松平主税助の流儀は「柳剛流」であり、流祖の諱は「奇良」である/(柳剛流)
- 2018/02/03(Sat) -
 ツイッターで神無月久音さんという方が、ネット上での剣豪の知名度ランキングというのを集計・発表されていて、「ほほう」っと思い、楽しく閲覧させていただいた。

 その中に、松平主税助の名前があり、「おお、こんなマニアックな柳剛流の剣客も入っているとは!」とうれしく思ったのだが、なんと流派名が柳剛流ではなく、制剛流になっているではないか!

 この方は、古流剣術について詳しい方のようなので、おそらく間違いというより誤字・入力ミスの類だと思うのだけれど、それにしてもまことに、いやまったく、まことに無念である・・・・・・(涙)。

 松平主税助の流儀は「制剛流」ではなく、「柳剛流」です!!

 よっぽど直接メッセージを送るかなにかしようかと思ったのだけれど、私はツイッターは閲覧のみで、書き込みなどはまったくしていないし、そもそも書き込みなどの仕方がよく分からない。

 リツイートと返信の違いって、何なの?

 ま、今のところは、そのようなツイッターの使い方を覚えようとも思わないので(私には、もっと他に覚えなければならないことや、やらなければならないことが山ほどある)、代わりにここに記しておく。

 縁があれば、ネット上を巡り巡って、先様が間違いに気づいてくれるかもしれないことを期待する次第である。

 繰り返しますが、

 松平主税助の流儀は「制剛流」ではなく、「柳剛流」です。



 また、やはりこのランキングの中に、柳剛流祖・岡田惣右衛門の名も揚げられているのだけれど、これまたまことに残念なことですが、名前(諱)が間違っている・・・・・・(涙)。

 岡田惣右衛門の諱は正しくは「奇良(よりよし)」なのだが、ここでは誤って「寄良」とされているのである。

 岡田惣右衛門の諱は、「寄良」ではなく「奇良」です!!!

 流祖の正しい諱については、石川家文書をはじめとした古文書や、全国に3つある江戸から明治にかけて建立された流祖の頌徳碑といった一次史料によって、

 「寄良」は間違いで、正しくは「奇良」である


 ことが十分に確認され、森田栄先生や辻淳先生などの柳剛流に詳しい研究家の皆さんも、その旨を指摘・公表しているにも関わらず、世間的にはなかなか正されずに誤った文字による諱が流布しているのは、本当に無念である。



 そういえば、ウィキペディアにも、松平主税助(松平忠敏)の記載があるのだけれど、剣客としていささか否定的なニュアンスで書かれていることが気になる。

 松平主税助は、柳剛流祖・岡田惣右衛門の弟子であった直井勝五郎の門下として柳剛流を修め、安政3 (1856)年に講武所剣術教授方に、さらにその後、講武所師範役に昇進し、旗本としては最高位の諸太夫従五位下上総介に任じられている。

 このように、松平主税助は柳剛流の歴代剣士の中でも、名実ともに有数の剣客であるにも関わらず、ウィキペディアの記述では、

 「剣豪タイプの人というよりは官僚的な旗本」

 「後世には相当な腕の剣客としての虚名が広がるようになる」



 と、ずいぶん否定的なニュアンスで書かれているのである。

 それにしても、「虚名」というのは、まことに失礼極まりないと思うのは私だけだろうか?

 そうまで書くのなら、ぜひ、その「虚名」とやらの根拠を知りたいものだ。

 史料価値や信憑性の低いネット百科の記述とはいえ、こうした根拠のない誹謗中傷は、それこそ「司馬遼太郎の呪い」の二の舞になりかねない。

 とはいえ、ツイッターと同様、ウィキペディアについても、私は編集の仕方など全く分からないし、いまのところ編集の仕方を覚えるつもりもないので(私には、もっと他に覚えなければならないことや、やらなければならないことが山ほどある)、代わりにここに記しておく。

 縁があれば、ネットを巡り巡って、誰かが間違いを正してくれるかもしれないことを期待する次第である。


「平日に咄しするとも真剣と
            思うて言葉大事とそしれ」(柳剛流 武道歌)



 (了)
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司馬遼太郎の呪い~柳剛流へのデマや誹謗を考える~/(柳剛流)
- 2018/02/01(Thu) -
 ネット、なかでもツイッターで「柳剛流」というキーワードを検索すると、ヒットするのはほとんど漫画に関するツイートで、武術としての柳剛流に関連するものはとても少ない。

