一体一気溜りなければ/(武術・武道)
- 2017/04/08(Sat) -
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 目釘を改める。


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 手裏剣の切先を立てる。


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 そして、柳剛流の木太刀に油をひく。



 いよいよ明日は美濃にて、真剣勝負の演武である。

 心静かに、彼の地へ向かうとしよう。


  敵と我二人と見るは愚かなれ
               一体一気溜りなければ(柳剛流道歌)


 (了)
 
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花無く酒無くして/(身辺雑記)
- 2017/04/07(Fri) -
「清明」(王禹偁)

 無花無酒過清明    花無く酒無くして 清明を過ぐ
 興味蕭然似野僧    興味 蕭然として野僧に似たり
 昨日隣家乞新火    昨日 隣家 新火を乞う
 暁窓分与読書燈    暁窓に分与す 読書の燈


文豪と酒と鉄路と雨
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清明閑夜/(身辺雑記)
- 2017/04/05(Wed) -
 未だ体調は万全ではないが、昨夜と今夜は柳剛流の居合を集中的に稽古。

 体捌きに感じるところあり。

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 そして今週末は、恒例の苗木城武術演武会。

 今回、手裏剣術の演武は3間基本打ちと刀法併用手裏剣術のみとし、師のご許可がいただけたので、柳剛流の剣術、突杖、居合をメインに行う予定だ。

 といっても、私は剣術と突杖の打太刀に専念。

 仕太刀をとる門下各人の実力を、できるだけ引き出したいと思う。

 (了)
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「柳剛流」という道をゆく/(柳剛流)
- 2017/04/04(Tue) -
 先々週、翠月庵に見学に来たSさんが、先の週末の稽古から正式に入門することとなった。

 これで私を含め、当庵で5人目の柳剛流剣士の誕生である。

 杖の高段者であるとともに、刀、薙刀、さらに複数の格闘技の有段者でもあるSさんには、剣術、居合、突杖、長刀を有する総合武術である柳剛流は、非常になじみやすいのではないかと思う。



 まずは備之伝から、剣術の「右剣」と「左剣」の稽古を始めてもらう。

 切紙の段階で最初に学ぶ「右剣」と「左剣」は、すでに何度も指摘しているように、柳剛流のあらゆるエッセンスが凝縮された初学の門であり、極意でもある。

 この2つの形を、己の体にしっかりとなじませていくことで、柳剛流ならではの運足、体捌き、拍子、太刀筋、そして戦術と戦略を学ぶのである。

 この2つの形の鍛錬無くして、目録で学ぶ当流極意柳剛刀も、免許秘伝の長刀も、「術」とはなりえない。



 倦まず弛まずじっくりと、流祖・岡田惣右衛門が200年以上も前に編み出したこの「術」を学び、生涯武道として業と心身を磨きながら、末永く後世に伝えるためにも力を尽くしてもらえれば、柳剛流を愛する者のひとりとして、とてもうれしく思う。


  敵は剣身をば柳江修行して
              心せかづに勝を取るべし(柳剛流道歌)


 (了)
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病床六尺/(身辺雑記)
- 2017/04/03(Mon) -
 「病床六尺、これが我世界である」と書いたのは子規だが、どうもこの春は、私も体調があまり思わしくない・・・・・・。

 先月はインフルエンザで10日ほど伏してしまったと思ったら、先の日曜も寝込むことに。

 これも年齢のせいだろうか?


 日曜の早朝、本部稽古に向かうために朝4時に起床。洗面を済ませ、荷物をまとめ、着替えて家を出ようとしたところ、ビロウな話でなんだが、急に便意を催した。

 そこで、トイレに入りコトを済ませようとしたところ、急激に猛烈な差し込みに襲われた。

 しかもその差し込みの激痛といったら、50前の武芸をたしなむオッサンが、「痛っつ、痛い、痛い、痛い・・・・」と声に出して呻くほどである。

 余りの痛みに、便座から立ち上がれなくなり、脂汗が急速に噴出して汗びっしょり。しかし、肝心のお通じは無いのである。

 1時間ほどトイレに入ったまま、呻いていたが、いっこうに痛みは引かず、便通もなく、しかたなくなんとか立ち上がってベッドに戻るも、腹部の痛みがひどくて普通の姿勢で横になることができない。

