翠月剣・長剣の新作と、不二心流の手裏剣/(手裏剣術)
- 2017/03/12(Sun) -
 当庵で柳剛流と手裏剣術を稽古している宇田川氏が、稽古用に長剣と翠月剣を制作したということで、先日の稽古で試打させてもらった。

 どちらの剣も、これまで私たちが使っていた長剣や翠月剣とまったく同じ打ち心地であり、素晴らしい仕上がりである。

 ここ2年ほど、新規の手裏剣制作ができない状況が続き、新たに入門した人には翠月庵の手持ちの手裏剣を使ってもらっていたのだが、今後は同氏に制作を依頼できるようになり、ほっとしている。

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▲宇田川氏制作による25年式翠月剣


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▲新作の翠月剣(上)と、私が現在使っている翠月剣(下)


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▲私が使っている翠月剣(上)と、宇田川氏制作による長剣(下)。翠月庵では、まず長剣で直打の基本を体得し、その後、翠月剣での稽古を行う


 宇田川氏は当庵で柳剛流と手裏剣術を学ぶ一方、自身で幽玄会という団体を主催し、千葉県八千代市の教場で夢想神伝流と不二心流、合気剣杖を指導されている(http://www.geocities.jp/spirit_vision_lesson/index.html)。

 このため昨日の稽古では、不二心流の手裏剣を持ってきてくれたので試打させていただいた。

 不二心流の手裏剣は、香取神道流の手裏剣の形状をそのままにサイズアップしたような形である。

 秤が無かったので正確な重さは分からないが、おそらく70~80グラムほどはあるだろうか。これくらいの重さがあると、手裏剣もたいへん打ちやすい。

 しかし、この手裏剣は独特の形状から後ろ重心になっており、翠月庵の手裏剣術の基本となっている、無滑走2点打法で打つことはできないので、滑走打法で打つ。

 このため1間半~2間程度では問題ないが、3間以上で的中させるには少々の稽古と慣れが必要だ。

 もっとも総合武術である不二心流においては、小太刀を使った刀法併用手裏剣術として、この手裏剣を用いるとのことで、おそらく間合も3間以上は想定していないであろうから、このような中距離以上では打ちにくい後ろ重心の形状でも、あまり問題にはならないであろう。

170311_不二心流手裏剣
▲不二心流の手裏剣


 (了)
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スタンレー・プラニン氏の訃報に想う/(武術・武道)
- 2017/03/11(Sat) -
 『合気ニュース』の編集長であった、スタンレー・プラニン氏が、亡くなったとのこと。

 まずは同氏のご冥福をお祈り致します。


 私は同氏とは面識はなかったけれど、自分の武術歴の始まりが八光流柔術だったこともあり、いち読者として同氏が編集長を務めていた当時の『合気ニュース』は、愛読していた。

 しかし残念ながら、2009年頃からだろうか、同誌が自己啓発セミナーを精力的に主催している空手家のU氏が中心となるような形で、『合気ニュース』から『道』というタイトルの雑誌になって以来、あまりに偏向した内容から、まったく読まなくなってしまった。

 プラニン氏が編集長時代の『合気ニュース』は、合気会も養神館も、富木流も大東流も、ある種公平に扱う、バランスの良い編集方針の武術雑誌であったものが、U氏の広報誌になってしまった『道』誌は、教条的な道徳雑誌になってしまったことは、ある意味で日本の武術・武道史にとっても、たいへん大きな損失だったと言えるだろう。


 個人的な話をすると、私が手裏剣術の稽古場を開設した当時、U氏のセミナーに心酔している人が手裏剣の稽古に来ていたのだが、彼から聞く話があまりにバカバカしいものだったことから、(たとえばU氏は、電話で生徒に「気」なるものを入れ、それによって普通はできない業や体の動きができるようになる云々など)、たいへん残念な気持ちになったものである。

 「晩節を汚す」という言葉があるけれど、まことに残念なことだ、いろんな意味で。

 (了)
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空手道と柳生心眼流~縦猿臂と山勢巌構/(武術・武道)
- 2017/03/09(Thu) -
 昨日は空手の稽古。

