材で、東京→長野→京都→東京を各駅停車で移動しながら取材をしたときのひとコマ



 しかしここ数年は、すっかり海外取材のオーダーも無くなり、このフレンチガイドパックはもっぱら稽古に行く際の稽古着入れ9割、国内旅行取材1割といった利用割合になっている。

 風雪にさらされてクタクタになったザックは、自分としてはようやくいい風合いになってきたなと思い、バックパッカーの若い人からも「いい感じにくたびれてきましたね」などと褒められるのだが、一般の人から見れば、ただの小汚いリュックサックなのだろう。


 そんなこんなで、このまま捨ててしまい、新しいザックに買い替えるのはあまりに忍びないので、昨夜、針と木綿糸をチクチクやり、破れた部分を縫い合わせた。

 それにしても、私の裁縫の腕があまりにひどいものだから、まるで引き攣れた傷跡みたいになっているわけだが、それはそれで味があるかななどと、個人的には思っている。

 これでまた、あと10年は使えるな。

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▲山賊の傷跡のようになったものの、これはこれで味があるのではないかと、個人的には思う


 (おしまい)
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マックイーンのMA-1/(身辺雑記)
- 2017/03/02(Thu) -
 過日、某所のバーで、隣の席に座った私よりも少し若いおじさん2人組が話していた。

 「今年の冬は、若い連中にMA-1が流行ったんだってよ」
 「へえ。オレなんか、トム・クルーズの『トップガン』見て以来、MA-1着てるんだ。にわかとはちがうぜ」

 なるほど、彼にとってMA-1は、トム・クルーズと『トップガン』なのか・・・。



 思えば、『トップガン』の封切は今から31年前の1986年12月、私が高校2年の冬であった。

 3学期になると、同級生がこぞって米軍航空隊のパッチが付いたMA-1やMA-1モドキのパチモンを着て街を歩いていたものだ。

 そんな中で私は、

 「けっ、ペタパタとワッペンなんか張りやがって。本当のMA-1は、『ハンター』でマックイーンが着てた、無地の緑のMA-1なんだよ・・・」

 と心の中でつぶやいていた。

 ま、よくいる面倒くさい思春期の男子だったわけです。



 スティーブ・マックイーンの遺作である『ハンター』の封切は1980年の冬で、私がテレビ放映でそれを観たのは、多分、中学生の頃だから、『トップガン』の封切よりも数年早い。

 映画の中で、マックイーン演じる現代の賞金稼ぎラルフ・パパ・ソーソンが着ているMA-1が実にかっこよく、コンバットマガジンの広告に出ていた中田商店の通信販売で、貯めに貯めたおこずかいを全額下ろして、アルファ社の無地のグリーンのMA-1を買ったのは、遠い日の思い出だ。

 もっとも中学生の体格で、しかも背の順で前から2番目のチビな私にサイズの合うMA-1はなく、仕方なくぶかぶかの無地のグリーンのMA-1を着ている私をみて近所のおばさんが、

 「あら、建築現場のお兄さんのジャンパー?」

 と言ったことは、いまでも私の心に深い傷を残している・・・・・・。

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▲映画『ハンター』でMA-1を着ているスティーブ・マックイーン。37年たっても、やっぱりカッコイイ



 そんなこんなでこの冬、ひさびさにMA-1でも着てみるかと、20年ほど前に池袋のサープラス・ショップで買った3着目のアルファのMA-1をクリーニングに出し、久々に着てみる。

 ジーンズにシャツ、グリーンの無地のMA-1を着て鏡に映っている私は、自分の脳内ではまちがいなく『ハンター』のスティーブ・マックイーンなのである。

 だがそんな私を見て、親しい人はこうのたまった。

 「なんか、工事現場のオジサンみたいだよ」

 ・・・・・・、ま、いいんだ、それ言われ慣れているから。


 (おしまい)
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曾根崎心中/(身辺雑記)
- 2017/02/21(Tue) -
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 国立劇場にて、『曽根崎心中』を鑑賞。

 初演時のままの演出だという天神森の段。

 近年の演出による外連味の強い最後に比べて、今回の徳兵衛とお初との道行の結末は、実に余韻のあるものであった。

 武芸も芝居も「残心」が大事なのだと、しみじみ思う。

 (おしまい)
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衝撃の体験!/(身辺雑記)
- 2017/02/11(Sat) -
 昨日は、医療とICT関連の取材のため、昼から日本橋に向かった。

 かなり寒かったのでコートにマフラー、さらに都内ではインフルエンザが猖獗を極めていることから、マスクに手袋という完全装備で、上野・東京ラインに乗った。


 平日の昼すぎということで、車内は空席はないが、立っている人もまばらといった状態である。

 網棚に鞄を乗せ、つり革につかまりながら埼玉新聞を読もうかとしたところ、ふと目の前に座っている青年と目があった。

 年の頃は20代前半位の、長距離ランナー風の容貌の体育会系の青年である。

 すると彼は、おもむろに席から立ち上がり、私に向かって「どうぞ」といったのである。

 私は一瞬、彼の行動と言葉の意味が分からなかったのだが、これはどう考えても、席を譲られたということなのだろう・・・・・・。

 オレが、電車で席を譲られる!?