 このため、正座をして丸めた掛布団を抱えるようにしてうつぶせて、ひたすら痛みに耐える。

 腹部の痛みは2~3分おきの断続的なもので、痛みだすと相変わらずうめき声をあげるほどの、これまでの人生で感じたことのないほどの激痛である。

 おまけに今度はものすごい吐き気を感じ、あわててトイレに駆け込み嘔吐もしてしまった・・・。

 もう上も下も、大騒ぎである。

 時間は朝の5時。しかも日曜なので、かかりつけの診療所は休診だ。

 「このまま痛みと嘔吐が続くようなら、救急車を呼ぶしかないかなあ。しかし、いい歳をしたオッサンが、『お腹が痛いので来てください』と、救急車を呼ぶのもこっぱずかしいなあ・・・」、などと考えているうちに、さらに時間は過ぎていく。

 2時間ほどしてようやくお通じがあり、吐き気も収まり、腹部の痛みも徐々に小康を保つようになったが、これから3時間半電車に乗って本部へ行き、剣術や柔術の稽古をすることは到底無理と判断。師に電話をかけ、稽古を休ませていただく旨連絡をする。

 その後、ようやくベッドで横になることができるようになり、腹部が痛む間隔も徐々に広がってきて、うつらうつらするも痛みで目覚め、再び痛みが引き、またうつらうつらするも痛みで目覚めるを繰り返しているうちに、いつのまにか意識を失っていた・・・・・・。


 結局、夜まで終日臥床し、腹部の痛みも日が暮れる頃にはなんとか収まったのだが、それにしてもこれほど腹が痛くなったのは、人生でも初の体験であった。

 そもそもなんで、こんなに急激に腹部の激痛が起こったのか、いまだに良く分からない。

 もともと胃腸は弱いため、子供の頃から便秘と下痢を繰り返してしまう体質なのであるが、これほどの激しい腹痛は、いままで感じたことが無かった。

 さりとて食あたりかといえば、そうでもない(食あたりは何度もしているので、経験的に分かるのである)。

 原因も分からないまま激痛にさいなまれつつ1日中寝込み、訳の分からないまま回復し、そして今朝はこんな駄文を書いているわけだ。

 再び痛み出すようなら、すぐにかかりつけ医に見てもらおうと思うのだが、幸いにもいまのところその兆候はない。

 それにしても、信じられないほどお腹は痛いは、楽しみにしていた稽古には行けないはと、実にさんざんな日曜であった。

 やっぱり健康が一番だと、しみじみ思う月曜の朝である。

 (おしまい)
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手裏剣は「投げる」ものではない、「打つ」ものである/(手裏剣術)
- 2017/03/31(Fri) -
 言葉は、彼我の世界を規定する。

 「はじめに言葉ありき」とは『ヨハネによる福音書』の一節だが、我々人間は言葉があるからこそ、抽象的な概念や行為を実存として把握し認識することができる。



 武芸における手裏剣術では、古来から手裏剣は「投げる」ものではなく「打つ」ものとされてきた。

 いくつか古典の記述を拾ってみよう。

 「小笠原忠政、敵に胸板と肌との間を鑓にて突き返されたるが、忠政脇差を抜きて手裏剣に打ちたるに、敵ひるんで鑓を抜きたるによりて命助かりたり」(『大阪軍記』)

 「武村武蔵子は与左衛門と云いけり。父に不劣剣術の名人手裏剣の上手なり。川に桃を受けて打つに桃の核を貫きたり」(『幸庵対話』)

 「黒河内兼規、その手裏剣におけるも、小的を柱にかけ、一丈八尺を隔ててこれに打ち、一も過らず」(『会津藩教育考』)



 このように、手裏剣術に関する古典的な史料では、一部に「投げる」という記述も見られるが、ほとんどの場合「打つ」と表現されている。

 その理由はつまびらかではないが、たとえば杭は「打つ」という。あるいは釘も「打つ」と表現する。

 慣習として、先端のとがった棒状のものを何かに突きさす行為は「打つ」と表現することから、棒状あるいは短刀状の手裏剣についても、これを「打つ」と表現したのではなかろうか?