 バッサイ大の形について、有級者へのマンツーマンでの指導を仰せつかる。

 私が担当したのは3級のAさん。

 形の途中にある掛手~腕どり~関節蹴りの一連の挙動と、形の後半に出てくる右掛手受けの際の運足が確実ではなかったので、この2点を丁寧に手直しする。

 分解においても、これらの部分はバッサイ大の特徴的な技なので、しっかりと理解してもらいたいところだ。



 稽古後半は、糸洲流のN先生より、松村ローハイをご指導いただく。

 これまでも何度か書いているが、ローハイは私の最も得意とする形だ。

 ただし、私のローハイは玄制流のローハイなので、松村ローハイとは細部がかなり異なる。しかしそこがまた、空手道の稽古として興味深い部分でもある。

 ローハイ以外にも、私が得意あるいは好みでよく打つ形は、ナイハンチやワンカンなど泊手系の形が多い。また個人的には、剛柔流の転掌の形を覚えたいのだが、教えてくれる人がいないので、甥っ子が大きくなったら教えてもらおうかと思っている。



 もっともここ最近は、体術の稽古は柳生心眼流がメインであり、普段は表・中極・落・切の素振り二十八ヶ条の稽古でいっぱいいっぱいで、なかなか空手の形稽古までは手が回らないのが現状だ。

 それにしても、柳生心眼流は実に興味深い。

 当身拳法とはいえ、空手道とはまったく理論も実技も異なるので、学ぶ1つ1つの術がすべて新鮮だ。

 また、一般的な日本柔術とは異なり、単独で行う形=素振りの稽古が基本になっているので、仕事の合間などほんのちょっとの時間があるときに、ラジオ体操代わりに形を打つことができのもありがたい。

 もっとも、中極で武者震いを連発すると頭がグルグル回ってちょっと気持ち悪くなり、切をやると呼吸困難で倒れそうになるのが玉に瑕だが・・・・・・(笑)。

 柳生心眼流については、全国各地で多くの方が稽古をされており、いまさら流儀の新参者である私がとやかく書くこともないのだが、個人的には稽古するほどに新たな発見があり、実に面白いのである。

 例えば肘当て。

 空手道における肘当ては、組手では使えないのでもっぱら形で稽古することになるのだが、私は個人的に肘技が好きで(チビなので・・・)、若い時分には胴プロテクターや防具を付けた地稽古で、相手の懐に潜り込んでの廻し猿臂や後ろ猿臂などをよく使って効果を上げていた。

 さらに落とし猿臂などもわりあい一生懸命工夫して、ある程度地稽古で使える得意技にしたつもりだが、唯一縦猿臂だけは、どうにも使いこなせるようにならなかった。

 縦猿臂とは、下から上に打ち上げる肘打ちのことだが、形でやるぶんにはどうということはないのだけれど、実際にこれを巻き藁やミット、サンドバック、そして人間の顎や水月などに実際に当てようとすると、意外に「芯でとらえて当てる」ことが難しいのだ。

 さてそこで、柳生心眼流における山勢巌構である。

 口伝を受けてこれを使うと、実に容易かつ確実に、縦猿臂がきまるのだ。

 いや、これには実に驚いた。

 それまでは空手道での経験から、少なくとも私という個人は、縦猿臂という技は一生遣えないのだろうなと諦めていたのだが、心眼流における山勢巌構の教えによって、サンドバッグやミット、そして人間を相手の稽古でも、確実に縦方向での肘当てを「効かせられる」ようになったのである。

 古流武術の体動と口伝、実に畏るべし。

 山勢巌構の技は、心眼流の特長的な技である重ね当や体当たりと並んで、個人的には必ず自分のものにしたい術技だ。


 空手は楽し、そしてさらに心眼流も楽し。

 (了)
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「力なき正義は無能であり、正義なき力は圧制である」/(身辺雑記)
- 2017/03/08(Wed) -
170307_タロット


 とある一件の成り行きについて、意味深長なマルセイユ版のご神託。

 3段に深掘りした結論が、「剛毅」「正義」「剣の2」のコンビネーションというのは、武芸者として実に腑に落ちる。

 そして表層・深層・真理の縦軸を貫くのが、「杯の女王」「剣の王」「剛毅」というのも、また深い。

  「力なき正義は無能であり、正義なき力は圧制である。
  力なき正義は反抗を受け、正義なき力は弾劾を受ける。
  それゆえ正義と力を結合せねばならない。」
                    (パスカル『パンセ』より)


 ということか。

 なるほどね。

 (おしまい)
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「一殺多生」の気組と、武芸者の「顔」/(武術・武道)
- 2017/03/07(Tue) -
 もう7年も前の封切作品なのだが、いまさらケーブルTVで映画『桜田門外ノ変』を鑑賞。

 思ったよりも面白く見ることができた。

 しかし私は平素から、『山上宗二記』と並んで井伊直弼の著書『茶湯一会集』や『閑夜茶話 』を愛読していることもあり、作中、井伊がステレオタイプ的な悪の権力者といったニュアンスを強調して描かれていたのは、作品のテーマ上やむを得ないとはいえ、少々鼻についた。



