神は細部に宿る/(身辺雑記)
- 2017/07/31(Mon) -
 昼過ぎ、編集部に校正紙を送るため、郵便局へ行った帰り、「しろもこ」を買おうとセブン‐イレブンに立ち寄った。

 支払い時、レジを打っている若い青年の名札をふと見ると、

 「店長 りゅうごう」


 と書いてある!

 ふ~む、これは柳剛流の神様の顕現か、はたまた啓示なのであろうか・・・・・・(笑)。

 ちょっと「運」がついた気分で帰宅する。

 (なおちなみに、「柳剛流」の正しい読み方は、「りゅうこうりゅう」である、念のため。)



 さて、これからお盆に入るまで、いわゆる業界の「お盆進行」最終盤というやつで、あらゆる仕事が前倒しで地平を埋め尽くす廃棄物(エンズ)の軍団のごとく、怒涛のように押し寄せてくるわけだ。

 障害者福祉に関する単行本のゲラチェックと戻し、旅行関係の書籍の編集・取材・執筆、外国人旅行者向けのweb原稿の執筆、医療経済雑誌の巻頭インタビュー原稿などを、今日から10日の間にやらねばならぬのだが、さて本当にすべてミッション・コンプリートできるのだろうか?

 本人的には甚だ不安であるが、とりあえず、毎日14時間くらい働けばなんとかなるであろう。

 はぁ? 働き方改革って、なんすか?

 ま、柳剛流の神様の御加護もあろうから、きっと過労死とかせず、生きてお盆を迎えることができるだろう・・・・・・、たぶん。

 サマージャンボ、当たんないかなあ。

 あゝ、野麦が見える・・・・・・。

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▲いわゆるひとつの、ゲラ地獄・・・・・・


 (おしまい)
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柳剛流を「継ぐ」者たち/(柳剛流)
- 2017/07/30(Sun) -
 本日は翠月庵での定例稽古。

 いまにも降り出しそうな曇り空の下、柳剛流の稽古に励む。

 今年4月に当庵に入門し、柳剛流の稽古に励んでいるS氏は、杖道5段、柔道3段、なぎなた2段、抜刀道2段、空道初段という猛者だけに、指導するこちらも気が入る。

 今日はそのS氏に、柳剛流の居合を特に集中して指導した。

 柳剛流の居合は、実践形というよりも、「跳斬之術」と呼ばれる飛び斬りを体得するために必要な強力な下半身を養成する、鍛錬形の意味合いが強い。

 だからといって、居合としての本来的な運刀や「術」を、おろそかにしてよいわけではない。

 雑なごぼう抜きではなく、気で相手を押さえながら「スラスラ」と抜くこと、序破急の拍子、三才と六合を意識した強く安定した体幹。

 これらの点をすべて押さえながら刀を抜き付け、低く飛び違いつつ相手を受太刀ごと両断し、地獄の底まで斬り割る気勢こそが、柳剛流居合の真面目である。



 現在、当庵で柳剛流を稽古している者は、私を除けばわずか4名。

 しかし、そのうち2名は他流の師範であり、全員が武術・武道歴10年以上、20年以上といった熟練者である。

 このように、何らかの古武道や現代武道に十分に精通した師範クラスの武術・武道人が、あえて当庵の門下に入り、柳剛流を一から学んでくれるというのは、流儀を愛する者として本当にうれしく思う。

 流祖・岡田総右衛門による創流以来、二百有余年。

 二代・岡田(一條)左馬輔より仙台藩角田・丸森地方で脈々と受け継がれてきた柳剛流が、我が師である国際水月塾武術協会最高師範・小佐野淳先生に受け継がれ、その薫陶をいただいている私・翠月庵主のもとで、4人の熟達した武術・武道人たちが、流祖生誕の地である武州にて柳剛流を学んでいる。

 彼ら全員が、最終的には流儀のすべての業と口伝を相伝し、各々がさらに門下を育成してくれることで、50年後、100年後も、仙台藩角田伝柳剛流が継承され、受け継がれているはずだ。