 しかも、その数少ない武術関連の柳剛流に関するツイートも、柳剛流の実技を知らない人々による伝聞や推測に基づいた、誤ったものがほとんどだ。

 このためいまだに、

「柳剛流は、なりふり構わず足を狙う」

 とか、

「柳剛流は江戸の剣客のなかでは評判がよくない外法(げほう)とののしる者もあり、『百姓剣法』と悪口する者もいた」

 とか、

「異様に長い竹刀で相手の足ばかりをねらうために、いかにもなりがわるく、観る者もそのぶざまさに失笑したり、それが意外にも勝ち進むために、ひそかに舌打ちをする者もあった」

 とか、

「柳剛流も、こうして他流のあいだで立ちあわせてみると、いかにも醜い。角力でさえ足を取るのはいやしいとされている」

 などといった、司馬遼太郎作のフィクションに基づいたデマや誹謗中傷が蔓延している。

 まったく、無礼な話である。

 そもそも司馬遼太郎の言うように、本当に柳剛流が「醜く」、「卑しい」、「外法の百姓剣法」であったとすれば、なぜそのような柳剛流を修めた松平主税助が、有為な武門の子弟に武芸を教授する、幕府講武所教授(剣術師範)なのだろうか?

 あるいは、我々の伝承している仙台藩角田伝柳剛流は、仙台伊達家臣中の一門筆頭である石川家(2万1380石)の剣術流儀だが、「醜く」、「卑しい」、「外法の百姓剣法」を、大名クラスの大身である石川家が、わざわざ御家の剣術流儀として採用するだろうか?

 このあたりをぜひ、シバリョウ先生に問いかけたいところである。

 できることなら、おっとり刀で駆けつけて苦言申し上げたいところであるが、シバリョウ先生はもう鬼籍に入られて久しいし、史実ではなく創作された物語を盛り上げるには、「醜く」「卑しい」「外法」の悪役が必要だということも、分からんでもない・・・・・・(苦笑)。



 これまでも何度か本ブログで指摘してきたが、柳剛流における脚斬り=「断脚之術」は、なりふり構わず足を狙うといった粗野なものではない。

 また、帯刀した状態から、あるいは抜刀して何らかの構えをとった状態から、いきなり体を沈めて相手の脚を斬るような底の浅い業は、柳剛流には1つとして無い。

 (なお、撃剣における勝口(かちくち)のバリエーションのひとつとして、たとえば上段から相手の拍子をはずして先をとり、いきなり足に打ち込むといった技が、ある程度有効であることは言うまでもない)

 そもそも、いきなり足に向けて斬ってくるような単純な脚斬りは、ある程度慣れてくれば、実は受けたり抜いたりすることはそれほど難しくないし、多少こちらの拍子が遅れてもよいので相打ちのつもりで頭や首、小手などを斬り伏せればよいだけのことだ。

 故に、「術」として相手の脚を斬るためには、斬るための「拍子」・「間積り・「位」が必要であり、それらによって作られた「場」と「彼我の接点」があるからこそ、我は斬られずに相手の脚を斬ることができるのである。

 この、斬るための拍子・間積もり・位は、柔(やわら)でいえば、いわゆる「作り」と「掛け」に当たる。

 このような「断脚之術」の理合の、基本と極意が余すことなく盛り込まれているのが、柳剛流で最初に学ぶ「右剣」と「左剣」の形である。

 だからこそ柳剛流の門を叩く者は、江戸の昔も平成の今も、まずこの2つの形を徹底的に練磨するのだ。



 一方で、世の中のイメージが、本来の業とはまったく異なるものとして多くの人に流布しているというのは、兵法としてはたいへんに好都合でもある。

 なにしろ、多くの人は、柳剛流は「なりふり構わず足を斬る」とか、抜き打ちにせよ構えた状態からにせよ「いきなり足に斬りつけてくる」と思っているのだ。

 そのように思い込んでいる相手には、そのように思わせておいて、脚など斬らずおもむろに面なり小手なり胴なりを斬れば良いのである。

 柳剛流の勝口は、脚斬りだけではないのだから。



 それにしても、司馬遼太郎や高野佐三郎が吹聴した柳剛流へのデマや誹謗中傷は実に根深い。

 それらを払拭していくことも、21世紀の今に柳剛流を伝承する我々の、使命のひとつであろう。

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▲柳剛流剣術 「右剣」。脚を斬るためには、そこに至る「作り」と「掛け」が必要である。さらにこの状態から打太刀の正面切りに応ずる「術」も、形を通して学ぶのである


 (了)
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皆既月食/(身辺雑記)
- 2018/01/31(Wed) -
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 見えた!