 それにしても史実によれば、襲撃グループ18名に対し彦根藩の行列は総勢60名と、人数的には襲撃側が圧倒的に不利でありながら、目的である井伊大老暗殺に成功したというのは、たいへんに興味深い。

 彦根藩側の供回りは柄袋を付けていたとか、こまごまとした要因はあれど、大老襲撃という決死の使命感を持った18名の刺客と、ルーチンワークの行列警護で緊張感に欠けた60名の従者たちとでは、攻者3倍ならぬ守備側3倍という決定的な戦力差も、まったく意味をなさなかったということか。

 これは桜田門外の変から遡ること159年前の「赤穂事件」において、およそ100人が守る吉良邸を47人で襲撃し、主君の仇討ちという本懐を遂げたケースにも共通する。

 つまるところ集団戦においては、2~3倍の戦力差は、彼我の士気の差によって克服可能であるという好事例である。

 もっとも、完全武装で闘志満々の相手が我の2~3倍もいたら、あっという間に叩き潰されるであろうこともまたしかり。

 だからこそ数で劣る側は必死にならざるをえないわけで、これこそまさに孫子の極意である「死兵」となるわけだ。

 ことほどさように、闘争における士気や闘志、つまり「気勢」「気組」の重要性は、あだやおろそかにしてはならぬ要因である。

 先の大戦末期の旧軍のような、狂信的かつ非合理的な精神論のみに頼るのは論外だが、一方でクラウゼヴィッツの『戦争論』では、兵士と国民の闘争心の重要性を強調している点も忘れてはならないだろう。



 小の兵法である武術・武道においてもこれは同様で、いたずらに精神論に偏って技術の向上や基礎的体力の涵養をないがしろにするのは論外だが、一方で、どんなに術が優れ体力があっても、彼我の闘争において「一人一殺」「一殺多生」の気組の無い術者は、必死の素人に敗れてしまうのもまた真理だ。

 下世話に言えば、「てめえ、ぶっ殺す!」といった気概の無い生ぬるい剣や拳では、町のチンピラにすら遅れをとってしまうことを肝に命じておくことも、武芸者には必要な初歩の嗜みであろう。

 ただし、少なくとも10年、20年稽古を続けてきた武術・武道人であれば、そういった闘志、気勢や気組というものは常に、あくまでも己の内に秘めておくべきことであるのは言うまでもない。

 それかあらぬか、齢40、50にもなっても殺気や闘志が表に出すぎてしまい、人相や目つきの極めて悪い武術・武道人を時折見かけるが、それは武芸者のあるべき姿として下手であることはもちろん、本来、人格の陶冶を目指すべき武道指導者として見ても、こうした御仁たちはどんなに業が優れていても、けして一流の武道指導者ではない。

 そういった手合いとは、お近づきにならないに限るというのは、私の36年の武術・武道人生と37年の占術人生から、断言してよいと思う。

 歳をとればとるほど、目つき顔つきには、その人の内面が出るものだ。

 では、お前の顔はどうかって?

 う~む、南無八幡大菩薩・・・・・・。

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▲ま、そんなオッカナイ顔をしてないで、茶でも一服し給え


 (了)
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心の居着きを断つ/(武術・武道)
- 2017/03/06(Mon) -
 日曜は終日原稿書きで、今日は朝から都内で取材がある。

 そこで晩酌をしてさっさと寝ようと思ったのだが、夕方から呑んでウトウトしたものの、23時過ぎに酔いが醒めて目覚めてしまい、なんだかいまひとつ気分がさっぱりしない。

 そこで小半刻ほど、真剣で荒木流抜剣を抜く。

 私の差料は二口とも2尺1~2寸なので、居合の「術」の鍛錬にはいささか物足りず、もっと長い刀の方が適しており、2尺3寸5分と2尺4寸5分の稽古用の模造刀もあるのだが、心胆を練りたいときには、やはり真剣で稽古するに限る。

 おかげで、心のモヤモヤがすっきりとそぎ落とされた。

 さてそれでは、風呂に入って寝るとしよう。

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柳剛流突杖が投げかける、「術」としての問い/(柳剛流)
- 2017/03/05(Sun) -
 昨日の翠月庵の稽古では、柳剛流突杖の稽古が中心となった。