 そのための責務を、我々、柳剛流を「継ぐ」者たちは担っている。

170729_柳剛流


 (了)
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柳剛流における君子の教え/(柳剛流)
- 2017/07/27(Thu) -

一、 武者身を脩るの儀なけは聊も争心可有事なかれ、争心有者は必喧嘩口論に及へは亦刃傷に至らんも難計、武道を学人は心の和平なるを要とす、去は短気我儘なる人は却而武道を知らさるをよしとす、大抵人之行ひ正敷して其上に武有はよし、行い正しあらさる時武有は人をも害あるのみならず、己をも害する事出来者也
                          ~天保7年に記された、柳剛流の起証文より~




 柳剛流に限らず、古流でも現代武道においても、武術・武道を志す者には粗暴のふるまいや言動がきつく戒められてきた。

 「武人たるもの、君子たれ」というのは、万古不易の教えであり、志すべき「道」である。

 それではなぜ、武人は君子であるべきなのか?

 理由はごくシンプルなものだ。

 一つは、無用に敵対者を作らないため。

 もう一つは、武力を持った者に課せられる規範意識、ノブレス・オブリージュゆえである。



 己に酔って粗暴で攻撃的な言動を繰り返す者は、無用に敵対者を増やし、いつか必ず寝首を掻かれるであろう。

 また、規範意識の欠如した武人は、世の中の大多数の人々にとっては、今も昔も「はた迷惑で粗暴な、反社会的人物」以外のなにものでもない。

 武術・武道における古今の名人・高手たちは、こうした人の世の道理を知り、実感していたからこそ、皆が異口同音に「武人は君子たれ」と教え諭してきたのであろう。

 つまり「武人は君子たれ」という教えは、単なる表面的な道徳的キャチフレーズではなく、武術・武道に携わる者が、己の身の破滅を避けるために必須の、行動指針としての「道」なのだ。



 ところが残念なことに、「武人は君子たれ」という先人の知恵を、嘲笑うかのような言動を繰り返す武術・武道関係者もいる。

 彼らが、諸人の恨みを集めたあげくに思わぬところで寝首を掻かれたり、多くの人から軽蔑されるのは、それは止むをえまい、自業自得だ。

 一方で、こうした一部の武術・武道関係者の浅はかな、あるいは反社会的な行為が、武術・武道そのものの在り様までをも辱めているのは、斯界の末席を汚す者として、たいへん遺憾に思う。

 しかし振り返ってみれば私自身も、若気の至りから無益な諍いを起こしてしまったり、言わぬで良いことを口にして友との関係を失ってしまったこともある。

 五十路を前にして、これらの愚行を思い返せば慚愧に堪えないし、自分の無知蒙昧さに恥じ入るばかりだ。

 だからこそ己自身や門下に対して、改めて「武人は君子たれ」と諭していかねばと思う。



 柳剛流においては、江戸の昔から、冒頭に記した起請文以外にも様々な伝書において以下のように記し、粗暴のふるまいや軽率な言動を戒め、身を慎むよう諭している。

 「この術をもって無益な殺害をなす者においては、直に天地の神、摩利支天の罰をこうむるべきなり」(柳剛流起請文)

 「平日に話しするとも真剣も 思いて言葉大事とぞ知れ」(柳剛流剣術切紙巻)

 「それ兵法は、心の妙徳なり」(柳剛流剣術目録巻)

 「それ剣柔者は、身を修め心を正すをもって本となす」(柳剛流殺活免許巻)

 「この術をもってたやすく闘争に及ぶは我が党の深く戒めることなり」(柳剛流殺活免許巻)

 「当流を修めんと欲する者は先ず心を正すをもって要と為す」(柳剛流殺活免許巻)

 「何の道にあらずして弁舌博覧に勝るを意に信とするにあらず」(柳剛流剣術免許巻)



 流祖以来の流儀の「掟」からも、柳剛流を修行する者は、粗暴のふるまいや言動を慎まねばならない。

  (了)
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粟田口の善法/(武術・武道)
- 2017/07/24(Mon) -
 室町末期の侘び茶人に、粟田口の善法という人がいた。