 (おしまい)
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指南する者の覚悟/(柳剛流)
- 2018/01/30(Tue) -
 先日の水月塾本部稽古では師に打太刀を執っていただき、埼玉支部門下一同、一人ひとり丁寧に稽古をつけていただいた。

 水月塾の稽古では、現代武道に見られるような集団指導は一切なく、稽古者が何人いようと、門人に対して師が打太刀や受けを執ってくださり、個別指導での形の修行を通じて古(いにしえ)を稽(かんがえ)る。 

 このため今回の稽古では、自分が直接師より指導をしていただくのはもちろん、当庵門下のY氏やU氏が指導を受けている様子についてもしっかりと見取り稽古をさせていただき、普段の自分の指導の至らなさや業前の不足について、改めて反省することしきりであった。

 それでも稽古後に師より、「埼玉支部は皆、しっかりと柳剛流の稽古をしているようだね」とのお言葉を賜り、支部を預かり柳剛流を指導する者として、なんとか胸を撫でおろすことができた。



 門人を受け入れて武芸を指導する以上、必ず彼らの業前を上達させなければならない。

 これは、指南をする者の責務である。

 しかもその上で、自分自身もひとりの武芸者として、稽古を積み重ねていかなければならない。

 武芸を指南する者は、単に己だけが上達すればよいというものではないのだ。

 その覚悟と責任感が無いのなら、弟子など取らず、ただ己を叩きあげていけばよいのである。

 しかしそれでは、流祖以来脈々と続いてきた流儀の道統を、次代につなげることはできないだろう。

 流祖・岡田惣右衛門が編み出した、柳剛流というかけがえのない古流武術を次の世代に伝えるために、門下の上達を促し、己自身の業前もより見事なものとするよう、さらに精進をしていかなけばならない。

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▲柳剛流剣術の神髄である、流祖・岡田惣右衛門伝来の「断脚之術」

 (了)
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1月の水月塾本部稽古~柳剛流、甲陽水月流/(武術・武道)
- 2018/01/29(Mon) -
 昨日は水月塾本部での稽古であった。

 今回は埼玉支部の門下として、当庵のY氏とU氏も参加し、午前中は柳剛流の稽古。

 師に打太刀をとっていただき、Y・U両氏は剣術を、私は剣術・突杖・長刀をご指導いただく。

 昼食後は伝書講義。今回は柳剛流を剽窃した流儀である加賀の水野一傳流をはじめ、中将流、さらに姫路支部長の西躰師範が持参された各種の伝書類も拝見させていただく。

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▲柳剛流をほぼそのまま剽窃している水野一傳流の初伝伝書



 午後は、水月塾制定の日本柔術(甲陽水月流)の稽古。中伝逆取を復習する。

 稽古後は、師に同道させていただき、居酒屋にて皆さんとの小宴。

 全員うわばみの埼玉支部一同は、いつものごとく鯨飲馬食し、千鳥足で武州への帰路に着いた。

 (了)
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土曜の夜/(身辺雑記)
- 2018/01/28(Sun) -
 かつて芭蕉は、道祖神のまねきにあいて取るもの手につかず、股引の破れをつづり、笠の緒付かえ、三里に灸すえて、おくのほそ道に向かった。

 いま流れ武芸者は、稽古のまねきにあいて取るもの手につかず、古袴の破れをつづり、柳剛流の長木刀を持ち、右ひじと膝にサポーターをつけて甲州へ向かう。

 それにしても、裁縫は苦手だ・・・・・・。

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  ~落武者の明日の道問う草枕(翠桃)~



   (おしまい)
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柳剛流の目録にみる、形名の異字・当て字/(柳剛流)
- 2018/01/25(Thu) -
 伝書のような古文書を読んでいて悩ましいのが、読み方や意味・意義などが同じながら漢字の一部が異なる、異字や当て字だ。

