柳剛流と柳生心眼流/(柳剛流)
- 2018/05/30(Wed) -
 松代での春の演武も終わり、今年上半期の主な武術関連の行事はひと通り終了した。

 下半期についても、演武に出場するのは秋に行われる松代の演武会のみであり、気分的には翠月庵/国際水月塾武術協会埼玉支部としての、今年の公式な対外活動は9割方済んだという感じである。

 というわけで、あとは日々、粛々と稽古をするのみだ。

 ・・・・・・と、そんな気持ちもあり、今晩の稽古では柳剛流ではなく、柳生心眼流の体術に集中した。



 私の体術修行は12歳から学んだ八光流が始まりだけれど、その後29歳から41歳まで12年間に渡って稽古に集中し、今も細々とだが稽古を継続している伝統派空手道が、身体の使い方の大きな素養のひとつとなっている。

 こうしたこともあり、素振二十八ヶ条による一人稽古が鍛錬の柱となる柳生心眼流は、たいへんにとっつきやすく、稽古のしやすさを感じている。

 もっとも当初は、空手道や他の柔術とはあまりに異なる柳生心眼流の身体の使い方に大いに戸惑ったのだけれど、ようやく最近になって、素振や相対稽古、打ち込み稽古などをしていても、違和感を感じなくなった。

 稽古が進み、師より実践応用技法(空手道でいうところの分解ですな)の口伝も少しづつ伝授していただけるようになり、この古流武術の独特な体術技法の数々に興味は増すばかりである。



 ところで仙台藩角田伝の柳剛流剣術には、相手を地面に倒してから斬る「相合剣」という業がある。

 この業で用いる体術的接触技法は、柳生心眼流の動きや技に一脈通じるものがあり、私は両者を稽古することでより深く「術」の理合を知ることができると感じている。

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▲体術的な接触技法で相手を地面に倒してから斬撃を加える、柳剛流剣術「相合剣」


 (了)
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松代藩文武学校武道会 第24回 春の武術演武会/(柳剛流)
- 2018/05/27(Sun) -
 本日、長野県長野市松代町にある松代藩文武学校にて、「松代藩文武学校武道会 第24回 春の武術演武会」が開催され、私も国際水月塾武術協会の一員として参加をさせていただいた。

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▲松代藩文武学校武道会の先生方と、象山神社に参拝後の記念撮影


 午前中は、象山神社に参拝し、武運長久を祈願。

 そして午後から演武となる。

 私は師に打太刀を執っていただき、仙台藩角田伝 柳剛流剣術の「右剣」「左剣」「青眼右足刀」「青眼左足刀」「相合剣」と、5本の形を披露させていただいた。

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▲柳剛流剣術「青眼右足刀」(打太刀:小佐野淳師、仕太刀:瀬沼健司)


 松代藩文武学校にて、柳剛流の演武をさせていただくのは今回で3回目だが、本物の藩校の武道場での演武は、何度行っても凛としたこの場所ならではの緊張感が心地よい。

 5月の薫風の中で、自分なりに存分に木太刀を振るうことができた。
 
 次回、この場所での演武は9月。

 さらに己の業を磨いて、再びの演武に臨みたいと思う。

 (了)
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「跳斬之術」を磨く/(柳剛流)
- 2018/05/25(Fri) -
 昨晩および今晩の稽古では、「左剣」と「青眼左足刀」における跳斬りについて、体捌きと運刀にわずかながら違和感を感じた。

 この2つの形=業に限らず、跳違いの体捌きと運刀に少しでもズレがあると、形而上的な意味で、柳剛流の「跳斬り」は成立しない。

 この点を修正するために、丁寧に形を繰り返す。


 
 不世出の女武芸者・園部秀雄をして「跳斬之妙術」と言わしめた柳剛流の跳斬りは、相手の脚を斬る「断脚之術」と並ぶ当流儀の真面目であり、初学の者が最初に学ぶ「術」でもある。

 この「跳斬之術」を生涯かけて磨き抜くことは、柳剛流を修行する者に課せられた使命といって過言ではない。

 地を蹴ることなく、太刀の道に従い、自然に跳び違いながら、自在に相手を斬る。

 そこに、

   「必勝を求めずして、自然に勝つべきに於いて勝つ」
   (岡田左馬輔筆「目録之巻」より)



 という、柳剛流の極意があるのだろう。

 修行の行き着く先は、未だ遥か彼方だ・・・・・・。
  
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▲柳剛流剣術「青眼右足刀」(仕太刀:宇田川浩二、打太刀:瀬沼健司)