 もう1つ、これは手裏剣術ではないが、剣術の斬撃について、二天一流の宮本武蔵(手裏剣術についても名手であり、始祖のひとりでもある)は、その著書『五輪書』水の巻において、「打とあたると云事」という一文を記している。

一 打とあたると云事。
うつと云事、あたると云事、二つ也。
うつと云こゝろハ、何れのうちにても、
おもひうけて、たしかに打也。
あたるハ、行あたるほどの心にて、
何と強くあたり、忽敵の死ぬるほどにても、
これハ、あたる也。
打と云ハ、心得て打所也。吟味すべし。
敵の手にても、足にても、
あたると云ハ、先、あたる也。
あたりて後を、強くうたんため也。
あたるハ、さはるほどの心、
能ならひ得てハ、各別の事也。
工夫すべし。

(訳)
一 打つと当るという事
 打つということ、当るということ、(これは)二つ(別々のこと)である。
 打つという意味は、どんな打ちでも、しっかりと心得て、確実に打つということである。当るというのは、(たまたま)行き当るという程のことであり、どれほど強く当って、敵が即死してしまう程であっても、これは当るということである。打つというのは、心得て打つ場合である。(ここを)吟味すべし。
 敵の手でも足でも、当るというのは、まず、当るのである。(それは)当った後を強く打つためのものである。(だから)当るというのは、触る〔様子をみる〕という程のことであり、よく習得すれば、まったく別のことだ(とわかる)。工夫すべし。

 ~出典:「武蔵の五輪書を読む 五輪書研究会版テクスト全文 現代語訳と注解・評釈」(播磨武蔵研究会「宮本武蔵」ホームページhttp://www.geocities.jp/themusasi2g/gorin/g00.htmlより)~


 『五輪書』では、斬撃において「打つ」と「当たる」の違いを、主体である剣術者の意念の違いで分別している。

 手裏剣術においても、「打つ」(Strike)と「投げる」(Throw)とでは、術者の意識としてたいへん大きな違いがあり、それは区別すべき精神状態=心法である。

 あくまでも武技として手裏剣術を稽古するのであれば、一打をもって敵の死命を制するだけの気勢を込めた、「打ち」でなければならない。

 「投げる」という言葉・表現・行為には、こうした武芸としての、生死一如の厳しさが無いのである。



 遊戯やスポーツとしての的当てであれば、手裏剣は「投げる」ものであって構わない。しかし、それを武芸と位置付けるのであれば、手裏剣は必ず「打つ」ものでなければならない。

 特に手裏剣術の初学者は、この点を十分に踏まえて稽古に臨む必要がある。

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 ■引用・参考文献
 『五輪書』(宮本武蔵著・渡辺一郎校注/岩波文庫)
 『宮本武蔵の戦闘マニュアル 精解 五輪書』(兵頭二十八著/新紀元社)
 『手裏剣術』(染谷親俊著/愛隆堂)

 (了)
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Protect yourself at all times./(時評)
- 2017/03/30(Thu) -
 栃木県で雪山訓練中の高校生たちと教諭が雪崩に巻き込まれ、8人が亡くなる痛ましい事故が起きた。

 被害にあった方々のご冥福をお祈りします。

 そして残念なことに、この雪崩事故については、雪崩ビーコンなど装備の不備、雪崩が頻発することが知られていた斜面でのラッセル訓練の実施、事故発生からの救助要請の遅れなど、主催者側のさまざまな危機管理の甘さがが指摘されている。



 高校時代は山岳部に所属し、アラスカのユーコン川やタクラマカン砂漠、パミール高原など辺境の旅をしていた20代の頃、私はイギリスに本部を置く冒険教育機関アウトワード・バウンドの長野校で、野外教育者養成のための訓練コースに参加した。

 あれから26年が過ぎた今もしっかりと私の脳裏に刻まれているのは、「野外では常に、まず自己の安全を確保せよ」という教えだ。

 レジャーでもあるいは救助活動でも、アウトドアではまず自己(および自分たちパーティ)の安全確保を優先すること、これが大原則である。

 先駆的アルピニズムを行う一部の先鋭的登山家や、リスク覚悟で活動する冒険家を除いて、一般的な野外活動愛好家によるアウトドアでの事故の多くは、「自己の安全確保優先」という原則をおろそかにしたことが原因となって起こっていることがほとんどだ。

 今回の栃木の事故の場合、指導を行う人々、主催者や指導者に、こうした「安全確保」の意識が薄かったことが、根本的な原因にあるように思えてならない。



 春の雪山で表層雪崩が起きやすいのは、中堅どころのアウトドアズマンであれば常識的な知識であろう。

 その上で、訓練地域である当該スキー場では、彼らの滞在初日に事故現場とは別の場所ながら雪崩が発生していたこと。その後、夜間に大量の積雪がったことなどを勘案すれば、「このフィールドで自己および自己パーティの安全が確保できるのか」は、おのずから判断できたのではあるまいか?