 かれこれ48年間生きてきて、北極圏内にあるアサバスカ・インディアンの村で一文無しになるまで連中と一緒に泥酔したり、シリアで秘密警察に拉致されそうになったり、トルコで武装ヘリに威嚇されたり、タイでは警官に手錠を掛けられて金を脅し取られたり、マレーシアではディスコのトイレでゲイでヤク中のオッサンにレイプされそうになったり、北朝鮮では殺(や)る気まんまんの国境警備の軍人に撮影済みのフィルム百数十本を取り上げられそうになったりと、これまでもいろいろと奇特な体験をしてきた私であるが・・・。

 電車の中で青年に席を譲られるというのは、もちろん生まれて初めてのことだ。

 つうか私はまだ、昔風にいえば「男ざかり」の世代に属する中年のオッサンである。

 しかも、ほぼ毎日武芸の稽古に励み、週に1度は体力的に結構ハードな空手の稽古も行っている。このため、特段体力に自信があるわけではないが、さりとて同世代に比べて虚弱というわけでもないという自覚がある。

 また、この日は体調が悪かったというわけでもなく、徹夜明けだったわけでもない。

 薄毛ではないし、極端な白髪頭でもない。ひどい肥満でもないし、腰が曲がっているわけでもない。

 にも関わらず青年は私を見て、「この人に席を譲らねばならない!」、という使命感を感じたのだ。


 今から25年ほど前、23歳の時に渋谷駅で、朝のラッシュの中をでかいカメラバッグを担いで歩いていたとき、内田有紀チャン似の制服女子高生からすれ違いざまに、「邪魔なんだよ、ジジイ!!」と言われた時もショックだったが、ま、今回の件もかなりヘコむね。

 いやほんと本気(マジ)で・・・。

 よく、電車やバスで席を譲られて、「私はそんな年寄りじゃない、バカにするな!」などと怒り出し、親切な若者たちの好意を踏みにじる老害が話題になったりするが、自分がその立場になって、ようやく少しその気持ちが分かったような気がする。

 もちろん私も、「年寄り扱いするな!」っと青年を一喝し、立ったままでいた・・・・・・。

 ということはもちろんなく、「かたぢけないデス・・・」などとぼそぼそつぶやきながら素直に譲られた席に座らせてもらい、しかしなんとも気恥ずかしいものだから、そのまま上野まで寝たふりをしていたのは、言うまでも有馬温泉。

 それにしても、オレが電車で席を譲られるなんて・・・・・・・・。

 (おしまい)
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「潜竜」の教えと、横井伯典先生/(身辺雑記)
- 2017/02/05(Sun) -
 古代中国の義理(哲学)の書であり卜占の経典でもある「易」は、私の人生哲学だ。

 中でも、「潜竜」に関する教えは、私にとって最も大切な座右の銘である。

 曰く、

 潜竜用いるなかれとは、何の謂ぞや。
 子曰く、竜の徳あって隠るるものなり。
 世に易(か)えず、名を成さず、世を遯れて悶(いきどお)るなく、是とせ見(ら)れざれども悶るなし。
 楽しめばこれを行い、憂うればこれを違(さ)る。
 確乎としてそれ抜くべからざるは、潜竜なり。



(潜竜を用いるなかれとは、いかなる意味か?
 孔子は言う。竜のごとき徳、聖人の徳がありながら、最下層に隠れている人のことである。
 世の中の移り変わりによって主義を変えることもなく、世間に名を出そうともしない。世に用いられずに隠遁していても、むしゃくしゃすることはないし、だれにも正しいとされなくても、不平を抱くことがない。
 世に道あって、社会的活動がこころよく感じられるときは、その道を世に行い、乱世で、わが身が汚される憂いのあるときは、ただちに世間に背を向けて去る。
 そのようにしっかりとして、その志を奪えないもの、それが潜竜である)



 思えば卜占については、11歳からタロットや西洋占星術などを学んできたのだが、思うところあって周易を勉強しようと志し、初めて本格的に紐解いたのが、横井伯典先生の名著『現代の易』であった。

 以来、直接ご師事させていただく機会はついになかったけれど、易学の師として長年に渡り私淑させていただいてきた。


 ちょうど昨日も、翠月庵へ稽古に向かう電車内で、オークションで一昨日手に入れたばかりの昭和41年に発行された先生の著作『人相の見方』を読んでいたのだが、帰宅後、なんとなくネットをつらつらと見ていたら、先生の主催されていた日本開運学会のホームページを初めて見つけた。

 早速ページを読んでみると、なんと横井先生はすでに3年前の平成26年9月24日に、89歳でご逝去されていたという。

 これは全くの不覚であった。

 すでに相当なご高齢であるということは知っていたが、いまだに元気でご活躍をされているのかと思っていた・・・・・・。


 易学の泰斗として、数多くの門人を育ててきた横井先生は、築地で易学の教室を開いておられた。1992年に上京した私は、以来、何度か先生の教室への入門を真剣に考えたのだが、その都度、仕事やら武芸の稽古やらで機会と時間が取れず、結局最後まで書物を通して私淑するだけであった。

 これもまた、運命における「縁」の有無だと思うが、今となっては1度でも、先生の講義を直接伺っておくべきであったと後悔をしている。

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 まことにもって遅ればせながら、横井伯典先生のご冥福をお祈り致します。

 (了)
 
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