 『山上宗二記』によると侘び数寄というのは、

 「一物も持たざる者、胸の覚悟一つ、作分一つ、手柄一つ、この三ヶ条を調うる者」

 なのだという。

 山上宗二は、そんな侘び数寄の代表として、善法を紹介する。

「京粟田口、善法。かんなべ一つにして一世の間、食をも茶湯をもするなり。身上楽しむ胸のきれいなる者とて、珠光褒美候」
 (京、粟田口の善法。燗鍋ひとつにて、一生の間、食事も茶もまかなった。この善法の楽しみ、胸中きれいなる者として珠光は称賛した)



 その名声を聞いた太閤秀吉は、善法のたった一つの燗鍋を使って茶会を開くよう、自身の茶頭である千利休に命じた。

 しかし善法は、「このような釜があるから、そんなつまらないことを言われるのだ!」と、自らの釜を粉々に打ち砕いたという。

 これを聞いた秀吉は、「善法こそ真の侘び茶人である」と感嘆し、砕かれた釜と同じ物を2つ作り、1つを自らの物とし、もう1つを善法に与えたという。



 平成の御代に「一物も持たざる者」である私だが、かなうことなら善法のように気高く侘びた、覚悟一つの「胸のきれいなる」武術・武道人でありたいと思う。


 けがさしとおもふ御法のともすれば
   世わたるはしと成そかなしき (慈鎮和尚)

 住所もとめかねつつあつましさして
   行はこしきに猶もなりひら (山上宗二)


市原長光

 (了)
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加齢とのタタカイ/(身辺雑記)
- 2017/07/22(Sat) -
 金曜の晩も、県立武道館へ。柳剛流の稽古に汗を流す。

 こちらの武道場は、個人利用の場合冷房が入らないため、施設の職員の方が気を使ってくれ、わざわざ室温の確認に来てくれた。

 もっとも、普段からまったく日陰のない灼熱の野天道場で、しかも炎天下の15~17時(!)に木太刀や長刀を振り回したり、延々と手裏剣を打ったりしている私からすれば、武道場に冷房など入ってなくてもまったく問題ない。

 快適である。

 しかし、さすがに小1時間も稽古をしていると、汗が滝のように流れ、稽古着が重くなってしまうほどなので、経口補水液の補給は欠かせない。



 それにしても、年間300日以上稽古をしていた学生時代は別として、社会人として働き始めて以来、40代後半となったここ数年が、多分一番、年間の稽古量が多いように思う。

 基本的に「稽古は毎日行う」と心掛けているが、さりとて現実には、仕事やら日々のよしなしごとで稽古ができない日もあることから、だいたい年間の稽古日数は250日くらいというのが、ここ数年来の平均値だ。

 もちろん、稽古日数が多ければなんでも良いというものでもないけれど、市井に生きるアラフィフのオッサンとしては、我ながら、「なかなか頑張ってるんじゃなかろうか」と思ったりもする。

 しかしこうした状況は、実は加齢による衰えへの自分なりの必死の抵抗、ざっかけに言えば「悪あがき」という気持ちが強いのかもしれない。

 若いころは、「稽古・・・、休みてえ」という感じだったのが、40代半ばを過ぎたあたりから、「1日休むと、いったいどんだけ衰えるのか、オレは!?」といった焦燥感の方が強いのである。

 このため取材や打ち合わせ、あるいは原稿執筆が夜中までずれ込んで稽古ができない日などは、稽古できない→下達する→不安感→困惑→焦燥・・・、みたいな負のスパイラルに陥ってしまうのである。

 一方で当然ながら、基礎的な体力は10代や20代の頃に比べると、確実に、そして圧倒的に衰えているので体はキツイ。

 ことに、「毎日の稽古」といっても普段のそれは「術」的なものが中心であり、フィジカル強化的メニューを連日行っているわけではないので、たとえば先週のように、酷暑の中平日は毎晩空手の稽古でこってりしぼられ、土曜は炎天下の屋外で最も暑い時間に翠月庵で柳剛流と手裏剣を、日曜は水月塾本部でガタイのいい外国人武術家相手に柔術の稽古と、1週間みっちり休むことなくフィジカルに効く稽古となると、さすがに48年物の我が体には堪えるのである。