 昔の人はかなり文章における文字の表記統一に大らかだったようで(苦笑)、現代人としては戸惑うことが少なくない。

 柳剛流の伝承についても、こうした異字や当て字がみられる。



 たとえば東日本に伝播した大多数の柳剛流(武州系・仙台藩伝など)では、多くの場合目録の階梯において、「当流之極意」と称する柳剛刀という剣術形6本が伝授される。

 それらの名称は一般的には、以下の通りである。

・飛龍剣
・青眼右足刀
・青眼左足刀
・無心剣
・中合刀
・相合刀


 一方で、我々が稽古している仙台藩角田伝柳剛流の佐藤健七先師系統の伝承では、これら6本の形の表記は、以下のようになっている。

・飛龍剣
・青眼右足頭
・青眼左足頭
・無心剣
・中合剣
・相合剣


 つまり、青眼右足刀と青眼左足刀については「刀(トウ)」という文字の代わりに「頭(トウ)」という文字が当てられ、また中合刀と相合刀ではぞれぞれの「刀(トウ)」の文字が「剣(ケン)」という文字に置き換えられているのである。

 しかし、同じ仙台藩角田伝の柳剛流でも、明治末から昭和の初めにかけて、角田中学校剣術師範を務めた斎藤龍三郎先師が、大正13年に南部雄哉氏に伝授した目録を見ると、「青眼右足刀」「青眼左足刀」という一般的な書き方で、トウという読みに「頭」という文字は当てられていない。

 また、中合剣ではなく中合刀、相合剣ではなく相合刀と、佐藤健七先師系とは異なり、これら2つの形名では「剣」ではなく「刀」となっている。

 武州系各派の柳剛流伝書を見ても、このように「刀」を「頭」という文字で当てた伝書はまったく見当たらず、また中合刀・相合刀の2つについて「刀」ではなく「剣」として表記しているものも見当たらない。

 ところが武州系の柳剛流の中でも、柳剛流と天神真楊流を合わせて創始された中山柳剛流の目録では、青眼右足刀(頭)は「青眼右足剣」、青眼左足刀(頭)は「青眼左足剣」となっているのも興味深い。

 その上で、現在唯一確認されている流祖直筆という柳剛流目録の表記、佐藤健七先師系の仙台藩角田伝柳剛流、武州系および齊藤龍三郎先師系の仙台藩角田伝柳剛流、中山柳剛流、そして紀州藩田丸伝の5つの目録の表記を比較すると、次のようになる。


柳剛流各派における、目録剣術形名の異字・当て字の例

※流祖直筆(A)、佐藤健七先師系(B)、武州系・齊藤龍三郎先師系(C)、中山柳剛流(D)、紀州藩田丸伝(E)

青眼右足刀(A)/青眼右足頭(B)/青眼右足刀(C)/青眼右足剣(D)/青眼右足刀(E)
青眼左足刀(A)/青眼左足頭(B)/青眼左足刀(C)/青眼左足剣(D)/青眼左足刀(E)
中合刀(A)/中合剣(B)/中合刀(C)/なし(D)/ 中合刀(E・ただし切紙で伝授)
相合刀(A)/ 相合剣(B)/相合刀(C)/なし(D)/相合刀(E・ただし切紙で伝授)





 古流の伝書類におけるこうした異字・当て字は、武芸としての「業」や「術」の本質にはあまり関わりのないところであるが、近世における日本の技芸の伝承や文化を考える上では、とても興味深い点ではないかと思う。

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▲明治38(1905)年9月に、今井(林)右膳系の師範である古山半右衛門が、笹谷源四郎に出した「柳剛流剣術目録」。ここでは、「頭」の当て字、「刀」の「剣」という字への置き換えはなく、最も一般的な武州系の柳剛流目録に見られる表記となっている

 (了)
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初春歌舞伎公演「通し狂言 世界花小栗判官」/(身辺雑記)
- 2018/01/24(Wed) -
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 今年の初観劇。

 国立劇場は新春らしく、たいへん華やいだ雰囲気であった。

 今回の小栗判官は、立ち回りあり、ロマンスあり、人情あり、笑いあり、涙あり、そしてオカルトありと、実に歌舞伎らしい楽しさにあふれる演出が印象的だ。

 歌舞伎は、いいなあ。


 (おしまい)
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空手道寒中稽古/(武術・武道)
- 2018/01/20(Sat) -
 今週は、私が所属している県連の空手教室の寒中稽古・・・だったのだが、仕事が忙しくて結局昨晩の稽古のみ参加。