 (了)
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柳剛流・南部師範家における「備之伝」の謎/(柳剛流)
- 2018/05/23(Wed) -
 過日、『増補・改訂 宮城県 角田地方と柳剛流剣術-日本剣道史に残る郷土の足跡-』の著者である南部修哉さんから、柳剛流に関する史料として、新たに発見された「柳剛流剣術切紙巻」のコピーをいただいた。

 柳剛流に関する、こうした皆さんからの善意の情報提供は、市井のいち修行人である私としては、本当にありがたく感謝の思いもひとしおである。



 さて、この切紙は仙台藩角田伝 柳剛流の中でも、岡田(一條)左馬輔~斎藤数衛~泉冨次と続く系統とは別に、岡田左馬輔~三芳久馬~佐藤彌一郎に受け継がれた系統のものであり、南部豊之助が明治35(1902)年に、高橋彌一に伝授したものだ。

 南部豊之助は、万延元(1860)年に生まれ、柳剛流剣術のほかにも竹内流の柔や八条流の馬術も修め、家塾を開いてこれらの武芸を地元の子弟に教授。明治38(1905)年から明治45(1912)年までは、旧制角田中学校の剣術師範も務めた柳剛流師範家である。

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 伝書の内容をみると、前文から始まり次いで「備之伝」、その後に剣術の形は「右剣」「左剣」「風心刀」の3本、居合は「向一文字」「右行」「左行」「後詰」「切上」の5本となっている。

 切紙において、剣術の形に「右剣」と「左剣」のほか「風心刀」が加えられているのは、武州や江戸の柳剛流師範家の伝書でも、時折みられるものだ。

 突杖は「突枝」と表記されており、形名は「ハジキ」「ハズシ」「右留」「左留」「抜留」の5本となる。

 突杖を「突枝」と誤記しているケースもまた、数多くの柳剛流師範家伝書でみられるものである。

 次いで二首の武道歌、

 「切り結ぶ太刀の下こそ地獄なり
                踏み込んでみよ極楽もある」

 「平日に咄しするとも真剣と
             思うて言葉大事とそしれ」


 が記され、後文、そして流祖からの伝系、伝授者と被伝授者の氏名となっている。


 このように、本伝書は柳剛流の切紙としては、最も典型的な形式のものとなっているのだが、注目したいのは「備之伝」の記述についてだ。

 柳剛流の「備之伝」は、剣術の攻防における構え方の教えであり、上段から左車まで合計15の構えで構成されるのが一般的である。

 その上で、一部師範家の伝書では、記されている構えの数が15よりも減っているものも散見される。

 ところが、この南部豊之助が発行した切紙では、なんと構えが17種と、通常よりも2つも多く記載されているのだ。

 具体的には、通常の15種の構えに加えて、「浦上段」と「右足」という2つが加えられている。

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 私がこれまで確認してきた柳剛流各師範家の切紙では、「備之伝」において構えの数が15種よりも省略されて少なくなっているものはいくつか目にしたことがあるのだが、逆に数が増えているというのは、今回初めて拝見した次第である。

 柳剛流では、切紙に次ぐ目録伝授の際に、「備之伝」の15の構えそれぞれに対応する口伝である「備十五ヶ条フセギ秘伝」が伝授される。

 このため、今回の伝書のように「備之伝」の構えが通常よりも2つ増えて十七ヶ条であるということは、目録で伝授される「フセギ秘伝」についても、南部豊之助の系統では十五ヶ条ではなく、十七ヶ条になっていたということであろうか・・・・・・?

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 現在、柳剛流剣術の「備之伝」を伝承しているのは、私たち国際水月塾武術協会の仙台藩角田伝 柳剛流のほかには、三重県の三村幸夫先生が継承されていらっしゃる紀州藩田丸伝 柳剛流のみであると思われる。

 手元の資料等を確認すると、紀州藩田丸伝 柳剛流においても、「備之伝」は上段から左車までの15種であり、それぞれの構えの名称も、一部漢字の表記が異なる以外、仙台藩角田伝と同じである。

(実技としての構え方そのものも、田丸伝と角田伝で同じかどうかについては、私は田丸伝の「備之伝」を拝見したことがないため分からない)

 となると、南部豊之助が伝えた「浦上段」と「右足」という構えがどのようなものであったのかは、南部豊之助の系統の柳剛流が途絶えてしまっていることから、当時の手控えなどが発見されない限り、今となっては確認のしようがない。

 柳剛流を稽古する者として、この2つの構えの実態について興味は尽きないが、謎は深まるばかりである・・・・・・。

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▲翠月庵門下による、柳剛流の「備之伝」と「備十五ヶ条フセギ秘伝」の稽古