 特に30代の時、空手の組手中に左右のアキレス腱を両方とも切っているので、疲労がたまるとアキレス腱がひどく痛む。さらに右膝に脱臼癖がついているので、座業や折敷の際、疲労がたまると突然膝が抜けてしまい、実に痛いのだ。

 そんなこんなで今週は、まあ仕事の都合もあったのだけれど、月曜から水曜まで3日間、まったく稽古をしなかった。というか、できなかった・・・(苦笑)。

 というようなこともあって、一昨日、昨日と2日間続けて武道館で気を入れた稽古をしたのである。

 そして今日は、午後から翠月庵。明日の晩も県立武道館が空いているようなので、稽古に行く予定。

 ま、オジサンも、がんばっているよ。

 (おしまい)
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雷光石火、明鏡ニ現ル/(柳剛流)
- 2017/07/21(Fri) -
 木曜の夜は県立武道館にて稽古。

 先週、平日は連日空手道の暑中稽古、翠月庵では刀法併用手裏剣術と柳剛流の指導、水月塾本部では甲陽水月流の柔術と、柳剛流の稽古があまりできなかったので、本日はみっちりと柳剛流に汗を流す。

 まずはウォーミングアップとして、神道無念流立居合12本と荒木流抜剣7本を抜く。

 次いで柳剛流。

 まずは飛び違いでの素振りをじっくりと繰り返す。床を蹴らず、足で踏み切らず、ただただ太刀の導く道に従って、沈むように、滑るように飛び違いながら木太刀をふる。

 と、言葉にすれば簡単であるが、4尺を超える長く重い木太刀を自在に振りながらの飛び違いは、それほど容易なものではない。

 しばらく素振りを繰り返すと、汗が滝のように流れ、息が切れ、下肢が重くなる。しかし、この基本的な飛び違いの素振りこそが、柳剛流ならではの「跳斬之妙術」の基盤となるだけに、あだやおろそかにはできない。

 素振りで十分に心身を錬った後は、備之伝と備十五ヶ条フセギ秘伝を稽古。

 今回、素振りで疲労困憊していたことから、「中道」と「丸橋」の構えについて、「なるほど、こういう意味もあるか!」、大きな気づきを得ることができた。

 そして剣術の形稽古。

 最初に切紙の「右剣」と「左剣」を丁寧に、何度も繰り返す。特に、先日門下のS氏から質問を受けて指導をした、脚斬りの際の太刀筋や拍子に留意しながら形を打つ。

 次に、伝書において「当流極意」と記されている、「柳剛刀」と総称される目録の6本の形を錬る。

 「飛龍剣」、「晴眼右足頭(刀)」、「晴眼左足頭(刀)」、「無心剣」、「中合剣」、「相合剣」と、いずれも極めてシンプルな実践刀法であり、これらは目録伝書において、

立ツトキハ影アルガゴトク、撃ツトキハ響キアリ、雷光石火、明鏡ニ現ル(流祖伝来、石川家文書より)



 と称されている。

 ことに、「晴眼右足頭(刀)」と「晴眼左足頭(刀)」は、柳剛流剣術の至極といえるような形であり、切紙で学ぶ「右剣」「左剣」の本質以外をすべてそぎ落とした、柳剛流剣術究極の一手といっても過言ではない。

 柳剛流の二大特色である「断脚之法」と「跳斬之術」の極限の姿が、この2つの形に顕されているのである。

 そしてこの2つの形に顕現する当流の極意は、そのまま免許秘伝の長刀の「術」に直結している。

 そこで、ひとしきり剣術を稽古した後は、長刀を執って存分に振るう。

 飛び違いながら長刀を自在に振るう柳剛流長刀の形は、フィジカル的にもかなりハードであるが、やはりここでも、床を蹴らず、足で踏み切らず、長刀が導くままに、体を動かしていかねばならない。