 そしてなにより致命的なのは、指導者や訓練生たちが、雪崩ビーコンやゾンデ棒を装備していなかったことだ。

 近年、特に中高年のビギナー登山者の中に、ツェルトやコンパス、非常食などを携帯せず、フォースト・ビバークの知識・経験・装備がないままに山行に望み、遭難して低体温症や滑落などといった事故を起こす人たちがいる。

 野外活動において、「備えよ、常に(ロバート・ベーデン=パウエル卿)」は、アウトドアズマンの基本の「キ」だ。

 今回の事故では、雪崩ビーコンもゾンデ棒も未装備という状態でラッセル訓練を行うのに、当該地域は適切なのかを指導者たちは十分に検討したのだろうか?

 検討をしたとして、それは気象データや地域特性を考慮した、客観的で科学的な事実に基づく判断であったのか?

 主観的な思い込みによる、「ラッセル訓練ぐらい、大丈夫だろう」「スキー場だから、安全だろう」といった、安易な状況判断でなかったか?

 このあたりをきちんと検証した上で、単なる責任追及にすることなく、今回の教訓を活かして同じような事故を再び起こさないことが、事故で亡くなった方たちに対する、関係者たちの償いであり使命であろう。

 今回のケースでは、訓練を受ける学生たちは、指導者へ自己の安全を付託しているだから、「自己および自己パーティの安全確保」に対する責任は、指導者たちにあることは明白だ。

 この点について、指導者たちに認識の甘さがあったのが残念でならない。



 もう1つ、今回の事故に関連して思うのは、高校山岳部における活動規制についてだ。

 私が高校で山岳部に所属していた四半世紀前、冬山登山とロッククライミングは部活動としては禁止されていた。このため私は、地元の勤労者登山会に入会し、冬山登山とロッククライミングについて個人的に訓練を受けた。

 報道によれば、現在も高校生の部活では、冬山登山は原則禁止されているようである。

 ところが今回のケースでは、「冬山登山」の訓練ではなく、「春山登山」の訓練だということで許可され、長年に渡り実施されてきたのだという。

 思うに、こうした詭弁というか、規制の言葉尻をとらえた脱法的なやり方そのものが、今回のような痛ましい事故につながっているように思えてならない。

 たしかに3月は、季節的には「春山」であるが、フィールドとしての山岳は、いまだに積雪に包まれている。だからこそ、雪上訓練の場所となるわけだが、一方で冬の山よりも春の山は、はるかに雪崩のリスクが高い。

 こうした社会的要因と自然のリスク要因が混在する春の雪山というフィールドで、技術未熟な学生たちを対象に、雪上訓練を行うことは果たして適切なのか?

 むしろ、「高校生の冬山登山禁止」といった形骸化した規制を見直し、春山よりもリスクの低い冬季の適切な山域において、十分に安全確保をした上で雪上訓練をすべきだと私は思う。

 「危険だから教えない」という、きわめて日本的な思考があるゆえに、その建前の隙間をくぐるような姑息な条件での活動が、ひいては危機管理の低さ、状況認識の甘さにつながっているのではないか?

 雪山にせよ、ロッククライミングにせよ、夏山でもあるいは登山以外のあらゆるアウトドアスポーツにおいて、それが自然という存在を対象にする以上、そこには必ずリスクが存在する。

 だからこそ、リスクから目をそらしたり規制して若者たちを遠ざけるのではなく、熟練したベテラン指導者たちが万全の配慮をした上で、きちんとした指導と訓練を実施し、アウトドアにおける危機管理能力を育てていくべきだろう。

 こうした意味で、今回の事故により、若い人たちに対する野外教育訓練に関する規制が強まるようなことがあれば、それはむしろ次の事故の遠因になりかねない。

 リスクを恐れ、いたずらな規制で自然から若者たちを遠ざけるのではなく、それに対峙するための知恵と技術を、しっかりと指導するのが、私たち大人の役割だといえるだろう。

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 (了)
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雨月物語/(身辺雑記)
- 2017/03/29(Wed) -
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 上田秋成の『雨月物語』は、私の愛読書のひとつ。