■引用・参考文献
『増補・改訂 宮城県 角田地方と柳剛流剣術-日本剣道史に残る郷土の足跡-』/南部修哉 著/私家版/2016年

 (了)
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先師方の面影を感じつつ・・・/(柳剛流)
- 2018/05/19(Sat) -
 本日は夕方から、県立武道館で稽古。

 今回は他の利用者がいなかったことから、極上の武道場を独占して剣術から居合、突杖、そして長刀(なぎなた)まで、存分に柳剛流を稽古する。

 ひと気のない武道場で、息を整えるためにしばし着座し黙想をすれば、流祖・岡田惣右衛門以下、歴代の柳剛流師範家の先師方に見守られているような、不思議な感覚にとらわれる。

 もちろんそれは、私の妄想だ。

 しかしこれもまた、己の柳剛流に対する想いである。



 一刻ほどかけて、存分に柳剛流の業を鍛錬し、帰路に着いた。


 ~師と弟子の心に隔てあるならば
       幾く世経るとも道に入るまじ(柳剛流武道歌)~



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▲柳剛流長刀「切上」(打太刀:小佐野淳師、仕太刀:瀬沼健司)

 (了)
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忙中の一剣/(柳剛流)
- 2018/05/17(Thu) -
 多忙である。

 昨日は都内で鉄道関連のガイドブックの出張校正。

 2時間で終わる予定が4時間以上もかかってしまい、おかげでその後の予定が一気にあと倒し・・・・・・。

 このため、本日の取材のための準備が終わったら、もう23時。

 夜が明けたら始発で静岡へ向かわなければならないのだが、一方で次の演武まであと10日である。

 ここで稽古をサボるわけにはいかぬ。

 気力を振り絞って(苦笑)、木太刀を執り柳剛流の稽古。

 備之伝から備フセギ十五ヶ条秘伝、そして剣術を「右剣」から「相合剣」まで。

 木太刀を振るっていると、浮世のよしなしごとはいつしか意識から消え去り、流祖・岡田惣右衛門伝来の「形」と己との、剣と身体を通した無言の交感に没入する。

 そして気が付けば、あっという間に小半刻が過ぎていた。

 こうなるともう少し稽古を続けたいところであるが、金曜までヘヴィーな取材が続くだけに、今晩の稽古は軽めにして切り上げ。

 サッと寝て、取材に備えよう。


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▲柳剛流剣術「中合剣」

 (了)
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剛毅/(身辺雑記)
- 2018/05/16(Wed) -
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 1835年に作られた「デラロッカのタロット」の復刻版である、『エイシェント・イタリアン・タロット』の、「剛毅(力)」というカード。

 こうした古典的なデッキにせよ、20世紀初頭に世に出たスミス・ウェイト版にせよ、「剛毅(力)」というカードは、タロットを構成する22枚の寓意画の中でもお気に入りの一枚だ。

 この手札に象徴されるのは、怒りや暴力、あるいは妬みや嫉みといった低次の衝動は、知性や倫理、廉恥心などによって陶冶され、高次の力たる「勇徳」に昇華されなければならないという教えである。

 古代東洋の兵法で云うならば、

主は怒りをもって師を興すべからず、将は慍りをもって戦いを致すべからず。利に合して動き、利に合せずして止む。怒りはもってまた喜ぶべく、慍りはもってまた悦ぶべきも、亡国はもってまた存すべからず、死者はもってまた生くべからず。ゆえに明君はこれを慎み、良将はこれを警む。(孫子 火攻篇)



 ということか。

 いずれにしても、武術・武道人にとって含蓄のある一枚だと言えるだろう。

 (了)
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カードを手繰る/(身辺雑記)
- 2018/05/15(Tue) -
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 最近、占断はもっぱら周易が中心だったのだが、「ぜひタロットで!」とのご依頼を受けてカードを手繰る。

 普段はあまりケルト十字法はやらないのだが、ちょっと思うところあって、久々にこの伝統的な占法を用いた。

 それにしても、クライアントの問いに対しスプレッドの結果がビシッと決まると、実に読みやすいものだ。

 これもまた、伝統のなせる業か。



 総合判断の結果は「剣の2」。

 さらに補助的に1枚を開くと、「金貨の3」。

 なるほど、意味深長ですナ。

               1123_剣の2


占いとは相談者を取り巻く状況とカードを合わせて解釈することで、問題を再認識し深く隠された可能性を見つける作業である。(『開かない眼』より)



 (おしまい)
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雨の日曜日/(身辺雑記)
- 2018/05/13(Sun) -
 静かな日曜。