 続いて突杖、そして居合を抜く。

 思う存分柳剛流の稽古をした後は、クーリングダウンとして、柳生心眼流の素振りを。片衣の表、中極、落、切を振って、本日の稽古は終了。

 はじめは小一時間の稽古でと考えていたが、終わってみれば一刻近くの時が過ぎていた(苦笑)。

 自ら望む稽古というのは、本当にあっという間に時が過ぎてしまうものだ。

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▲柳剛流剣術「左剣」

 (了)
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歌舞伎は国立劇場で/(身辺雑記)
- 2017/07/20(Thu) -
 歌舞伎を観るのは、もっぱら国立劇場だ。

 歌舞伎座も改築する前は何度かいったが、どうもあの豪華着物オバサン軍団に象徴されるスノッブさが、われわれ底辺に生きるプロレタリアートには、設楽原の馬柵もかくやと思わせるほどの敷居の高さを感じさせて、お尻がムズムズするのである。

 その点、国立劇場は、どちらかというと地方からのお上りさん中心といった風な(失礼)牧歌的な雰囲気があり、あまり敷居の高さを感じさせない。

 「大向こう」ひとつとっても、国立劇場のそれは、歌舞伎座のものと比べると、いささかほのぼのしたものが多く、「これならオレも、『播磨屋!』とか言えちゃえそうかも・・・!?」などと思ってしまうほどの、のんびりとした雰囲気が好ましい。


 そんなこんなで、先月は錦之助の『毛抜』、今月は菊之助の『一條大蔵譚』を鑑賞した。

 去年の11月に『通し狂言 仮名手本忠臣蔵』、今年3月には『通し狂言 伊賀越道中双六』と、いずれも大御所・吉右衛門の名演を、同じくここ国立劇場で堪能させてもらったのだが、錦之助や菊之助など、これからの歌舞伎を背負っていく中堅どころの勢いのある芝居は、また違った意味で見ごたえがあった。

 ことに菊之助は、思っていた以上に良い役者っぷりであり、いままで「ま、菊五郎の息子でしょ」と、いささか軽く見ていた自分の不明を深く反省した次第。

 『一條大蔵譚』では、岳父・吉右衛門の監修もあってか、その「うつけ」ぶりと、クライマックスでの見事な長刀捌きの対比が、まことに印象的であった。

 役者として華があり、凛とした雰囲気もただよわせ、うつけから大丈夫までの演じ分けも見事。

 いいねえ、5代目!

 あるいは『毛抜』では、物語のキーとなる小道具のひとつに小柄小刀があり、これを錦之助演じる粂寺弾正が、見事に手裏剣に打って相手を仕留める描写は、手裏剣術者としてたいへん痛快であった。


 歌舞伎座に比べると敷居が高くないのが魅力の国立劇場での歌舞伎鑑賞であるが、もうひとつの、いや最大の魅力(?)かもしれないのが、その料金のお手ごろさである。

 たとえは、上記の『毛抜』や『一條大蔵譚』は、3階席で観ておひとり様1,500円!

 あるいは『通し狂言 仮名手本忠臣蔵』や、『通し狂言 伊賀越道中双六』は、お昼から夕方までたっぷり4時間以上も芝居を楽しんで、お代はなんと3階席でおひとり様1,800円である!!

 映画館で観る映画と同じかそれよりも安い値段で、名優たちの演技、ヴィヴィットな衣装や舞台、生の伝統音楽などを堪能できるのだから、こんなにうれしいことはない。

 これが歌舞伎座だと、3階席でも4,000円とか6,000円とかするわけで、一幕見でも高いと2,000円もするなど、やっぱり貧乏足軽や雑兵は馬柵の前で種子島で撃たれて討ち取られちゃうんだぞという程度には敷居が高いんだよ、歌舞伎座。

 なお3階席というと、「どうせ舞台から遠くて、たいして見えないんでしょう?」と思われるかもしれないが、さにあらず。少なくとも国立劇場は、思った以上に、3階席から舞台までが近い。