 これまで本ブログで度々指摘してきたように、総合武術である柳剛流において突杖のみが、他の剣術・居合・長刀とは非常に異なる業の使い方をするものとなっている。

 その理由についてはつまびらかではないが、長年に渡る錬磨が必要である剣術、その体動を補完する居合、そしてそれらの鍛錬によって完成した当流ならではの動きと技で駆使する長刀という一連の体系に対し、突杖のみは非常にシンプルで、良い意味で即物的かつ簡潔な技法構成である点から、おそらく突杖は即応的な護身技法として位置づけられているのではないか? という推論も、本ブログの過去記事に記してきた通りである。



 「ハジキ」、「ハズシ」、「右留」、「左留」、「抜留」の5本を徹底的に繰り返していると、これらの形はいずれも、たとえば往時の農家の次男坊・三男坊といった剣の素養のないであろう者が仕太刀をとっても、気力と体力と熱意があれば、ある程度短期間で「武技」として仕上がっただろうなと感じられる。

 一方で対剣という想定上、たとえば1本目の「ハジキ」における剣の捌きの難しさ、2本目の「ハズシ」における入身の究極的な厳しさなど、柳剛流突杖は一見素朴ながら、実は武技としてたいへん高度な「術としての問い」も、術者に投げかけているのである。

 このような流祖から示された「術として問い」を、理屈ではなく己の心身で紐解いていくことが、現代における古流武術修行の醍醐味のひとつだといえるだろう。

1703_本部所蔵切紙


 (了)
 
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翠月庵の手裏剣術/(手裏剣術)
- 2017/03/04(Sat) -
 翠月庵で柳剛流を稽古しているU氏が、先週から手裏剣術の稽古を始めた。

 一般的に手裏剣術の稽古は、古流でも現代流派でも、的から1間程度のごく近い間合から稽古を始める。そして徐々に間合を遠くしていくのだが、多くの場合、2間から2間半ぐらいのところで直打では刺さらなくなり、稽古の壁にぶつかる。

 このため「間合3間」というのは、ある意味で手裏剣術者のメルクマールであり、10歩の間合からの「板金を打つ心」(フルパワー)の打剣で、八寸的に六割以上の的中が錬士相当・目録(成瀬関次師著『臨戦刀術』より)という実力の目安であると言われる。



 そこで当庵では、初学者にいきなり3間直打から稽古を始めてもらう。

 しかも、長剣と重心理論に基づいた無滑走2点打法で打ってもらうために、女性も含めてほとんどの人が、稽古初日から何本かは3間直打で手裏剣を的に刺すことができるようになる。

 もちろん、間合い3間で「板金を打つ心」、つまり武術的に意味のある速度と威力がのった打剣ができるようになるには、数年の稽古が必要だ。

 それにしても、生まれて初めて手裏剣を打つ人に、稽古初日から直打で3間を通させる稽古場というのは、本邦でもなかなか無いのではなかろうか?

 とはいえ実は、「術」の稽古の本質という点では、最初から3間を通させるというのは、それほど大きな意味はない。

 しかし、重心理論に基づいた直打というものを確実に体感してもらうためと、3間という間合に気後れしないメンタルを養成するために、当庵ではできるだけ早い段階で、3間直打を実現してもらいたいと考えているのである。



 U氏の場合、稽古初日から3間直打はもちろん、実践的な間合である2間での「板金を打つ心」に近い打剣でも、3割前後の的中がみられ、さらに当庵では中級者向けの翠月剣でも、刺中が見られたのは少々驚きであった。

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▲U氏による、逆体の構えから踏み込んで2間順体打ち、「板金を打つ心」での打剣


 もっともこれは、同氏が居合・剣術家として20年以上もの稽古を積み重ねてきていることから、体幹や運足、腕の振りなどが出来上がっているからこそであって、さすがにまったくの武術未経験者が、誰でも初日からここまで打てるわけではない。

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▲U氏の場合、長年の居合・剣術の修行で「体」と「力の統一の感覚」ができているので打剣の上達も早い



 さて、来月は恒例の苗木城での演武があるので、私もそろそろ気を入れて手裏剣を打たねばと思う、今日この頃である。


 (了)
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旅の仲間/(身辺雑記)
- 2017/03/03(Fri) -
 18歳で家を出て以来、かれこれ30年もやもめ暮らしをしている。

 おかげで鶏のから揚げやふろ吹き大根も作れるし、洗濯をしてキーピングで襦袢や浴衣をパリッと仕上げることもできる。掃除もそこそこはしているし、もっとも苦手だった繕い物も、人間として最低限のレベル(笑)はできるようになった。

 ま、運針などという概念を逸脱した、まるでジョン・ランボーが自分の腕の傷を木綿糸で縫うようなひどいもんだが、それでも稽古着の破れを繕ったり、ドアノブにひっかけて裂けた着物の袂の応急処置くらいはなんとかなる。