 11時過ぎまでゆっくりと寝て、昼からは八海山を飲みながら、先日録画した高麗屋三代同時襲名の際に掛けられた『菅原伝授手習鑑 寺子屋』を鑑賞。

 しかし、やっぱり歌舞伎より人形浄瑠璃の方がいいなあ。

 大阪の国立文楽劇場で浄瑠璃をみて、黒門市場あたりの魚の旨い飲み屋で一杯ひっかけ、大阪市立東洋陶磁美術館で青磁の名品をじっくり鑑賞する・・・・・・。

 そんな休日を過ごしてみたいものだが、武州中山道から摂津の国は、金も暇もない貧乏浪人にとってはあまりに遠い。

 仕方ないので、文楽鑑賞は三宅坂で、一杯ひっかけるのは家呑みで、青磁鑑賞はうちにある今様の似せ物で我慢するしかあるまいね。

 ひとしきり呑んだ後、ひと風呂浴びて、今日から始まった東京場所をテレビで眺めつつ、いつのまにかうつらうつら。

 つうか白鵬、また立合いで張るのかよ。



 気が付けば、もう日が暮れ、夕方から降り出した雨が本降りになっていた。

 『西郷どん』を見ながら素麺の夕食。さらにNスペの『人類誕生』第二集を鑑賞。私にもネアンデルタール人のDNAが含まれているのかと思うと、妙な気分である。

 呑んで、テレビを見て、風呂に入って、寝るだけの日曜というのもあまりに芸がないので、稽古着に着がえて半刻ほど稽古。

 今晩は柳生心眼流に集中。

 表・中極・落・切の素振二十八ヶ条から、表・中極・落の向い振り、取放・取返・小手返の各七ヶ条を復習。

 さらに実践応用技を繰り返す。ここでミット打ちができれば、一人稽古として言うことはないのだが、さすがにサンドバックや打ち込み台を置くスペースは、我が家にはないのが残念だ。

 それにしても、最近になってようやく、心眼流の動きが少しばかり体になじんできたように思う。

 仙台藩登米伝 柳剛流の大家・沼倉清八師範は、剣は柳剛流、柔は柳生心眼流を修め、両流とも免許皆伝であったという。

 私も、こうした先師の軌跡を見習いたいと思う。



 さて、今週は後半から出張校正や取材が続き、いささか多忙になる。

 また、松代の演武まで、あと2週間となった。

 そろそろ仕事も稽古も、再び臨戦モードにしていかなければなるまいね。

 (おしまい)
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長刀の折損/(柳剛流)
- 2018/05/12(Sat) -
 本日、翠月庵の定例稽古中、柳剛流長刀(なぎなた)の形稽古で長刀と木太刀を打ち合わせたところ、長刀が折れてしまった。

 この長刀は、門人が稽古用に昨年購入した全日本なぎなた連盟規格のもので、7尺・赤樫・革鍔付きの物である。

 しかし、新品で購入してからまだ1年ほどしかたっていないにも関わらず、形稽古でこのように折れてしまうというのは、武具の品質としていかがなものだろうか?

180512_薙刀


 以前から、近年木刀などに使われている赤樫(実際にはイチイ樫)には、脆く弱い外材が多く使われているという話は聞いていたし、当庵でも新品で購入した赤樫の小太刀が、組太刀の稽古中に折れてしまったこともあった。

 また、柳剛流長刀の稽古では、打太刀が4尺4寸2分の長木刀を使うので、一般的な木刀に比べると打ち合った際の衝撃が強いかもしれない。

 それにしても、木刀や小太刀に比べて稽古用の木製の長刀は1万5,000円~2万円ほどとそれなりに高価なものだけに、この程度の使用状況で稽古中に折れてしまうというのは、金銭的な負担という点でもいささか納得できない。



 私個人は柳剛流長刀の稽古では、師よりお譲りいただいた時代の物の重厚な白樫製長刀のほか、全日本なぎなた連盟規格の白樫の長刀も使っているが、いずれも強度には問題はない。

 こうした点を考えると柳剛流長刀の稽古では、重厚で強度が十分にあるいわゆる「男長刀」、あるいは細身の長刀でも必ず白樫製の物の使用を推奨するべきであろう。

 質の悪い外材の使用で耐久性がここまで低くなっているとなると、稽古上の安全面や稽古者の費用負担の面からも、残念ながら現行の赤樫製の武具は、当庵としては稽古に使用できないと言わざるをえない。

 個人的には、赤樫の木製武具の手触りや質感は嫌いではないだけに、まことに残念なことである。

 (了)
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