 それどころかむしろ、1階席や2階席に比べると、花道も含めた舞台全体を俯瞰することができ、非常に見やすいのである。さすがに役者の細かな表情までを見て取ることはできないが、そこはそれ、オペラグラスがあるじゃないか。

 歌舞伎鑑賞における通人である「大向こうさん」が、1階や2階の席ではなく、あえて3階席の最奥に座るというのも、なるほどと思う。

 敷居が低く、料金も手ごろで、だれでも気軽に楽しめる国立劇場での歌舞伎公演。

 ぜひ一度、ご鑑賞あれ。


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▲長刀で打ち取った悪者の生首を毬の代わりにして、大喜びで遊びほうけるという、超絶うつけぶりが光る一條大蔵卿・・・

 (おしまい)
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柳剛流を通じての、善意の皆さんとのつながり/(柳剛流)
- 2017/07/19(Wed) -
 柳剛流に関する貴重な書籍のひとつである、『増補・改訂 宮城県 角田地方と柳剛流剣術-日本剣道史に残る郷土の足跡-』の著者である南部修哉さんが、新しい史料を送ってくださった。

 それは、仙台藩角田伝の「柳剛流剣術免許巻」と、「柳剛流殺活免許巻」の新たな読み下し文である。

 漢文の、しかも白文の読み下しというのは、私もいつも難渋している。なにしろ、1つ間違えると、文意がまったく変わってしまうからだ。

 このため、改めてご自分の著書に掲載されているものを見直し、より正確を期した「改訂文」を、送ってくださったというわけだ。

 早速、拝読させていただく。

 たしかに以前のものより、実践者の視点から読んでも、より文意がスムーズになっているようで、ご苦労の跡がしのばれる。



 それにしても柳剛流に関して、南部さんをはじめ多くの方が、貴重な史料の数々を快く見せてくださったりお送りくださる、あるいは情報や知見をお知らせくださるのは、本当にありがたいことだ。

 それもこれも、柳剛流を大切に思ってくださる皆さんとの、webを通じた大切でありがたいご縁である。

 webのダークサイドを象徴するようなげんなりする出来事がある一方で、このような形でweb社会における善意の恩恵に浴しているのもまた事実だ。

 このような皆さんからのご期待を裏切らないためにも、私たちは仙台藩角田伝柳剛流という宝を大切に守り、流祖伝来の「術」を練磨し、流祖が諭すように鍛錬を通して人格の陶冶に励み、このかけがえのない業と思想を次世代へつないでいかなければならないとしみじみ思う。


 人と人との縁というのは、汚辱にまみれたものもあれば、すがすがしく清廉なものもあり、「やはり人間、捨てたもんじゃあないな」と、改めて心洗われた次第である。

 さて気を取り直して、本日も柳剛流の稽古に精進しよう。

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  ~打つ人も打たるる人も打太刀も
                心なとめず無念無心そ(柳剛流道歌)~


 (了)
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7月の水月塾本部稽古~甲陽水月流柔術/(武術・武道)
- 2017/07/17(Mon) -
 昨日は水月塾本部での稽古。

 師のご指導の元、カナダから武者修行に来日したC氏と、甲陽水月流の稽古に汗を流す。

 「汗を流す」というのが比喩ではなく、実際に滝のように流れる汗で、稽古中、捕った手がたびたび外れてしまうほどである。

 巨漢のC氏との柔術の稽古は、相手の手首の太さに、掌の小さな私は掴み手の力の入れ加減が思うように効かないほどであるが、だからこそ稽古が面白い。

 先月はハンガリー支部の人々と、やはり柔術の稽古にいそしんだが、その際、6尺を優に超える長身の相手に私が七里引きなどをかけると、まるで子どもがぶら下がっているようだ。

 とはいえ、肉弾戦の稽古はこちらとしても多いに望むところであり(いや、そんなに荒っぽいものではないけれどネ・・・)、稽古の際に忖度のない外国人との体術の稽古は、実にやりがいのあるもので、私は大好物だ(笑)。