 先日、稽古帰りに、バックパックが破けてしまった。

 帆布製の丈夫なフレンチガイドパックなのだが、なにしろ今年でちょうど買ってから20年が過ぎた老兵なので、開口部下の帆布が10㎝ほど裂けてしまったのだ。

 思えばこれを買ったのは1997年。池袋の秀山荘であった。

 取材で2週間ほどボルネオに行くために購入したもので、以来、酷暑のシリア砂漠から極寒の北朝鮮金剛山まで、いつも私の背中にあり、ただ黙々と愛用のニコンF90とFM2/T、コクヨの野帳にトンボ消しゴム付き鉛筆2558-HBといった取材七つ道具を運んでくれたものだ。

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▲2010年1月、青春18きっぷの取材で、東京→長野→京都→東京を各駅停車で移動しながら取材をしたときのひとコマ



 しかしここ数年は、すっかり海外取材のオーダーも無くなり、このフレンチガイドパックはもっぱら稽古に行く際の稽古着入れ9割、国内旅行取材1割といった利用割合になっている。

 風雪にさらされてクタクタになったザックは、自分としてはようやくいい風合いになってきたなと思い、バックパッカーの若い人からも「いい感じにくたびれてきましたね」などと褒められるのだが、一般の人から見れば、ただの小汚いリュックサックなのだろう。


 そんなこんなで、このまま捨ててしまい、新しいザックに買い替えるのはあまりに忍びないので、昨夜、針と木綿糸をチクチクやり、破れた部分を縫い合わせた。

 それにしても、私の裁縫の腕があまりにひどいものだから、まるで引き攣れた傷跡みたいになっているわけだが、それはそれで味があるかななどと、個人的には思っている。

 これでまた、あと10年は使えるな。

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▲山賊の傷跡のようになったものの、これはこれで味があるのではないかと、個人的には思う


 (おしまい)
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マックイーンのMA-1/(身辺雑記)
- 2017/03/02(Thu) -
 過日、某所のバーで、隣の席に座った私よりも少し若いおじさん2人組が話していた。

 「今年の冬は、若い連中にMA-1が流行ったんだってよ」
 「へえ。オレなんか、トム・クルーズの『トップガン』見て以来、MA-1着てるんだ。にわかとはちがうぜ」

 なるほど、彼にとってMA-1は、トム・クルーズと『トップガン』なのか・・・。



 思えば、『トップガン』の封切は今から31年前の1986年12月、私が高校2年の冬であった。

 3学期になると、同級生がこぞって米軍航空隊のパッチが付いたMA-1やMA-1モドキのパチモンを着て街を歩いていたものだ。

 そんな中で私は、

 「けっ、ペタパタとワッペンなんか張りやがって。本当のMA-1は、『ハンター』でマックイーンが着てた、無地の緑のMA-1なんだよ・・・」

 と心の中でつぶやいていた。

 ま、よくいる面倒くさい思春期の男子だったわけです。



 スティーブ・マックイーンの遺作である『ハンター』の封切は1980年の冬で、私がテレビ放映でそれを観たのは、多分、中学生の頃だから、『トップガン』の封切よりも数年早い。

 映画の中で、マックイーン演じる現代の賞金稼ぎラルフ・パパ・ソーソンが着ているMA-1が実にかっこよく、コンバットマガジンの広告に出ていた中田商店の通信販売で、貯めに貯めたおこずかいを全額下ろして、アルファ社の無地のグリーンのMA-1を買ったのは、遠い日の思い出だ。

 もっとも中学生の体格で、しかも背の順で前から2番目のチビな私にサイズの合うMA-1はなく、仕方なくぶかぶかの無地のグリーンのMA-1を着ている私をみて近所のおばさんが、

 「あら、建築現場のお兄さんのジャンパー?」

 と言ったことは、いまでも私の心に深い傷を残している・・・・・・。

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▲映画『ハンター』でMA-1を着ているスティーブ・マックイーン。37年たっても、やっぱりカッコイイ



 そんなこんなでこの冬、ひさびさにMA-1でも着てみるかと、20年ほど前に池袋のサープラス・ショップで買った3着目のアルファのMA-1をクリーニングに出し、久々に着てみる。

 ジーンズにシャツ、グリーンの無地のMA-1を着て鏡に映っている私は、自分の脳内ではまちがいなく『ハンター』のスティーブ・マックイーンなのである。

 だがそんな私を見て、親しい人はこうのたまった。

 「なんか、工事現場のオジサンみたいだよ」

 ・・・・・・、ま、いいんだ、それ言われ慣れているから。


 (おしまい)
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