 昭和28(1953)年、溝口健二作の映画『雨月物語』の京マチ子は、実に美しいなあと思う。

 あ、今、酔ってますよ・・・。

 ちなみに、この写真は、『羅生門』の京マチ子である。

 (おしまい)
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柳剛流の一人稽古/(柳剛流)
- 2017/03/28(Tue) -
 言うまでもないことだが、柳剛流に限らず日本剣術の稽古は、仕太刀と打太刀による相対での形稽古が学びの根本になる。

 しかし、日々の稽古においては、必ず稽古相手がいるとは限らない。ことに毎日の自主稽古では、どうしても一人稽古の頻度が高くなる。

 それでは柳剛流の一人稽古は、どのように行うべきか?

 まず、一人稽古の根本となるのが居合である。

 柳剛流居合は、他流の居合同様、座位という困難な姿勢から運刀を学ぶためのものであるが、加えて柳剛流特有の体捌きによって、強靭な下半身の力と腰のキレを体得することに眼目がある。

 直心影流(直心柳影流)薙刀の達人・園部秀雄は、その著書『学校薙刀』(昭和11年刊)において、柳剛流の業を「跳斬の妙術」と評しているが、この「跳斬」のための地力を錬るのが柳剛流居合なのだ。

 「向一文字」「右行」「左行」「後詰」「切上」という、シンプルな5本の居合をとことん錬ることで、柳剛流の真面目である「跳斬の妙術」を得られるのである。

 これらの居合で錬った地力は、たとえば剣術の基本となる「右剣」と「左剣」、あるいは当流極意と呼ばれる柳剛刀6本の形においても、十全に発揮される。

 逆説的に言えば、居合稽古による強靭な下半身の力と腰のキレなしには、柳剛流剣術の様々な業=術を、十分に使いこなすことはできないのである。



 柳剛流の一人稽古において、居合と並んで重要なのは「備之伝」と「備十五ヶ条フセギ秘伝」だ。

 「備之伝」は、当流において初学者が学ぶ15種類の構えの教えであり、「備十五ヶ条フセギ秘伝」は目録者が学ぶ15種の構えに対応する必勝の構えの教えだ。

 一人稽古においては、まず「備之伝」において正しい構えの姿勢やそれぞれの構えの意味、その構えからのあるべき太刀筋を知る。

 次いで「備十五ヶ条フセギ秘伝」を学んだ者は、それぞれのフセギ秘伝について、彼我の関係と接点、そしてそこからのあるべき太刀筋を学ぶのである。

 さらにこの段階では、それぞれの構えを通して、いわゆる「気押し」「気組み」を十分に錬ることも重要だ。

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▲今井右膳の子・亀太郎の門人であった松嵜直義が山田健三郎に明治23(1890)年に伝授した柳剛流切紙(水月塾本部所蔵)。この伝書では備之伝が10種に簡略化されているが、角田伝や武州伝の各派では多くの場合、備之伝は15種が基本となる


 このように、柳剛流の一人稽古は、切紙の段階では居合と備之伝、目録以上の者はこれらに備十五ヶ条フセギ秘伝を加えた3つがが基本となる。

 その上で、剣術や突杖、長刀の各形について、単独での形の復習を繰り返すことだ。

 さらに補助鍛錬として、いくつかの当流独自の素振りを加えるとよいだろう。


 武芸の学びにおいては、単独稽古と相対稽古は車の両輪だ。

 どちらかに偏ることなく、それぞれが有益に関連しあうよう稽古をしていくことが重要であろう。

 (了)
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『「通し狂言 伊賀越道中双六』/(身辺雑記)
- 2017/03/27(Mon) -
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 国立劇場50周年記念の最後の演目『「通し狂言 伊賀越道中双六』は、今日が千秋楽。

 荒木又右衛門の鍵屋の辻の決闘をモチーフしたこの芝居、吉右衛門のいぶし銀の芝居が光る名演であった。

 「大詰 伊賀上野 敵討の場」では、敵の種子島 を手裏剣一閃で打ち倒す、お約束の名場面も!

 又五郎の2役も見事。菊之助と吉右衛門の、義理の親子共演も見ごたえ十分であった。

 やっぱ歌舞伎は、国立劇場に限るね。

 歌舞伎座は・・・、ちょっと客席の雰囲気がスノッブなんだよなっと、国立劇場インターネット会員(NTJ)のオイラは思うわけだ(苦笑)。

 (おしまい)
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