 もっとも、たとえば空手の組手で切ってしまった左右のアキレス腱や、手裏剣の打ちすぎで痛めている右ひじ、脱臼癖のある右ひざなどなど、老兵ゆえのウイークポイントが少なくないので、調子にのっていると新たなケガにつながるだけに、重々注意をせねばと自戒する。

 いずれにしても、柔術の稽古は楽しい。

 今回は夕方から所用が入ってしまったため、稽古は午前中のみの参加であったが、充実した時間を過ごすことができた。

 それにしても、「地獄詰」と「後詰」は効いた。これは得意技にしようと思う・・・・・・。

 (了)
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自覚的に望むこと/(武術・武道)
- 2017/07/14(Fri) -
 現代おける武術・武道が志向すべき目的のひとつが、日本古来の武技の鍛錬を通じての「人格の涵養」にあることは論を待たない。

 一方で、少なくない武術・武道関係者が内心、「本当に武術・武道で人格が涵養されるのか、はなはだ疑問だ・・・」と思っていることもまた事実であろう。

 実際のところ、武術・武道の世界には、妬みや嫉みによる誹謗中傷、自己愛や承認欲求が肥大化してしまった者同士の争いなどが絶えず、体罰や金銭面のトラブルなどもたびたび耳にする。



 考えてみるに、武術・武道というある意味で特殊な芸事の世界も、結局は現代における日本社会の縮図である以上、私たちの身の回りにある「世間」という社会に、立派な人、普通の人、迷惑な人、反社会的な人などがそれぞれ存在しているのと同じように、武術・武道の世界にも立派な人、普通の人、迷惑な人、反社会的な人などが同じような比率で存在しているのだろう。

 だからこそ往古、殺人術としてあった武技が、ある種の嗜みや楽しみ、娯楽としての一面を持つ技芸に転化していった江戸時代頃から、「どうせ武芸を習うのであれば、それによって未熟で愚かな己の人柄を磨いていこう! いや、磨けるといいんじゃないの?」というような、倫理的な志向が発生してきたのではなかろうか。

 こうした流れの延長線上に、現在の武術・武道が志向すべき「武技の鍛錬による人格の涵養」があるのだろう。

 そう考えると、「武術・武道では人格を涵養できない」のではなく、まずは「武術・武道をもって、人格を涵養したい」と自覚的に望むことが大切なのではなかろうか?

 そもそも、自ら「武技の鍛錬を通して人格を涵養したい」と望んでいない人が、武芸を学んだとて人格が涵養されるわけがない。

 だからこそ、他者に武技を指南する立場にある指導者は、自らの身を慎むことは言うまでもないが、門下・門弟に対しても「武技の鍛錬を通して人格を涵養せよ」と、折に触れて教導しなければならない。

 このような指導者による門下への明確な動機付けが無いゆえに、人格の涵養されていない武術・武道人が、飽きることなく次々と生み出されてしまうのであろう。



 古流武術の起請文の多くには、「他流を誹るなかれ」「他流と争うなかれ」といった条文が必ず含まれている。

 あるいは現代武道の道場訓でも、多くの流儀・会派に「血気の勇を戒めること」「恥を知ること」といった一文がある。

 こうした教えは、処世術としては護身のための端的な行動指針であり、倫理的には武技による人格完成への第一歩なのだ。

 ひるがえって己自身を鑑みれば、愚かで未熟で弱い自分だからこそ、「武技の鍛錬を通じ、昨日よりも今日の自分が、少しでもより良い武人でありたい」と自覚的に望み、己を戒めねばならないと思っている。

 「武徳」への道のりとは、そのようなものではないだろうか。


 「よく、ありのままを受け入れて欲しいというけれど、怠けている状態をありのままとは言わないの。畑の大根だって食べてもらうには泥を洗って、皮をむいて切り分けて、ちゃんと手間をかけないと人前に出せないのと同じ。ありのままの自分を受け入れろということは、土の付いたままの大根を食べなさいといういうようなことですよ」(美輪明宏)

 (了)
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