 県立武道館の主道場で、みっちり絞られる。

 私は、今年初めての空手の稽古でもあったので、いやはやなんともフィジカル的にきつかった。

 移動基本は堪えるネ(爆)。



 現在の住まいに転居した際、それまで所属していた流派を退き、たまたま見つけたこの空手教室に参加するようになって早や6年。

 そもそもが県連のアンテナショップ的な位置づけの教室であり、初心者向けの稽古会だったため、私が参加し始めた当初、一般部の参加者は全て初心者だった。

 それから時は流れ、昨晩の寒稽古ではこの空手教室生え抜きの黒帯が2人、他流・他会派から稽古に来る黒帯が2人、そして万年弐段(もう15年近く昇段審査を受けていない・・・)の私を含め、一般部に参加する有段者の数は5人となった。

 やはり、大人の黒帯がある程度の人数いると、稽古が引き締まるというものだ。

 以前も書いたが、この教室は県連主催のため、糸洲流、玄制流、剛柔流、糸東流など様々な流派の先生方が指導に当たることから、自分の学んだ流派以外の形や業を学ぶことができるのが魅力だ。

 昨晩は、糸洲流のN先生に平安をご指導いただくが、私が学んできた玄制流の平安とは大きく異なるので、戸惑いが大きく、しかし楽しい。

 またN先生は、古いスタイルの形の分解についても丁寧に指導してくださるので、私のような、もう競技に出場しない(最後に組手と形の試合に出たのは、もう7年前か・・・)市井の中年空手愛好家にとっては、たいへんモチベーションの高まる稽古となる。

 今回の稽古では猫足立ちからの隠し技としての下段前蹴り、上段突きの際の正拳と縦拳の使い分け方、空手道の基本的な呼吸法と組手時の呼吸の読み方などについてご指導をいただき、たいへんに勉強になった。



 空手道の修行について、私はもう昇段や競技会出場を目指すつもりはない。

 なぜなら私の今、そしてこれからの武術人生の本義は、あくまでも柳剛流を中心とした古流武術だからだ。

 しかし市井のいち愛好家として、空手道の稽古はこれからも細く長く続けていくつもりである。

 思い切り突き、存分に蹴り、自由に体と体がぶつかり合う空手の稽古は、本当に爽快で楽しい!

 (了)
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必勝を求めずして、自然に勝つべきに於いて勝つ/(柳剛流)
- 2018/01/19(Fri) -
 日々の暮らしの中で行き詰まることがあると、そこに何かの啓示がないかと柳剛流の伝書を味読する。

 こうなるともう私にとって柳剛流は、ある種、宗教のようなものであるけれど(苦笑)、流儀の修行に専心するというのは、そういうことではなかろうか。



 一般的に、武州系の各派、そして明治以降の仙台藩角田伝の柳剛流では、切紙、目録、免許のいずれも、おおむね同様な文面になっており、たとえば目録の前文は親流儀である心形刀流の伝書文面とほぼ同じである。

 ところが、流祖・岡田惣右衛門の直門である2代岡田左馬輔直筆の、初期の仙台藩角田伝柳剛流の伝書は、切紙、目録、免許の何れも、武州系の各派や明治以降の角田伝の伝書類と大きく異なる文面となっているのが興味深い。

 この点については、稿を改めて考察してみたいと思う。



 仕事で理不尽極まりないたいへん不愉快な出来事があり、先夜、思うところあってつらつらと角田伝系の柳剛流伝書を読んでいたところ、以下の一文が心に留まった。

 曰く、

敵の盈虧(えいき)を察し、必勝を求めずして、自然に勝つべきに於いて勝つ。何を以てか之を譬えん。其の際に髪を容れるべからず。



 必勝を求めずして、自然に勝つべきに於いて勝つ。

 勝とう勝とうという我執を棄て、天地の道理に従うことでおのずから勝ちを得る。

 周易でいえば、「无妄」ということか。

 たしかに道理に従ってやるべき事をやり遂げれば、有象無象に惑わされることなく、成果はおのずから得られるというものだ。

 道理に沿った「道」を行くことで、自然に勝つべきに於いて勝つ。

 先人の教えをかみしめながら、また今日を生きよう。

180119_柳剛流目録

 (了)
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